Яoom ИumbeR_55

Яoom ИumbeR_55は「男性→女性への腹パンチ」を主に扱う小説サークルです。未成年の方、現実とフィクションの区別のつかない方は閲覧しないでください。

新キャラ朝比奈ちゃんの立ち絵が上がってきました。
生真面目な朝比奈ちゃんらしく、シルバーとグレーを基調としたデザインになっております。
本編は全編書き直しのような状態になっておりますので、次回更新までしばらくお待ちください……。

スクリーンショット 2021-04-11 17.03.52

NOIZ6のコピー
 鷺沢が本部の放棄を決定した。
 人妖に場所が知られた以上、長く留まっているわけにはいかない。当面は郊外に設置している支部を臨時本部とし、データと人員の速やかな移行を指示した。一般戦闘員とオペレーターが慌ただしく走り回る。
 朝比奈の救出には綾と美樹の他、数名の一般戦闘員が指名された。支度が整い次第、エントランスに準備している戦闘員用の護送車で出発する手筈になっている。
 美樹が上級戦闘員用のロッカールームで装備を整えていると、スノウが入ってきて「お姉様のロッカーはどこ?」と聞いた。
「聞いてどうする気だ?」と美樹が言った。折りたたんだ樹脂製のトンファーを、ベルトで太腿に留めている。
「私も戦う。この格好じゃうまく動けないから、あんた達みたいな戦闘服に着替えたいの。お姉様のがあればそれを借りるわ」
「馬鹿を言うな。一般人を巻き込む訳にはいかない」
「さっきは止めなかったじゃない」
「今回は間違いなく戦闘になるんだぞ?」
「だから戦闘服に着替えるのよ」
「そういう問題じゃない」と言いながら、美樹は立ち上がってスノウを見下ろした。「相手は人妖だぞ。確かに会議室での身のこなしは見事だったが、人間相手の護身術が通じる相手ではないんだ。あの豚野郎の言っていた通り、単純な身体能力で言えば人妖の方が格段に上だ。生兵法で飛び込むと、あいつらの餌になりに行くようなものだぞ」
「ここまで来て引き返せるわけないでしょ? あいつはノイズが新しい指導者だって言った。人妖達の背後にはノイズがいて、お姉様だってそこにいる。私はお姉様を取り戻すためにここまで来たのよ。お姉様を取り戻すためには、ノイズを倒すか、お姉様に目を覚ましてもらうしかないわ」
「ノイズを倒すのなら、それこそ私達にまかせておけ」
「倒せると思っているの? あんた達、会議室では一歩も動けなかったじゃない。肉親の私が呼び掛ければ、お姉様は目を覚ますかもしれない。ノイズを倒すよりは確実な方法よ。だから戦闘服を……」
 美樹は黙って首を振った。「いずれにせよ、シオンのロッカーは開けられない。本人の指紋認証でしか開かない仕組みだ。開けたくても開けられないんだ」
 私なら開けられる、と言う声がして、美樹とスノウが入り口を振り返った。
 ドアが開いて、鷺沢がロッカールームに入ってきた。通路では何人もの職員が慌ただしく走っている。鷺沢はあらかた指示を出し終え、様子を見に来たようだ。
「スノウさん……。ノイズの対処について、本当に同行していただけるんですか?」と、鷺沢がスノウを見て聞いた。
 鷺沢さん、と抗議するような口調の美樹を手で制した。
 スノウが力強く頷いた。
「もちろんよ。お姉様に目を覚ましてもらうわ」
 鷺沢が暗い顔をして頷いた。「鷹宮上級戦闘員。やはり如月上級戦闘員との戦闘は極力避けるべきだと思う。今まで多くの戦闘員を見てきたが、如月上級戦闘員は規格外だ……。あの並外れた頭脳と、その頭脳の命令を遂行する身体能力を併せ持っている。今までは如月上級戦闘員の生まれ持った優しい性格で無意識にリミッターをかけていたが、もはやそれも外れている可能性が高い。制御できるうちは便利だが、暴走したら手がつけられなくなる原子炉みたいなものだ。戦闘にならずに抑え込むことができれば、それに越したことはない」
 美樹がため息を吐いて首を振った。
「……もしもの話だ」と言いながら、美樹が誰とも視線を合わせないように床に視線を落とした。「もしも、シオンが消えていたらどうする? ノイズの中に、シオンがもういなかったら……? そういう可能性だって無いとは言えないだろう。その時は、倒せるか倒せないかに関わらず、戦うしか選択肢が無くなるんだぞ」
 スノウが凍えるようにして深く息を吸った。「その時は私も戦う。ノイズに殺されたっていいわ……お姉様のいない世界なんて……」
 「……わかった」と言って美樹が頷き、スノウの肩を数回叩いた。「死ぬ必要は無い。私が守る。それに、私にとってもシオンは友人だ。穏便に済ませられるものなら済ませたい。シオンを叩き起こしてやってくれ」
 スノウが唇を噛んだまま頷いた。うっすらと目に涙が浮かんでいる。
 鷺沢はシオンのロッカーの前に移動して、タッチパネルに親指を当てた。
「私の指紋がマスターキーになっているんです。何か物がなくなったら、真っ先に私が疑われますが」
 短い電子音がして、ロックが外れる。鷺沢がシオンのロッカーを開けた。メイド服を模した新品の戦闘服が三着、ハンガーに掛かっていた。パッキングされた新品のストッキングや下着類、ガーターベルトの他、赤い宝石があしらわれたレースの付け襟も綺麗に並べられている。
「えっ……なにこのエッチな服……?」
 スノウが明らかに引いている。ロッカーの中身を指差しながら、油の切れた機械のようにぎこちなく美樹と鷺沢を見た。
「お姉様、まさかこんな格好で戦っていたの……? 嘘よね?」
「あ、いや、その……それは」と、美樹がどぎまぎしながら言った。
 スノウの眉が吊り上がった。「あんた達、まさかお姉様に無理やりこんなの着せてたの? いくらお姉様のスタイルが良いからって……!」
「上級戦闘員の戦闘服は着用者の身体特性と、なによりデザイン的な嗜好を考慮して特別に製作されています。好みの衣類を着用することによる戦闘員の士気向上も、成果に直結する重要な要素ですから。故にその戦闘服も、如月上級戦闘員の趣味が多分に反映されているデザインです」
 鷺沢が真顔で答え、スノウの視線は二人の顔とロッカーの中を何回も往復した。やがて恐々と戦闘服を手に取り、「うわ……」などと言いながら自分の身体に合わせている。
「そもそもサイズが合わないだろう」と、美樹が言った。特に胸の部分が致命的に合っていなかったが、美樹は黙っていた。スノウもさすがに察したらしく、何よりデザインがスノウにとっては奇抜過ぎたため、黙って戦闘服を元に戻した。代わりにシオンがツインテールにまとめる際に使用していた黒いリボンと、レースの付け襟を手に取った。
「これだけ借りるわ。お姉様、力を貸して……」
 スノウはリボンと付け襟を壊れ物のように胸に抱いて目を閉じた。鷺沢が別のロッカーを開け、白いレオタードのような戦闘服をスノウに渡した。
「こちらなら、サイズが合うと思います。一般戦闘員用ですが、動きやすさと防御性能のバランスが一番良い戦闘服です。また、先ほどのスノウさんの動きを見て、足技が得意と見受けましたので、レオタード型をお勧めします。手袋やソックスもこちらで用意します」
「……これも結構際どいわね」と言いながら、スノウが戦闘服を目の前に広げた。サイズはぴったり合うようだ。スノウは戦闘服を持ってシェードの中に入り、戦闘服に着替えて出てきた。ツーサイドアップの髪はシオンの黒いリボンで留め直し、元の赤いリボンのうちの一本は左の太腿に結んでいる。もうひとつは形見のようにシオンのロッカーにしまった。そういえば、あの赤いリボンはシオンからの初めてのプレゼントだったなと美樹は思った。スノウは首に巻いたシオンの付け襟を愛おしそうに撫でている。
「似合うじゃないか」と、美樹は言った。
「うん。ものすごく軽いし、確かに動きやすいわ」と、スノウはその場で軽くジャンプしながら言った。

 豚を乗せたセンチュリーと後続のクラウンは、市街地を抜けて、人気の無い港湾倉庫のひとつに入った。
 倉庫の中はドラム缶が山積みになっている。センチュリーの運転手が降り、豚が乗っている後部座席のドアを開けた。豚が難儀そうに車から降りる瞬間、朝比奈が豚の腕を振り解いて飛び出した。朝比奈は距離を取って、表情を強張らせたまま身構えた。
「おっと、まだそんなに動けたとは」と、豚が笑いながら言った。
 豚は顎に手を添え、朝比奈の身体を品定めするように見ている。
 朝比奈は豚の視線から隠すように、体の向きを変えた。どうやら豚は自分のような年齢の若い女性が好きなようだ。いわゆる、ロリコンというものだろう。身体の底から嫌悪感が湧き上がってくると同時に、どのようにこの場を切り抜けるか頭を回転させた。
「うんうん、スノウちゃんも可愛いが、君も負けじと劣らず可愛いねぇ」
 豚は手をすり合わせながら、満面の笑みを浮かべた。「やはり君くらいの年齢が一番だ。下手に歳を取ると身体のあちこちに老廃物が溜まってくる。さっきの女達も、スノウちゃん以外は見た目は綺麗でも中身はドロドロのはずだ。早く君の綺麗な養分を吸わせておくれ」
 朝比奈の背中にゾワッとした寒気が駆け上がった。賎妖は能力も容姿も人妖に劣るが、ここまで気持ちの悪い賎妖も珍しい。友人もこんな奴に手籠にとられたかもしれないと思うと、怒りと悲しみがふつふつと湧き上がってきた。
「近寄るな! 変態!」
 殴られた腹がまだ痛むのか、片手で腹を押さえながら朝比奈が叫んだ。豚の背後では車から降りた人妖達が遠巻きしている。
「変態とはまた手厳しい」と、豚が大袈裟に驚いたように両手をあげた。「可愛い子が好きなことが変態なものか。人の好きなものを否定してはいけないよ?」
 朝比奈は豚を無視し、素早く周囲を見回した。ドラム缶が山のように積まれ、窓は天井付近にしかなく、唯一の出入り口は車が塞いでいる。逃げられそうもない。だが、相手は賎妖だ。人妖に比べて戦闘能力は劣る。朝比奈はチームを組めば人妖ですら倒した実績があり、賎妖であれば一対一でも倒してきた。ここは戦うしかない。
 朝比奈が前後に足を開き、拳を上げて構えた。
「やめたほうがいい。悪いことは言わない」
 豚が両手を突き出し、わざとらしく心配そうな顔をして言った。
 朝比奈がふっと鋭く息を吐いて、豚との距離を詰めた。先ほどを頭に血が上って不覚をとったが、今回は自分の体格を生かして、相手の身体に潜り込むいつもの戦術を駆使すれば勝てるはずだ。なんといっても、相手は人妖に劣る賎妖なのだ。
 朝比奈は身体を左右に振りながら、豚の死角に入って拳を繰り出した。捕まえられずに攻撃を当て続ければ、いずれはダメージが蓄積する。豚の腹を何発も殴った。脂肪が厚い。豚は涼しい顔をしている。朝比奈は一旦距離を取り、再び殴った。豚の身体に潜り込み、膝や背中にも攻撃を加えるが、豚はダメージを感じるどころか怯む様子すらない。
「な……んで……?」
 朝比奈が戸惑いながら後ずさった。身体能力が段違いに高い人妖ならともかく、相手は賎妖だ。身体能力は人間とそう変わらないはずだ。いくら肥満体とは言え、ここまでダメージが通らないのはおかしい。
「まったく、朝比奈ちゃんは本当にしつけがなっていないみたいだねぇ……」
 豚が拳を鳴らしながら朝比奈に近づく。朝比奈の小さい身体が、豚の影にすっぽりと覆われた。
 ふん、と豚が気合を入れ、朝比奈の腹に拳を突き込んだ。拳が全く見えない速さの攻撃だった。朝比奈は棒立ちのまま動けず、ぼぢゅん、と音を立てて岩のような拳が朝比奈の細い腹部にめり込んだ。
「ゔぶぇッ?!」
 朝比奈の身体が浮いた。
 車に跳ね飛ばされたような衝撃で朝比奈は人形のように弾き飛ばされ、倉庫の壁に強かに背中を打ち付けた。そのまま膝から崩れ落ち、前のめりに倒れこむ。次の攻撃に備えるために必死に立ち上がろうとするが、足に全く力が入らず、尻を浮かせたままの無様な格好で苦しそうに喘いだ。遠巻きに見ていた人妖達が静かに笑う声が聞こえる。
「ぐ……が……ッ……?! ゔっ……ごぇッ……!」
 まともに呼吸ができずに悶絶している朝比奈に、豚がゆっくりと近づいた。
「また殴られちゃったねぇ。女の子の大事なトコロ。あまり聞き分けがないと、朝比奈ちゃんと私との赤ちゃんができなくなってしまうよ?」
 豚は朝比奈の戦闘服を掴み、強引に引っ張り上げた。朝比奈の足が地面から浮く。朝比奈は涙と唾液で顔をぐちゃぐちゃにしながら、短い呼吸を繰り返していた。
「私が賎妖だと思って油断したんだろう? 人を見かけで判断するなと、学校やご両親から習わなかったのかい? 朝比奈ちゃんは子供だからわからないだろうけれど、大人の世界では下手に格好をつけているよりも、相手にナメられているくらいの方が、なにかと便利なことが多いんだ。たとえば豚のように醜い身体にしわくちゃな服を着て、やけに慇懃な喋り方をする奴を見ると、たいていの相手は『こいつは大したことないな』と思って油断する。他の使役系の人妖みたいにお高く止まっていると、君たちに真っ先に狙われたり、仲間から足元を掬われたりすることが多い。この見た目は整形手術と定期的な脂肪注入の手間はかかるが、得るものの方が多いんだよ。たとえば朝比奈ちゃんみたいな何も知らない可愛い子が、こいつなら勝てそうだと勘違いして自らレイプされに飛び込んでくるとかね」
 ずぷん……と音を立てて、朝比奈の細い腹部が再び陥没した。
「ぎゅぶぇッ?!」と、朝比奈が目を見開いて悲鳴を上げる。豚はすぐさま拳を抜き、サンドバッグのように朝比奈の鳩尾や腹を何回も殴った。殴られるたびに、豚に片手で吊り下げられた朝比奈の身体はおもちゃのように揺れた。豚は執拗に朝比奈の腹だけを殴り、意識の大部分が途切れたところでようやく朝比奈を開放した。全身の力が抜けたように、朝比奈は地面に崩れ落ちる。
「おい、ここに着いてから何分経った?」
 豚が運転手に言った。二十二分ですと運転手は答えた。
「なら、まだ時間はあるな」
 豚はおもむろにスラックスのジッパーを下ろし、臨戦態勢になった男根をずるりと解放した。極太のそれは豚の出っ張った腹に先端が触れるほど反り返っている。豚は意識の途切れかけた朝比奈の髪の毛を掴んで引き起こすと、頭を掴んでその小さな口に男根をねじ込んだ。
「ごぼっ?! むぐぅッ!?」
 突然ねじ込まれた異物に、朝比奈は一気に覚醒して目を見開く。
「おほぉっ! 予想以上に小さい口だ。たまらんな」
 豚は朝比奈の頭を両手で掴み、乱暴に前後に揺すった。喉奥を無理やり抉られ、朝比奈は内臓を吐き出すような嗚咽をあげた。
「ごぇッ!? ゔ……うぐえぉぉぉ! ごえぇぇぇッ!!」
「ほぉっ! ほおぉッ! 喉がよく締まって……気持ちいいよ朝比奈ちゃん……」
 朝比奈の味わっている地獄など意に介さず、豚は虚空を見上げながら恍惚の声をあげた。朝比奈の鼻が豚の腹に何回も当たり、細い喉は豚の男根の形をくっきりと浮かび上がらた。朝比奈はもはや悲鳴すら上げることが出来ず、ただ白目を剥いて頭を揺すられるに任せた。
「ああぁ……出るよ……出るよ出るよ、出るよ朝比奈ちゃん!」
 豚は胃まで到達するほどの勢いで、一層深く男根を朝比奈の喉にねじ込んだ。同時に、とんでもない量の粘液が朝比奈の喉奥に放たれた。朝比奈の意識はすでに飛んでおり、白目を剥いたまま無抵抗に粘液を流し込まれるに任せた。
※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

名称未設定-5のコピー


「いやぁこれはこれは、お騒がせして申し訳ございません」
 豚は満面の笑みを浮かべ、のっそりと歩み寄ってきた。見た目に反してよく通る聞き心地の良い声だった。「我々は、皆様に危害を加えるつもりはございません。少々手荒なノックをさせていただきましたが、本日は皆様にごお申し入れあり、こうして出向いた次第でございます。もちろん扉の修理代もお支払いさせていただきます」
 綾が眉根を寄せたまま、豚から視線を逸らさずにスノウの方に頭を傾けた。
「知ってるの? あいつのこと」
 スノウが頷いた。
「レイズ社の社長秘書の男。私も昨日一回会っただけ。なんであいつがここに……」
 豚がスノウを見つけると、ますます口元が綻んだ。向こうもスノウがここにいることに対して驚いているようだ。
「おやおやこれはこれは! スノウ・ラスプーチナ様ではありませんか。まさかこんな所でお会いできるとは何たる偶然。もうお会いできないかと思い、胸が締め付けられる思いでした。なんと言ってもスノウ様は、私の理想の女性でございますから」
 豚の言葉にスノウの全身に鳥肌が立ち、呻きながら自分の身体を抱きすくめた。綾が気の毒そうな視線をスノウに送った。
「おっと、これは大変失礼をいたしました。まだ皆様に自己紹介をしておりませんでした。と言っても名乗るほどの者ではございませんので、私のことはこの見た目通り『豚』と呼んでいただければ幸いでございます」
「申し入れとは何だ?」と、鷺沢が鋭い声で言った。
 豚は相変わらず笑みを浮かべながら、ポケットからハンカチを出して自分のスキンヘッドを拭いた。気温は低いが体感温度が高いのか、汗をかいているようだ。豚は鷺沢の質問など無かったかのように、ゆっくりとした動作で頭と首を拭き、ハンカチを丁寧に畳んでポケットに仕舞った。たっぷり三十秒は沈黙の時間が続いた。
「──和解の申し入れでございます」と、豚が上目遣いで言った。
「和解?」と、鷺沢が聞き返した。
「ええ、我々人妖と、あなた方人間との和解です」
 豚は胸の前で両手を揉みながら話を続けた。
「我々と人間は姿形が変わらないのに、我々が人間を栄養源にするというただ一点のみで、長い間争ってまいりました。しかしもともとは、過去の人間の『完璧な人間を造る』という身勝手な思いつきによって、我々が生み出されたことに端を発しております。まぁ完璧な人間と言いながらも、目的は兵器や労働力として使用するためでした。機械のように自由に使える便利な奴隷が欲しかったのです。過酷な環境にも耐えられるように身体能力を高められました。兵器や機械に食事や排泄は邪魔な機能なので削除されました。食料が無くても生きられるように人間との粘膜接触で養分を摂取可能にされました。人間と見た目が変わらないのなら夜の世話もさせたいと、容姿が優れるように遺伝子操作をされました──まぁ時々私のように容姿が醜い者も存在しますが、それはさておき、そのような過去の人間の思惑があって我々がここに存在しているのでございます。やがて、研究者の誰かが我々を恐れ始めました。身体能力が高く、知能も人間と変わらない。食事も必要ない。いわば我々は人間の上位交換です。奴隷にするどころか、反逆されたら勝ち目はない……と考えたのです。恐怖というものは、今も昔も素早く伝播します。研究者の中で人妖を残らず処分すべきという案が多数派になってきました。兵器や労働力として期待する研究者はもちろん反対しました。やがて世界中で内乱が起き、研究所が破壊され、混乱の中で多くの人妖が人間社会に逃げ込みました。それ以来、我々と皆様の泥沼の争いが続いているのです。我々は、なにも外宇宙から侵略しに来たエイリアンではございません。もちろんそちら側にも言い分はおありでしょうが、我々としましても勝手に生み出され、勝手に迫害や排除の対象にされるというのは、いささかそちら側に都合が良すぎるのではないかと思っております。しかしその議論は不毛です。我々は十分争った。そして疲弊した。それでいいじゃありませんか。過去のことは水に流し、和解して共存共栄の道を歩んだ方が建設的だとは思いませんか?」
「共存共栄の道だと?」と言いながら、鷺沢が怪訝そうな顔になった。鷺沢の隣では、朝比奈が今にも飛びかかりそうな勢いで豚を睨んでいる。
 ええ、と言いながら豚は両手を揉んだ。「そうです、共存共栄です。幸い、我々と皆様は姿形が同じです。言葉も通じます。姿形が違って言葉も通じない犬や猫と共存している皆様なら、我々と共存することなど容易いでしょう。ではどのように共存するのか? 皆様が犬猫と共存出来るのは、上下関係を明確にしているからです。犬猫に住処や餌の供給をすることによって生殺与奪を掌握しているからこそ、問題なく共存できているのです。では我々と皆様の上下関係はどうでしょうか? どちらが生物として優れているのかと言えば、失礼ながら我々と言わざるを得ません。これは我々から見た贔屓目ではなく、生物としての能力が明らかに我々の方が優れているからです。なぜなら先ほども申し上げた通り、皆様よりも優れた存在になるようにと、皆様がそう造られたからです。アンチレジストの皆様が必死に厳しい訓練を行い、最新技術を駆使した武器や戦闘服を身につけても、そこにおられる五人のように一部の才能のある方がようやく丸腰の我々に敵うかどうかという状況は、皆様もご理解いただける事実だと思います。しかし、では犬猫のように我々が皆様を扱えばいいのかといえば、そんな愚かで残酷なことはいたしません。あくまでも共存、そして共栄が目的です。簡単なことです。皆様も人妖になればよろしい」
 豚が満面の笑みで、胸の前で両手を叩いた。
「お互い立場が違うから憎しみ合うのです。ならば同じ立場になってしまえば、争う必要はありません。皆様はより優れた存在に進化できる。人間は一部を補給用として養殖すれば問題ありません。そのうち餌の人間は牛肉のように、容姿によってランク付けがされるかもしれませんな。はははは」
「ふざけるな!」
 全員が叫んだ主に顔を向けた。朝比奈が両方の拳をぐっと握りしめて、わなわなと震えている。
「黙って聞いていれば勝手なことを……。人妖と共存、ましてや私たちに人妖になれだと? ふざけるな! 私は友達を人妖に拐(さら)われたんだ! アンチレジストに入ったのも友人を見つけるためだ。人妖と共存なんかできるか!」
「おお、それはお気の毒に……」と、豚が眉をハの字にして言った。「ですが、そのご友人は果たして不幸だったのでしょうか? 我々人妖の補給は、人間にとってはこの上無い快楽のようです。我々の体液には、それこそ麻薬のような作用がある。人間達が自らの快楽を高めるために、我々をそのように造ったのです。あなたが厳しい訓練や戦闘をしている間に、ご友人はベッドの中で我々の男根でもしゃぶっているのかもしれませんよ?」
 朝比奈が飛び出した。
「待て朝比奈! 挑発だ!」
 鷺沢が止める一瞬早く朝比奈は駆けていた。綾と美樹、スノウも朝比奈を追う。
「ああああああああッ!」
 朝比奈が怒りに叫びながら跳んだ。朝比奈の身長は同世代よりも低いが、その跳躍は豚の頭の高さを軽く超えた。
 豚はまだニヤけた顔で朝比奈を見ている。
「まずい……」と美樹が言った。
 小柄な体を活かして豚の下半身を狙えば、勝機はあったのかもしれない。
 確実に勝てる状態でなければ、相手の正面に飛び込むなど絶対にしてはならない。
 ふん! という豚の気合と共に、ボグン……という重い音が響いた。
 殴りかかろうと振りかぶっていた朝比奈の小さい身体が、一瞬でくの字に折れる。
「ゔッ!?」
 普段のしゃんとした朝比奈からは想像できないほど濁った悲鳴。
 豚は飛び込んできた朝比奈の腹に、丸太のような拳を容赦無く打ち込んだ。その巨体からは想像できないほどの鋭く凶悪な攻撃だった。
「がぶッ……!?」
 豚の拳に腹部を陥没させられたまま、朝比奈は大口を開けて空気を求めるように天を仰いだ。身体にぴったりとしたスーツが痛々しくめり込み、ミシミシと音を立てている。
「ダメダメ。子供が大人に殴りかかるなんて」
 豚は笑みを浮かべながら、意識が途切れかけた朝比奈の腹から拳を抜き取ると、背後から抱き抱えるようにして朝比奈の首に腕を回した。
「大人に逆らったらどんな目に遭うのか、みんなに見てもらおうね?」
 朝比奈の背中にも腕を当て、首を絞めあげるようにして強引に朝比奈の身体を反らせる。
 グキッ……という嫌な音と共に、朝比奈の背が弓なりに反らされる。
 絞首刑と海老反りを合わせたような拷問のような責めに、朝比奈の窄めた口から「ぐぷっ」水っぽい音が漏れた。
「おっと、それ以上近づくと、この子の背骨がポッキリと折れてしまいますよ?」
 豚が走り込んでくる鷺沢達に言った。豚がわずかに力を強め、朝比奈の背骨から嫌な音が聞こえる。綾が「くっ」と悔しそうな声を出して静止した。
 豚は朝比奈を抱き抱えたまま後ずさる。
 手下の賎妖が後部座席のドアを開けて控えていた。豚が朝比奈を抱きすくめたまま、難儀そうに乗り込む。
「そうそう、肝心なことを言い忘れておりました」と、豚が言った。抱えられている朝比奈は、豚との体格差もあって人形のように見えた。「我々は夢物語をしているのではありません。我々は皆様人間を、簡単かつ安全に人妖に造り替える方法を確立いたしました。志半ばにこの世を去った同志、篠崎冷子が成し得なかった研究を、我々の新たな指導者ノイズ・ラスプーチナ様がその天才的頭脳を用いて、いとも簡単に成し遂げられたのです」
 スノウの顔色が、魂が抜けたように真っ青になった。
 豚はその表情の変化を楽しむようにスノウと視線を合わせ、喋り続けた。
「我々は返事を待つつもりはございません。あなた方が我々の提案を受け入れようが拒否しようが、プロセスは着実に実行いたします。そのための準備も進んでおります。皆様の意思とは関係なく、皆様は人妖になるのです。しかし、ここの皆さんはとても美しい。願わくば皆さんは人妖にならず、人間牧場で我々の栄養源になってほしいものですな。はははは」
 賎妖達の車は朝比奈を乗せたまま急発進し、見えなくなった。
 鷺沢が悔しそうに舌打ちをすると、踵をかえして本部に向かった。出迎えるようにシャッターが開いた。
「朝比奈戦闘員が連れ去れれた。すぐに追うぞ。輸送車の準備をしろ」
 鷺沢が素早く指示を飛ばした。背後を振り返り、綾たちを見回す。
「すぐに出動だ。朝比奈戦闘員を無事に連れ戻してほしい。すまないが、私はここに残って全体の指揮を執る」
「ええ、必ず探し出して保護します」
 綾の言葉に、鷺沢は首を振った。
「探し出す必要はない。シャッターを出る瞬間に車に向けて発信器を飛ばしておいた。反応を追えば奴らの居場所がわかるはずだ。あいつら……和解どころか宣戦布告してくるとはな」

「車に発信器が付けられているでしょうから、予定地点で車を放置してください」
 豚が耳に当てている携帯電話の向こうで、ノイズがまるでゲームを楽しむような声色で言った。
「発信器ですか? いつの間に」と、豚が眉を上げた。
「その程度はやってくれないと困ります」と、ノイズは静かに笑った。手短に用件を伝え、その都度豚が丁重に返事をしながら頭を下げた。
「なるほど……えぇ、仰せの通りにさせていただきます」
 豚が電話の向こうのノイズに対して、限界まで頭を下げる。背後から抱き竦められたままの朝比奈の身体が折れ、苦しそうな声を出した。豚は電話を終えると、さて、と言いながら破顔して朝比奈の顔を覗き込んだ。
「朝比奈ちゃんと言ったかな? まったく、とんだ土産をもらったものだ。スノウちゃんに再会できただけでも天恵なのに、まさか君みたいな天使がいるとはね。他の女供は全員十代後半のババァばかりで、目が腐るかと思ったよ」
 豚が朝比奈の頬を力づくで掴んで、強引に口を開かせた。そして自分の舌を朝比奈の小さい口にねじ込む。朝比奈の目が見開いた。豚はじゅるじゅると音を立てて朝比奈の舌と唾液を吸い、自分の唾液と混ぜ合わせて朝比奈の口に押し戻した。朝比奈の小さい口から溢れた唾液が喉を伝う。
「どうだい大人のキスは? これからたっぷり教えてあげるからね。朝比奈ちゃんみたいな小さくて可愛い子がこんなエッチな格好をしてたら、どんな風にレイプされちゃうのかを」
 豚は再び朝比奈の口を吸いながら、朝比奈の足の付け根に手を這わせた。運転手は見ないフリをしている。豚達を乗せた車は人気の無い港湾の倉庫に入っていった。


※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

NOIZ7のコピー


 綾がベッドの上に身を起こそうとすると、ノイズに蹂躙された内臓が悲鳴を上げた。「うぶッ!?」とえずいて口元と腹を押さえ、ビデオの一時停止を押したように固まる。内臓がギュルギュルと音を立てて、捻れるように痛んだ。鷺沢がベッドに駆け寄り、綾の身体を支えた。
 医務室の中央では憔悴しきった男性戦闘員が丸椅子に座っている。美樹は壁に寄り掛かって腕を組み、スノウは部屋の隅の椅子に座ったまま、両手で頭を抱えていた。
「あの女は会議室に突然現れたんです……」と、男性戦闘員が何も無い床をじっと見つめたまま話し始めた。「現れたと言っても、ドアを開けて入ってきたのではありません。我々が着席して会議が始まるのを待っていると、まるで最初からずっとそこにいたかのように、いつの間にか部屋の隅の椅子に座っていたんです。もちろんざわつきましたが、如月シオン上級戦闘員が戻ってこられたと喜ぶ者もいました。その中の一人が駆け寄り、次の瞬間に崩れ落ちるように倒れたんです。なにが起きたのか、誰もわかりませんでした……」
「会議なんて予定されていなかっただろう」と鷺沢が険しい顔をして言った。
 戦闘員は首を振った。「ファーザーの声で放送がありました。本部に残っている戦闘員は、直ちに中央会議室に集合するようにと。半年振りのファーザーの指示に驚きましたが──」
 怪我人は男女合わせて十八名に及んでいて、そのほとんどは綾と同じように一撃で戦闘不能にされたそうだ。上級戦闘員ですら一撃で倒され、残った一般戦闘員やオペレーターは手も足も出ず、蜘蛛の子を散らすように逃げ隠れたらしい。男性戦闘員が医務室から出ていくと、不安そうに医務室を覗き込むオペレーターや一般戦闘員の姿が目に入った。鷺沢は廊下に出て、残った戦闘員は自分の持ち場で待機し、オペレーターはなるべく一箇所に固まるように指示した。
「──なにがどうなっているのか、話してもらうぞ」
 美樹がスノウに言った。問い詰めるのではなく、語りかけるような口調だった。「ノイズ・ラスプーチナと言ったな。あれはシオンなのか?」
 美樹の言葉に、スノウは黙って首を振った。
「あれは、お姉様じゃない……」
 暗い声でスノウが言った。
「じゃあ誰なんだ? お前のもう一人の姉か? それとも親戚か?」
 スノウはまた首を振った。なにかを言おうとして息を吸い込み、ため息を吐くのを繰り返した。やがて決意したように顔を上げた。
「もう全部話すわ……あれは以前お姉様の中にいた、もう一人の人格なのよ……」
 美樹と鷺沢は顔を見合わせた。綾も驚いた顔をしている。
「……なんだその安っぽい漫画みたいは話は」と、美樹が呆れたように言った。「あいつとの付き合いは二年になるが、そんな気配は全く無かったぞ」
「付き合って二年……? じゃあ美樹はお姉様の何を知っているの?」と言いながら、スノウは美樹を睨んだ。「おかしいと思わなかったの? お姉様ほど聡明で、自分で言うもの何だけど世界的企業の長女が、理由もなく遠く離れた日本で一人暮らししているわけないじゃない! それこそ安っぽい漫画みたいな設定だわ。お姉様に及ばない私ですら飛び級で大学を卒業しているのよ? お姉様ほどの人が今だに日本で高校に通っているなんて、アスクレピオスとラスプーチナ家にとってはとんでもない機会損失よ!」
 スノウは一気に捲し立てた後、下を向いて首を振った。
「──ごめんなさい。人が踏み込んでほしくない領域には踏み込まない……美樹は昨日言ってたわよね。知らなくて当然だわ……」
「その踏み込んでほしくない領域が、とんでもない機会損失を受け入れてまでシオンが日本にいる理由なんだな?」
 美樹の言葉に、スノウが頷いた。
「……お姉様はね……お父様を殺してしまったのよ」
 スノウが震えながら絞り出した言葉に、三人は絶句した。
 綾が呻きながらベッドから降りた。
 鷺沢と美樹が慌てて止めたが、綾は振り切って肩で息をしながらスノウを睨んだ。
「何よそれ……? シオンさんがそんなことするわけないでしょ!?」
「不幸な事故だったのよ!」
 スノウが叫んだ。目に涙を浮かべながら歯を食いしばっている。「お父様はとても忙しい方で、その日は半年ぶりに家に帰ってきたの。両手にプレゼントを抱えて、私達を驚かせようとこっそりと階段を上って来た。そして喜んだお姉様がお父様に抱きついたの……。お父様はバランスを崩して、階段からお姉様と一緒に落ちてしまった。お父様はお姉様を庇って、自分をクッションにして守ったんだけど、大理石の床に後頭部を強く打って……。不幸な事故よ……私はもちろん、家族は誰もお姉様を責めなかった……。対外発表では、お父様は一人で足を滑らせたことになっているわ……今でもね」
 医務室の中は水を打ったように静かになった。
 「綾の言う通りよ……私だってそう思ってる」とスノウがポツリと言った。「お姉様がそんなことするわけない……。あれは不幸な偶然が重なってしまった事故なのよ。私も家族ももちろん強いショックを受けたけれど、でもお姉様のせいにはしなかった……。何回も言うけれど、これは事故なのよ。でもお姉様だけはそう思わなかった……。自分がお父様を殺したんだと、お姉様は自分を許さなかった。お姉様はそれはもうひどく落ち込み、ベッドから起きられず、食事も摂れない状態になった。そして数日後に意識を失って倒れたの」
 冬の海のような沈黙はまだ部屋を支配している。
 スノウは涙を袖で拭うと、話を続けた。
「生まれた時から『良い子』『良い子』と周囲から言われ、期待され、自分自身もそうあろうと努力してきたお姉様が犯した最大のタブー。お姉様はそれを受け止めきれなかった……。そして、病院のベッドで目が覚めたお姉様は、事故のことはなにも覚えていなかった。何事もなかったかのように、いつもの明るいお姉様に戻っていて、なぜ自分が病院にいるのかすらわかっていなかった。私達家族はむしろ好都合だと思って、対外発表と同じ内容をお姉様に伝えた……。でも、なにも解決していなかったの……。お姉様はちゃんと覚えていた……お父様の死の記憶と真実を、別の人格に移しただけだった……」
「その移された人格というのが、さっき綾を襲った女か……」
 美樹の言葉に、スノウは苦い顔をして頷いた。
「……お姉様は自分の中に、自分ではない『悪い子』を造ってしまったの。それ以来、お姉様の様子が時々おかしくなった。『悪い子』のノイズが表に現れてくるようになった。私はお姉様じゃないってすぐにわかったわ。お母様はすぐに専門の医者を雇って、医者の提案でお姉様を、お父様の死を想起させるラスプーチナ家から遠ざけることに決めた。ラスプーチナ性ではなくお母様の如月性を名乗らせて、日本のお母様の実家に住まわせて、アナスタシア聖書学院の初等部に編入させたの。雇った医者が優秀だったみたいで、日本に行く前の段階でノイズはすっかり出てこなくなった。医者はノイズが消滅するのは時間の問題だけれど、念のために高校を卒業するまではお姉様は日本で暮らしたほうがいいと言ったわ。これがお姉様が日本にいる理由……」
 綾はやるせないような表情を浮かべままま壁を叩いた。「過去に何があったって、シオンさんはシオンさんじゃない……」
 そうだな、と美樹も暗い顔で言った。
「だが、少しわからないな」と、美樹は腕を組んで言った。「今の話だと、日本に来る前にノイズはほとんど消滅しかかっていたんだろう? シオンが高校卒業まで日本に滞在するのはあくまでも保険的な措置で、問題はほぼ解決していたはずだ。さっきも言ったが、私はこの二年間、シオンがそんな問題を抱えているなどとは微塵も思わなかった。お前だって来日するたびにシオンの家に泊まったんだろう? シオンにおかしいところがあればすぐに気が付いたはずだ。なぜ消えたはずのノイズが存在しているんだ?」
 スノウは、わからないと言って首を振った。「私にも、正直お姉様になにが起きているのかわからないの……。そもそもこんなに長い時間ノイズが出現し続けていることすらあり得なかった。子供の頃ですら、長くても一時間程度しか出現しなかった……。私は来日前からあらゆる可能性を考えたけれど、でもあれはノイズで間違いないわ。あの恐ろしい笑顔は子供の頃に見たままだったし、ノイズは『良い子』と『悪い子』という区別にとてもこだわっていたから……」
「なるほど。そういえば私にも『悪い子』だとか言ってきたな……」と言いながら、美樹は目を瞑って鼻筋を揉んだ。
「私がノイズの出現に気が付いたのは二週間くらい前。アスクレピオスの財務システムにハッキングがあったの。気がついたのは私だけ。大型の投資案件に紛れ込ませた不正融資で、融資先は日本のレイズ社だった。アスクレピオスの中では話題にすら上がっていなかった会社よ。詳しく調べたら、半年前お姉様が行方不明になった直後から不正融資は始まっていて、多くの国や衛星を経由していたけれど、どうやらお姉様の部屋のパソコンからアクセスされているみたいだった。私は誰にも言わず、社内でレイズ社との業務提携の稟議を通して日本に来た。業務提携するつもりなんて最初から無かったわ。私がレイズ社に接触すれば、お姉様といずれ会えるかもしれないと思って……。レイズ社が予想以上に提携に乗り気で、中身が乏しい会社だったのは計算外だったけどね」
「しかし、ノイズは一体なにをしようとしているんでしょうか? そんなウイスキーメーカーに資金提供しても、ノイズ自身にメリットは無い気がしますが」
 鷺沢の言葉に、スノウも首を振った。
「私にもわからない……。ただ、これだけははっきり言える」
 スノウが顔を上げて、全員を見回しながら震える声で言った。
「ノイズの頭脳と身体はお姉様と同じなの……ノイズが何の考えも無しに動いているとは思えない。絶対に何か意味と計算があって行動しているはず……。今日、私達の前に姿を現したのも、そもそも私に不正融資を発見させたのも、計算があっての行動だと思う」
「如月上級戦闘員と同じ……」と、鷺沢が顎に手を当てて言った。「会議室では私を含め、誰もノイズの動きを把握できませでした。あれは全員の死角を一瞬で把握し、共通する死角の中を移動しているんです。如月上級戦闘員の桁外れな頭脳と身体能力が合わさらないと出来ない芸当です。また、如月上級戦闘員は今まで相手を必要以上に傷つけることがないように、相手の急所をあえて外して一撃で倒す戦闘スタイルでした。でもそれは逆に言えば、相手の急所を一瞬で把握できる能力があるからこそ可能なんです。先ほど神崎上級戦闘員が倒された時のように、その気になれば相手に最大限の苦痛を与えることが出来るということに他なりません」
「仮にノイズと戦闘になったら、本気になったシオンが頭脳と能力とフル活用して、手加減無しに襲ってくるということか……」と、美樹がこめかみを揉みながらがら首を振った。「心強い味方ほど、敵に回ると恐ろしいものだな」
「まだ敵に回ったと決まった訳じゃないじゃないですか」と、綾が言った。
 その時、微かに地鳴りのような音が聞こえた。
 全員が無意識に天井を見上げた。
 一瞬置いて、緊急事態を告げる警報が鳴り響いた。
 鷺沢が通路に走った。
 ドアの向こうでは戦闘員達が慌ただしく走っている。
 鷺沢が一人を呼び止めて事情を聞いた。首都高側の入り口に、何者かが車で突っ込んだらしいと男性の戦闘員は言った。「緊急用のシャッターが下されているので、中に入っては来られないはずです。しかし警備担当の報告によると、ロータリーには体当たりした車がまだ残っているそうです」
 鷺沢はすぐにスマートフォンから館内放送を通じて指示を出した。綾はベッドから降りて、パジャマのまま戦闘用のグローブをはめている。「まだ無理だ」と制止する美樹に対して「寝ていられない!」と首を振り、吸入器を口に咥えて緊急用の噴霧式麻酔薬を吸った。
 スノウも医務室を出ようとして走った。
「お前はここにいろ!」と、美樹がスノウの肩を掴んだ。
 警報は相変わらずけたたましく鳴り響いている。
「来たのはノイズの関係者で間違いない! ノイズ本人だっているかもしれない! ノイズがいるということは、お姉様だってそこにいるのよ!」
 スノウが険しい顔をして美樹を振り返りながら言った。素直に言うことを聞くとは思えない勢いだった。仕方なく、スノウを含めた四人で首都高側の入り口に向かった。閉鎖されているシャッターの内側には、十人ほどの戦闘員が待機していた。
「報告します」と、紺色の競泳水着のような戦闘服に、太ももや二の腕までを覆う黒いサポーターを身につけた小柄な女の子が、敬礼しながら鷺沢の前に歩み出た。背中まである黒髪で、背はスノウと同じく150センチほどしかない。顔つきは身体のイメージ通り幼いが、表情は責任感に満ちている。
「朝比奈(あさひな)戦闘員」と、鷺沢は言った。
「はい。この中では私が最もランクが高いので、僭越ながらこの持ち場は私が取りまとめをしています。不審車両は二台。まだシャッターの外で待機しています」
 ハキハキとした口調で朝比奈が報告した。下手したら中学生に見える容姿からは想像できないほどの責任感のある口調だった。
 鷺沢が頷いて、その場の全員を見回した。「よし、これからシャッターを開ける。表に出るのは私と鷹宮上級戦闘員、そして朝比奈戦闘員だ。他の人間は内側で待機。神崎上級戦闘員、どうだ?」
「いけます」と、綾が答えて、拳と掌を合わせた。「麻酔が効いているだけだ、無理はするな」と鷺沢が言った。
「私も出る」と、スノウが進み出た。何かを言いかけた美樹を手をあげて制した。「わかってる。でも行かせて。私はお姉様が帰ってくるのなら、なんだってするわ」
 何かあったらすぐにシャッターを閉じろと鷺沢が言って、一人が通れるギリギリの幅で両開きのシャッターが開かれた。
 車から見て左から朝比奈、鷺沢、美樹、スノウ、綾の順番で横並びになる。
 黒塗りの車が二台停まっていて、車種は最新式のトヨタのセンチュリーとクラウンだった。クラウンにはプッシュバンパーが取り付けられている。こちらが体当たりした車体なのだろう。運転手はまだ乗っているらしいが、車内が暗くよくわからない。やがてセンチュリーの助手席が開き、黒いスーツを着た男が降りて後部座席を開けた。
 ドアの開いた後部座席から、ひときわシワだらけのスーツを着た男が難儀そうに降りてきた。
 かなりの肥満体で、清潔感がない容姿をしていた。
「まさか、賎妖か?」と、鷺沢が眉を潜めて言った。
 後部座席から降りた男が、両手を広げて歩み寄ってきた。
 鷺沢達が身構える。
「あっ」と、スノウが声を出した。
 車から降りてきたのは、三神の秘書を勤めている自らを「豚」と名乗った男だった。

NOIZの前編はあと2〜3話程度を予定しているのですが、今後のストーリーを調整する必要が出てきたため、更新ペースが少しゆっくりになります。
お待たせして申し訳ありませんが、どうか飽きずに読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

姉妹2のコピー

 スノウの所有するロシア製の高級車「アウルス」は静かに首都高を疾走した。
 前方を走る鷺沢の乗った車を追いながら、助手席の美樹が運転手に細かい指示を出している。
 後部座席には綾とスノウが座っている。空間は十分な広さがあり、座り心地は恐ろしく快適で、まるでリビングがそのまま移動しているようだ。しかしスノウはずっと親指の爪を噛みながら身をかがめ、険しい顔をしている。
「大丈夫?」と綾がスノウに聞いた。「車出してもらってなんだけど、私達を下ろしたらすぐにホテルに帰ったほうがいいわ。別にあんたが嫌いとか、意地悪とかで言っているんじゃないの。単純に危険なのよ。アンチレジストの本部に何者かが侵入したなんて前代未聞だし、鷺沢さんの話だと結構な被害も出ているみたい。もし強力な敵がいたら、私や美樹さんでも守れないかもしれない。悪いことは言わないから、本部に着いたらすぐに帰ること。わかった?」
 綾も美樹も、それぞれセーラー服と巫女服を模した戦闘服に着替えている。
 本部に侵入した敵がまだ居座っているとしたら戦闘は避けられない。それ以前に厳重にセキュリティがかけられているアンチレジスト本部に侵入できる敵とは、一体何者なのか。
 スノウは「わからない」と言って首を振った。顔色が悪い。「あまり見くびらないで。私やお姉様は一般人に比べて狙われる危険性が高いから、いざとなったら自分で自分の身を守れる術は子供の頃から身につけている。こう見えても結構強いのよ? 信じられないのなら一度手合わせしてみる?」
「強がってる場合じゃないでしょ? 相手は人妖かもしれないのよ? 誘拐犯なんかとは訳が違う、人間離れした怪物なのよ?」
 スノウは追い詰められたような表情のまま、何も言わずに窓の外に視線を移した。
 車は首都高の地下トンネルに入り、緊急車両用と書かれているシャッターの前で停まった。鷺沢が車から降りて、隣に埋め込まれたパネルに手をかざすと、自動でシャッターが開いた。内部はオレンジ色の照明が等間隔に配置されたトンネルが続いている。しばらく走るとロータリーのような場所に出て、その先はコンクリートの壁で行き止まりになっている。マイクロバスのような車と、数台の乗用車以外は何も無い。
 美樹が「着いたぞ。アンチレジストの本部だ」と言って助手席から降りた。どう見ても行き止まりだ。スノウも戸惑いながら車から降りる。
 鷺沢が壁の一部に掌を当てると、壁の中央が左右に開いて入り口が現れた。先ほどのシャッターと同じ仕組みだ。
 四人が中に入る。
 内部もこれといった装飾はなく、外壁と同じコンクリート剥き出しの壁が一直線に伸びている。左右にはグレーに塗装された鉄製の扉が多数あるだけだ。
 荒らされた様子はないが、静まり返っている。
 綾と美樹が視線を合わせて頷いた。綾が先頭に、美樹が最後尾に立って、鷺沢とスノウを挟むように一列になって進んだ。
「まるで一昔前の生物研究所みたい……」と、スノウがしんがりを歩く美樹を振り返って言った。
「一昔前どころか本当に古い」と、美樹が言った。「だが、今回のような場合には役に立つ。内部は一本道で、見ての通り極力遮蔽物を無くしている。敵が隠れられないようにな。出入口は今入ってきた所と、この通路の突き当たりの二箇所のみで、一本のチューブのような構造だ。だからこの隊列が襲われたときに最も対処しやすい」
「車が随分と少ないように思えたけど?」と、スノウが言った。
「隊員の多くは地上の隠し通路から入っている。地下鉄の駅やビルの中に直通している通路があって、ロータリーの手前に出られる。私も車で来たのは久しぶりだ」
「ドアの中の設備は新しいんですよ」と、鷺沢が言った。「ここまで閉塞感があると職員のメンタルにも影響しますから、会議室やトレーニングルームの内装には気を使っています」
 静かに、と先頭を歩く綾が言った。
 微かに呻き声のようなものが聞こえてくる。
「中央会議室だな」と、美樹が言った。視線の先に木製のドアがある。
 綾が慎重にドアを開けた。
 三十人ほどが入れそうな会議室だが、コンピューターが床の上に落ち、椅子や机が散乱している。倒れている戦闘員やオペレーターの姿が目に入った。四人がそれぞれ駆け寄って介抱すると、いずれも致命傷ではないようだ。
 突然、天井に埋め込まれたスピーカーが起動した。
 ──遅かったな。
 機械加工された男性の声。
 聞き慣れた声だ。
「ファーザー?」と鷺沢がつぶやいた。
 四人は無言で天井を見上げた。
 ──アンチレジストがここまで不甲斐無いとは思わなかった。人妖相手に、よく今まで持ち堪えられたものだ。
 鷺沢が天井に向かって叫んだ。「ファーザー、どこにいるんです?! みんなあなたを待っていたのに、そんな他人事みたいに……」
 ファーザーは低い声で笑った。
 スノウはガタガタと震えている。
 異様な怖がり方だ。
 歯がガチガチと鳴り、その音は近くにいた綾にまで聞こえた。綾が気がついて、スノウの手を握った。
「どうしたの? 大丈夫?」
 綾が問いかけても、スノウは戦慄したままだ。こんなスノウの姿を見たのは初めてだった。美樹と鷺沢もスノウのただならぬ様子に気が付き、近くに駆け寄った。美樹が屈んでスノウに目の高さを合わせて「どうした?」と聞いた。
「な……なんで」と、スノウが震える声で言った。
 スノウは両手で頭を抱える。「なんでファーザーシステムが起動しているの……? こっちから操作できなくなったはずなのに……」
「……なんだと?」と美樹が言った。
 スノウは小刻みに首を振った。歯が鳴らないように、必死に歯を食いしばっている。
 ──あら? スノウもいるの?
 スノウの顔から、ふっと表情が消えた。
 突然地面が消えて、自分が奈落に落ちていくのを理解した瞬間のような顔をしていた。
 突然ファーザーが女性のような口調になったので、スノウ以外の三人は目を見合わせた。
 スピーカーに一瞬ノイズが走り、プツンと音を立てて通話が途切れた。
 会議室は水を打ったように静かになった。
 事態が把握できない。
 今のは一体何なんだ。
 やがて、コツコツという足音が廊下に響いてきた。
 こちらに向かってくる。
 誰も口を開かず、押し黙ったまま会議室の入り口を凝視した。
 人影が現れた。
「……シオンさん?」
 綾が呟くように言った。
 その人は、胸元の大きく開いた黒いドレスを着ていた。ぬめるような光沢の、最高級のシルクが使用されていることがひと目でわかる。赤いエナメルのヒールから黒いガーターベルトの付いたストッキングが伸び、ドレスの中に続いている。深紅のジャケットを半脱ぎにして腕に掛け、両手には黒いレースの手袋をはめていた。そして、所々に血のような赤い毛がマダラに混ざった長い金髪を、ツインテールにまとめている。
「お前……なにをしている?」
 美樹が幽霊を見たような口調で言った。
「や……やっぱりあんたの仕業だったのね!」
 突然スノウが叫んだ。三人が驚いてスノウを振り返る。スノウは両手を血が出るほど握り込み、歯をむき出しにしてドレスの女性を睨んでいた。
「あら? どうしたのスノウ? そんなに怖い顔をして?」
 女性は歌を歌うような柔らかい口調で言った。スノウの取り乱した様子など意に介さず、人差し指で自分の唇を撫でながら首を傾げている。「久しぶりの姉妹の再会なんだから、もう少し喜んでもいいんじゃないかしら?」
「お前は私のお姉様じゃない!」
 スノウは喉が裂けそうなほどの勢いで叫んだ後、憎々しげに食いしばった歯の隙間から「……ノイズ・ラスプーチナ」と絞り出すように言った。
「ノイズ・ラスプーチナ? シオンじゃないのか?」
 美樹がスノウからノイズに視線を移した。服装や髪の色以外はシオンそっくりだが、表情や雰囲気がまるで違う。ノイズはゆっくりと室内に入ってきた。
「シオンさん何やってるの?! みんな心配してたのよ!」と言いながら、綾がノイズに近づいた。
「綾!? ダメ!」とスノウが叫ぶ。
 ノイズの姿が一瞬で消えた。
 四人が呆気に取られる暇もなく、ゴリュッ……という嫌な音が室内に響いた。
 再び姿を現したノイズは綾のセーラー服のリボンを掴み、前屈みになった綾の腹に膝を打ち込んでいた。
「──ぐぷっ!?」と、綾の口から水っぽい音が漏れた。
 ノイズは「くふっ」と小さく笑うと、綾の腹に打ち込んだ膝を別の生き物のようにねじり、胃と肝臓をすり潰すように掻き回した。ぐぢゅり……という厭な音と共に、綾の身体が電気に打たれたようにビクンと痙攣した。
「ぎゅぶえッ?! げぅッ?! ゔぶっ……う……うぶえろおぉぉぉぉ……!!」
 綾は膝から崩れ落ち、額を床にしたたかに打ち付けた。そのまま床にエビのように丸まり、白目を剥いたまま嘔吐した。一瞬で急所という急所を同時に潰されたことによる凄まじい苦痛が身体中を駆け巡り、両手で腹を抱えたまま痙攣している。
「まぁ汚い。人前で嘔吐するなんて、私だったら恥ずかしくて生きていけません」
 ノイズは笑みを浮かべたまま口元に手を当て、蔑みの混ざった視線で綾を見下ろした。
 再びノイズの姿が消え、スノウの前に表れた。横切られたはずの美樹と鷺沢にはノイズの姿は見えず、風だけが美樹と鷺沢の髪を揺らした。
 ノイズは中腰になって、真っ青になったスノウの顔に鼻が触れ合うほど自分の顔を近づけた。
「そんなに怖い顔しないで? 大丈夫、スノウの大好きなシオンは、ちゃんと『良い子』にしているわ」
 ノイズが至近距離でスノウの目を覗き込んで首を傾げた。顔は満面の笑みだが、目は全く笑っていない。綺麗なエメラルドグリーンの瞳の下半分は、内出血したように赤色がせり上がっている。シオンと同じく顔の造形が異様に整っているだけに、背筋が凍るような不気味さがあった。
 スノウは恐怖を振り切り、ノイズに向けて蹴りを放った。体幹と重心を固めた、美樹や鷺沢が見ても唸るような見事な蹴りだった。攻撃が当たる前にノイズの姿が消え、スノウの蹴りは空を切った。
 ノイズは机の上に姿を現した。 
 下着が見えるのも構わずしゃがみこんで、「危ないじゃない?」と言いなら自分の小指を蠱惑的に舐めている。
「あら? あなた……」とノイズが嬉しそうな顔をして、スノウから美樹に視線を移した。「良い目をしているわね? 目の奥底が暗いわ。『悪い子』の目……過去になにがあったの?」
 何が嬉しいのか、ノイズは限界まで口元を釣り上げた。
「許さない……絶対に許さない!」と、スノウが叫んだ。
 スノウが美樹の横をすり抜け、ノイズに飛びかかった。跳躍して前転し、ゴシックロリータのスカートを翻してノイズ目掛けて踵落としを仕掛ける。シオンの得意技だ。派手な音を立てて机が割れたが、ノイズの姿は既に消えていた。ノイズはそのまま姿を表さず、床に転がった綾が苦しげに呻く声だけが残った。


※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

NOIZ7

イラストレーターさんが「イラストの息抜きにイラストを描く」というのが最近わかった気がします。
少し前から本編を書く前に筆鳴らしとして、頭を空っぽにして落書きしてから書くようにしています。
現在書いている本編に合わせて、シオンさんとスノウのネタが多めです。

スクリーンショット 2021-02-18 12.14.02


【コンプレックス】
 スノウがまた会見でやらかしたらしい。
 シオンは自室で頭を抱えながら、ひっきりなしにスマートフォンに流れてくるニュースの見出しを目で追った。
「『私の言う通りにしろ』と威圧的。ロシアの大手製薬会社アスクレピオス創業家の令嬢」
「『プランは全て私が考える』と一喝。提携先立場無し」
 名誉のために言うが、スノウは有能なのだ。
 事実スノウの発案で業務提携した企業のほとんどは最初こそ反発するものの、結果的に当初の目論見以上の成果を挙げ、円満に感謝されて終わることがほどんとである。失敗した提携は決まって相手がスノウに反発し、勝手にプランを書き換えた場合に限っている。
 それに身内の贔屓目ではなく、可愛いところもあるのだ。
 少なくとも姉である自分は慕ってくてれいるようで、来日するたびに自分の所に泊まりに来ては猫のように甘えてくる。好きなゴスロリブランドをに一緒に行くと、子供のようにはしゃぐ。そして私が料理を作ろうとすると「お姉様は休んでて! ここは私がやるから!」と気を使ってくれる健気な面もあるのだ。
 本人からはニュースになっていることなど知ってかしらずか、あと一時間ほどで着きますと可愛い絵文字付きのメールがきた。

「あのねスノウ、発言する時は相手がどう思うか考えてから発言しないと……」
 シオンの声に応える代わりに、スノウはシオンの腰に手を回し、身体に顔を押し付けた。ソファに座ったシオンに膝枕をされたまま抱きついているスノウの姿を見たら、先ほど記者会見でコテンパンにやられた相手企業の役員はなんて思うだろう。
 無意識にシオンもスノウの頭を撫でてしまう。これではまるで甘えている犬だ。
「見えない……」とスノウが静かな声で言った。
「え?」と、シオンが戸惑った声で言った。
「お姉様の顔が見えない! その胸で!」
 胴体の方に顔を向けているスノウが言った。確かにシオンからもスノウの顔が見えない。
「お姉様が私に来るはずだった栄養を全部持っていったのよ……。それに性格だって、本当はお姉様みたいに誰からも好かれる性格になりたかったわ……」
 スノウがさらに強く抱きついた。
 こうやって甘えてくる時は、なにか嫌なことがあったのだろう。
 本社の人間に会見を咎められたのかもしれない。ここは姉として慰めないわけにはいかない。甘えられるだけの存在ではなく、頼れる姿を見せなければ。
「大丈夫よ。スノウは今のままでもとても魅力的だもの」
 本当? と言ってスノウが顔を上げた。うん、可愛い。
「性格や体型なんて簡単に変わるものではないし、自分だけの力ではどうにもならないわ。周囲の環境やサポートがとても重要なの。スノウの責任じゃないわ」
 スノウが起き上がってシオンの横に座った。
「そう……なのかな?」
 スノウが俯いたままポツリと言った。可愛い。
「そうよ。だからまずはちゃんと栄養を摂って、しっかり休息することが大切なの。あまり根を詰めずに、今日くらいはゆっくり休んでね」
「……うん」
 スノウが頷いて、シオンが微笑んだ。
「そうと決まったら、まずはしっかり栄養と摂らないとね!」
「……えっ?」
 スノウの表情があからさまに変わった。
 顔色が悪いスノウに反して、シオンはニコニコしている。「いつも疲れているのにスノウが料理を作ってくれるから、今日はその前に私が頑張って作ったんだから!」
 シオンが胸の前で力強く両手を握った。
 いや……あの……と言い淀むスノウを尻目に、シオンはキッチンに入るとゲル状になった紫色の物体をトレイに乗せて運んできた。しかも表面が真っ黒に焦げている。
 絶句するスノウに、シオンがニコニコしながら言った。
「頑張ってグラタン作ったのよ! タマネギを買い忘れて紫キャベツを使ったからちょっと色が悪いけれど、栄養満点の納豆もちゃんと入って──」
 スノウは意識が遠のくのを感じながら、明日の仕事が全てキャンセルになった場合のスケジュールを考え始めた。


【ロシア人美人コスプレイヤーKZさん】
「へぇ〜、コスプレって文化が日本にはあるんだ……」
 風呂から上がったスノウがソファに寝転びながら呟いた一言に、シオンはぎくりと背中を硬直させた。トレイに載せているティーポットとカップが小刻みに震えている。
「うわ! すご! こんなに人だかりができるの?! お姉様、見て見て!」
 平静を装ってコーナーソファに座ったシオンに、スノウが目を輝かせながらタブレットの画面を見せてきた。こう言う時は子供っぽく可愛いのだが、シオンは内心焦っている。そ、そうね……とつい素っ気ない返事をしながら、スノウの画面を盗み見た。コスプレイヤーを取り囲むカメラマンが黒山の人だかりになっている。前回のコミックマーケットに参加している人気コスプレイヤーを特集したネット記事だ。
 そして視界の隅に見つけてしまった。
 関連記事で表示されている、「話題沸騰! 人気ロシア人コスプレイヤー・KZさんインタビュー ”コスプレはもはや世界的文化” 自身が日本のアニメに衝撃を受けた日を語る」という記事を。
 これはまずい。
 いや、コスプレが人気なのはまずくないが、人気ロシア人コスプレイヤー・KZさんのくだりが非常にまずい。
 スノウは俄然興味が出たらしく、ケーキを食べながら「コミケっていうイベントがあるのね!」などと言っている。まずい。次のコミケに連れて行ってくれなどと言われると非常に困る。なぜならその日シオンはヴァ○パイアシリーズのモ○ガンになる予定なのだ。
「ス、スノウは行っても面白くないかもしれないわよ」と、シオンが言った。声が少し震えている。「私と違ってスノウは漫画やアニメは見ないし、そういうのは元ネタが分からないと……」
「うーん、でもこの人達すごく楽しそうなのよね。楽しそうな人達を見るのは好きだから……」と、スノウが言った。「ほら、私達の国ってなんか硬いじゃない? もしロシアで開催できれば、そういうイメージも少しは薄まると思うし、なにより潜在的な需要があるのかも……」
 まずい、スノウがビジネスの顔になってきた。
 母国開催するなどと言い出したら、需要調査として日本のコスプレイベントのために来日する外国人の数を調査するだろう。カメラマンはもちろん、自らコスプレ参加している外国人も調査するはずだ。人気ロシア人コスプレイヤー・KZさんなど真っ先にスノウの目に留まる。
「……よかったら、今度一緒に行ってみる?」と、シオンが言った。
「えっ? いいの?!」
 スノウが目を輝かせた。
 やむを得ない。
 コスプレをしていた程度でスノウがシオンを嫌いになることはありえないが、どうせバレるのなら、バレ方というものがある。それに吸血鬼は、相手を噛むことで仲間を増やすと言うではないか。
 そう、モリガ○には、リ○スという妹がいるのだ。
 体型的にもピッタリだろう。
 呑気に喜ぶスノウを見て、シオンは犬歯を見せて笑った。


【前衛芸術】
「や……やっと出来ました……」
 シオンがヘナヘナとキッチンの床に座り込んだ。肩で息をしながら、近くにあったミネラルウォーターを煽るように飲む。床には黒いチョコレートの破片や、爆発して飛び散ったクリームが散乱していた。とりえあえず大きな破片はひょいひょいと手でつまみ、クリームは布巾で簡単い拭いた。あとはフラーバとルンバに任せればいい。
 呼吸が整い、ようやく立ち上がると、ゴムでひとつに留めた長い金髪を解く。
「素晴らしい……。これで、もう料理下手なんて言わせないですよ……。ふふ……ふ……」
 シオンにしては珍しく、まるでマッドサイエンティストのような邪悪な笑みを浮かべている。
 システムキッチンの上には、便宜上チョコレートケーキと呼ばれるべき物体が置かれていた。
 その物体はチョコレートケーキのような色と大きさをしているが、形状はなんとも名状し難く破壊的であった。茶色いレンガのような物体は所々が爆発したように弾け、白いクリーム状の液体がものすごい勢いで叩きつけられいる。叩きつけ方もなんとも邪悪である。現在ではすっかり見なくなったが、昭和のバラエティ番組などで「パイ投げ」と称し、皿に盛られたクリームを相手の顔目掛けて投げ合うことがあったが、このクリームの叩きつけ方はまさにそれだ。
 夫婦喧嘩をした陶芸家が、自らの作品に八つ当たりをしたのなら、もしかしたらこんな作品ができるのかもしれない。その物体の前に「妻への怒り」と作品名の書かれたプレートを置けば、何人かの専門家はあるいは感動するだろう。もしくは新進気鋭な前衛芸術家の作品のようにも見える。サザビーズに出品したのなら、あるいは数億円の値がつくのかもしれない。
 しかしシオンはその物体を丁寧に梱包し(梱包は至極綺麗であった)、綾と美樹に電話をかけた。チョコレートケーキを作ったので、一緒に食べませんか? などと訳のわからない言っている。この部屋には「妻への怒り」、もしくは前衛芸術作品はあるが、チョコレートケーキなど無いなずなのに。
 一時間ほどして、美樹と綾が部屋に現れた。
 綾はお守りを両手で握りしめ、目に涙を溜めて内股になって震えている。美樹はなぜか白装束を着て、虚空を見つめて祝詞を唱えていた。まさかこの格好でバイクに乗ってきたのだろうか。
 キッチンの方ではルンバとフラーバが喧嘩するように床を掃除している。

予告


 シオンのマンションを訪れた翌日、綾と美樹は指定された午後六時にスノウの宿泊しているホテルを訪れた。
 海外の要人が宿泊するホテルで、スノウの滞在しているスイートフロアには着物を着た専属のアテンダントがいて、綾と美樹をエレベーターから部屋まで案内してくれた。ドアをノックすると、会見に同席していたスノウの秘書がドアを開けて出迎え、お待ちしておりましたと流暢な日本語で言った。
 室内は家族向けのマンションのように広く、歴史を感じる英国調のインテリアでまとめられていた。秘書がリビングに案内すると、スノウは相変わらずゴシックロリータの服を着て、執務机で真剣な顔をしながらパソコンを操作していた。パソコンの隣には部屋の雰囲気にそぐわないカラフルなチュッパチャプスのホイールディスプレイが置かれていて、スノウが既に食べたのか、三分の一ほどが無くなっている。
「そこに座ってて」とスノウがパソコンのディスプレイを見たままぶっきらぼうに言い、ロシア語で秘書になにやら指示を出した。秘書が二人にソファを勧めると同時に、ルームサービスが三人分の紅茶を持って部屋に入ってきた。紅茶の他に小皿が二つあり、イチジクのジャムと小さなスプーンが添えられている。シオンが好きだった組み合わせだと綾は思い、胸が詰まるような感覚を覚えた。
 秘書が一礼して別室に移動すると、三人はしばらく無言になり、スノウがキーボードを叩くカタカタという音だけが広いリビングに響いた。スノウは真剣に仕事をしているらしく、時々何か呟きながら画面を見つめ、英語で二本、ロシア語で一本、電話をかけた。ディスプレイから覗くスノウの真剣な顔が青白い光に照らされている。まるで人形が座っているように見えた。シオンも人間離れした現実感が無い容姿をしていたが、スノウも同様に、どこか遠い世界の存在のように思えた。
「電話の内容を聞くに、海外支社の財務諸表を照合しているらしいな」と、スノウの英語を聞き取った美樹が綾に耳打ちした。「相手を雑に扱うポーズをすることは主導権を握るための常套手段だが、どうやら本当に急用らしい。急かさない方がいいだろう」
 しばらくして、スノウが椅子に座ったまま伸びをした。仕事が終わったらしい。スノウはまるでマニ車のようにチュッパチャプスのホイールディスプレイを回し、くじ引きをするように一本を引き出して、慣れた手つきで包み紙を解いて口に咥えた。一日の仕事を終える際に毎回行うルーティンなのか、あまりにも滑らかな動作だった。スノウはチュッパチャプスを口に咥えたままソファに歩み寄り、「悪かったわね。こっちから呼んだのに待たせちゃって」と二人に言った。
 スノウは二人に向かい合って座ると、背もたれに身体を預けてストレッチをするように背中をそらしながら、親指と人差し指で目頭を揉んだ。
「随分と疲れているみたいだな」と、美樹が言った。
 スノウは首を振った。「別にいつも通りよ。やることをやるだけ。まぁ、確かに少し立て込んではいるけどね……」
 強がってはいるが、スノウは明らかに疲労の色が見て取れた。綾と美樹も十分に若いが、スノウはそれよりもはるかに若く、身体も小さいのだ(本人に言うと怒るはずだが)。世界的企業の中枢に属し、海外で商談をまとめるなど、その小さな身体にかかっている重圧はいかほどのものかと二人は思った。もちろんそれに見合うはずの収入は得ているはずだが、スノウの年齢からすればそれは大して重要ではないのかもしれない。
「ウイスキーの業務提携の話は順調なのか?」
 美樹の言葉に、スノウは紅茶を飲みながら首を振った。
「順調もなにも、昨日決裂したわ」
 まるで一度も訪れたことがない店の閉店を告げるような、あっさりとした口調でスノウが言った。あまりの興味の無さに綾が驚いた。
「えっ? そのために日本に来たんでしょ?」
「別に。最初からウイスキー事業なんて興味が無いし。あの程度の利益が見込める商談なんていくらでも作れるわ」
 スノウはカップをソーサーに戻すと、小皿のジャムをスプーンで掬って口に運んだ。そして真剣な顔をして二人に向き合った。
「あの男はむしろ、あんた達の方が関係があるんじゃない? アンチレジストとして監視対象にした方がいいと思うわ」
「どういうことだ?」と、美樹が身を乗り出して聞いた。
 部屋がノックされ、スノウの秘書が顔を出して「お見えになりました」と言った。
「ちょうど良かった」とスノウが言った。
 綾と美樹が注目する中、聡明な雰囲気の女性がリビングに入ってきた。女性はスリットの入ったタイトスカートのスーツを着て、ショートカットの髪を軽く染めている。元上級戦闘員で、オペレーターのリーダーを務めている鷺沢(さぎさわ)だ。現在は行方不明になったファーザーの代わりに代理で総指揮を執っているアンチレジストの重要人物だ。
 鷺沢は驚いている綾と美樹に目で挨拶し、スノウの前に進み出た。
「はじめまして。アンチレジストでオペレーターのリーダーを務めている、鷺沢です。現在、指揮官であるファーザーに代わり、私が臨時で指揮をとっています。ご実家のラスプーチナ家、およびアスクレピオス社からは長年多額の寄付をいただき、感謝しております」
 鷺沢はスノウに対して丁寧に頭を下げた。
 スノウは気まずそうに髪を手櫛で梳いた。「そんなに畏(かしこ)まらなくても構わないわ。べつに私が偉いわけじゃないし」
 綾と美樹は顔を見合わせた。アスクレピオスから資金提供があることは昨日スノウの口から聞いていたが、鷺沢のここまでの平身低頭さから察するに、その額はかなり膨大なことは容易に想像がついた。
 さて、と言いながらスノウは三人に向き合った。「本当はこんな回りくどいことはしたくないんだけど、説明するよりも見てもらった方が早いわ」
 スノウが指を鳴らすと、秘書がキッチンワゴンを押してリビングに入ってきた。ワゴンの上にはウイスキーのボトルが二本とチューリップ形のテイスティンググラスが八脚、紙コップが四つ、小ぶりな三角フラスコが二つ乗っている。ウイスキーのラベルは青と赤の二種類があり、それぞれに凝った書体でレイズモルトのロゴが書かれている。
「これ二本で六十万円だって。青い方がスタンダードラインの『ブルーラベル』で、赤い方がリミテッドラインの『レッドラベル』。都内のバーで未開封のボトルを買ってきたの」
 ボトルの説明をするスノウを三人が無言で見つめた。一体なにをするつもりなのだろうと綾は思った。ほぼ未成年しかいない中、まさかこの出会いに乾杯というわけではあるまい。スノウはスタンダードラインのブルーラベルを手に取り、慣れた手つきでテイスティンググラスと三角フラスコに中身を注いだ。
「綾、飲んでみる?」と、スノウが意地悪そうな顔で言った。
 綾が首を振った。「飲まないわよ。というか飲めるわけないでしょ」
「じゃあ鷺沢。香りだけ試してみて」
 鷺沢がグラスを手に取り、香りを嗅いだ後に顔をしかめた。
「……これは本物ですか?」と鷺沢が言った。
 スノウが頷いた。「本物で間違いないわ。偽造防止のセキュリティラベルも確認できた」
「……ウイスキーは好きでよく飲むんですが、これは溶剤やゴムみたいな、どちらかと言えばネガティヴな香りが強い気がします。アルコールもかなり立っていて、私はあまり好みではないです」
 スノウに促されて美樹も香りを嗅ぎ、似たような感想を述べた。スノウが真剣な顔で何回か頷いた。
「じゃあ、ここからが本題」と言って、ポケットから小さなビニールパックを取り出して三人に見せた。ピンク色の粉薬のようなものが入っている。
「これが何だか、わかるわよね?」と、スノウがビニールパックを振りながら言った。
「チャームの検出薬だ」と、美樹が答えた。
「そう。あんた達もよく使っているでしょ? 人妖が異性の人間を魅了するために分泌する体液、チャームに反応して青く変色する検出薬」
「……なんでのスノウが持ってるのよ?」と、綾が腕組みをしながら聞いた。
「なんでも何も、これウチの機密部署が作っているんだもの。こういった特殊薬の開発と製造、そしてその効果を秘密裏に実地検証できる環境は、我々製薬会社にとって非常に重要なの」
「アスクレピオスにとってアンチレジストは実験場というわけか。多額の寄付もそのためか?」と、美樹が言った。
「もちろん」と、スノウが言った。「でも悪く取らないでほしいわ。あんた達もこのチャーム検出薬を便利に使っているでしょ? 持ちつ持たれつってやつよ。残念だけど、純粋な意味での寄付は世の中にそう多くはないわ。多額の寄付をする代わりに、それなりのリターンは求めている。優先的な情報提供、プロモーションにブランディング、イメージアップや節税。なんらかの見返りや費用対効果があるからこそ、多くの企業や成功者は寄付という名目の広告宣伝費を支払うのよ。ウチとアンチレジストの関係は、プロモーションというよりはビジネスパートナーに近いわ。人妖やチャームのデータは新薬開発に随分と役に立っている。アンチレジストとの提携は、どこかのウイスキーメーカーとの提携とは比べるものバカらしくなるほど我々にとって有益なのよ」
 スノウがブルーラベルの入った三角フラスコに検出薬を入れた。円を描くように振って攪拌し、白いテーブルクロスを背後にかざす。ウイスキーの色に変化は見られない。
 スノウは「セーフね」と言うと、何の迷いもなくテイスティンググラスの中身を一気に口に流し込んだ。鷺沢以下三人がぎょっとした表情になる。綾は「ちょっ!」と言ってスノウに手を伸ばした。たっぷりダブルの量はあったはずだ。スノウは目を瞑ったまま、しばらく口の中でウイスキーを転がしている。徐々に眉間にシワが寄り、そのまま紙コップを引っ掴むと口の中のウイスキーを勢いよく吐き出した。
「ブリャーチ……変なものは入っていないけれど、香りも味も最悪ね」
 スノウが険しい顔をしながら、袖で口元を拭った。「あちこちから粗悪な原酒を仕入れて、なにも考えずに混ぜただけという感じ。アルコールの刺激と、新聞紙を燃やしたような嫌な煙たさが目立つ。苦味と雑味の主張が強いのに変な甘さもあって気持ち悪いわ。こんなものを作るあいつも信じられないし、有り難がって買う奴はもっと信じられない」
「飲んで大丈夫なの……?」と、綾が呆れたように聞いた。
「飲んでないわ。ちゃんと吐き出したじゃない」
「でも……」
「テイスティングくらいするわよ。仮にも業務提携を提案したのは私なんだし。未成年だから味見はできないけれど良いものです──なんて無責任な仕事は私はしないわ。たとえ決裂した交渉であってもね」
 スノウは話しながらレッドラベルの封を開け、ブルーラベルと同様にテイスティンググラスと三角フラスコに注いだ。スノウが香りを嗅ぎ、顔をしかめる。
「さっきのに比べたら多少はマシだけど、こっちも大したことないわね」
 スノウはレッドラベルの入った三角フラスコにチャーム検出薬を入れた。一見変化が無いように見えたが、白いテーブルクロスに透かすと液体の縁が薄く青みがかっている。
「そんな……」と、鷺沢が呟くように言った。
「これは飲まない方がいいわ」と、スノウが言った。「ごく微量だけどチャームの反応が出ている。この濃度なら依存レベルまで相手を魅了することはないでしょうけれど、製造過程でチャームが混入するなんてあり得ない。あの男が意図的に添加していることは間違いないわ。レイズモルトの味は飲むに値しないけれど、なぜか異様な人気を得ている理由はこれよ」
 スノウは三角フラスコを親指と人差し指で摘んで、顔の横で振った。「レイズモルトは珍しく、一般的にウイスキーとは縁遠いと言われている女性から爆発的な人気になった。やがて、男性が女性の気を引くためにレイズモルトを買い漁り始めた。雑誌でも特集が組まれ、『個性的な味』なんて言われながら一気に知名度が広がった。ものは言い様ね。実際はチャームの依存性で中毒症状が起きているだけなのに」
「あのレイズ社の社長が人妖だったのか……」と、美樹が言った。
「すぐに動かないと。こんなに広範囲にチャームが広がっているなんて前代未聞ですよ」
 綾の視線に鷺沢が頷いた。同時に鷺沢の携帯が震えた。緊急用の回線だ。鷺沢は「失礼」と言って通話ボタンを押した。電話に出た鷺沢の表情がみるみる変わっていく。まるで親しい者の死を突然知らされたような顔になった。
「どうしたんですか……?」と、綾が不安そうな表情で言った。
 鷺沢は通話の切れた携帯を見つめていた。「アンチレジストの本部が……何者かに襲われたみたい」

※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

予告

 綾と美樹が帰った後、スノウは一人でシオンの部屋に残り、ソファに座ったまま頭を抱えていた。
 爪先から血液が逆流するような寒気が駆け上がってきて、心臓が掴まれているような感覚を覚えた。
 もしかしたら、最悪の事態になっているのかもしれない──。
 シオンの生死は不明。生存していたとしても、親友の美樹や綾には一度も連絡を取っていない。新しい情報は何も無かった。
 スノウの脳内であらゆる可能性が試算されている。
 やがてスノウは、普段は決して人には見せない憔悴しきった顔を上げた。「……アンチレジストを、本格的に巻き込むしかないわね」
 スノウの頭脳は、最悪のケースを想定して動くように結論を出した。
 スノウはふらふらとソファから立ち上がると、シオンの書斎への向かった。
 リビングとはテイストの違ったビクトリア様式の内装で、ダークブラウンのフローリングの上に絨毯が敷かれ、大きな執務机の上にマッキントッシュが二台置かれている。一台は電源が切られ、もう一台はスリープ状態のままだ。パスワードは先日突破している。起動させると、ハッキングソフトが静かに稼働し続けていた。画面にはセキュリティを突破されたアスクレピオスの社内システムが表示されていて、いつ、どこにでも送金が可能な状態になっている。
「……なにをするつもりなの?」
 スノウが机に両手をついたまま項垂れて、「お姉様……」と絞り出すように言った。

 午後七時過ぎに、スノウは単独で「レイズ・バー」を訪れた。
 虎ノ門のとある高層ビルの最上階にある、三神の経営する会員制の高級バーだ。
 常にレイズモルトが飲める店だとメディアに多数取り上げられているが、現在は新規の会員は募集されていない。
 重厚なドアの入口にはやけに太った男が待機していて、スノウを見ると「これはこれはスノウ・ラスプーチナ様、お待ちしておりました」と言いながら深く頭を下げた。容姿に反して耳障りの良い声と、完璧な最敬礼だった。
「わたくしは三神の秘書を努めさせていただいておる者でございます。名乗るほどの者ではございませんので、どうぞ見た目通り『豚』とお呼びください」
 豚は顔を上げると、満面の笑みでスノウを見た。
 スノウはかなり引いている。「豚? いや、そういうわけには……」
「いえいえ構いません。三神からもそう呼ばれておりますし、むしろ豚と呼んでいただかなければ私が呼ばれていると気が付きませんので」
 豚は丁寧にドアを開け、スノウを中に招き入れた。バーの照明は薄暗いダウンライトと間接照明のみの落ち着いた雰囲気だ。壁面は全てガラス張りで、眼下に東京の夜景が見えた。客はおらず、バーテンダーすらいない。店内の椅子やソファの背もたれには全て「RAY`S BAR」と筆記体で刺繍がされていた。中央のソファには三神が座っていて、スノウを見ると立ち上がり、自分の向かいのソファを勧めた。
「カッシーナですか」と、ソファに座りながらスノウが言った。
 三神がうなずいた。「ええ、別注したんですよ。イタリアにスーツを作りに行ったついでにね。ここは最高の店にするつもりでしたので、家具も全て最高のものを揃えました。あなたのような特別なゲストをお招きするときの来賓室としても使えるようにするためです。一見客は入れませんし、会員は財界人や芸能関係者ばかりです。この店の価値がわかる人間しか入ってほしくないんですよ」
 三神は両手を広げて語った。スノウは「悪くない」と言った以外は、特に感想を言わなかった。豚がスノウの近くに歩み寄り、失礼いたしますと言って頭を下げた。
「お飲み物はいかがなさいましょう? ここはバーですので、ソフトドリンクも様々なものがございます。ノンアルコールのカクテルもお作りできますし、ご希望であればレイズモルトを含めたアルコールも提供させていただきます」
「遠慮させていただきます。これの前の商談でも飲み物をいただいたので」
 スノウは強気そうな笑みを浮かべたまま、三神から視線を外さずに言った。
「ビールを」と、三神もスノウを見たまま言った。豚は会釈すると、バーカウンターに入っていった。
「失礼。気を悪くしないでいただきたい。大切な商談の時はいつも少し飲むようにしているんですよ。決断の最後の一押しになる」
「構いませんよ。私は仕事の話ができれば、たとえ相手が酔っ払っていようが薬をきめていようが気にしません。後になって、あの話は酔っ払っていたので無かったことに、というのは困りますが」
 ははは、と三神は乾いた声で笑った。豚は脚付きのグラスにミネラルウォーターを入れてスノウ の前に置いた。三神の前にも繊細なカットが施されたビアグラスを二脚置き、三神はそのうちの一杯をほぼ一口で飲み干すと、二杯目にも口を付けた。最後に自分の分のコーヒーを淹れて三神の隣に座った。
「昨日渡したサンプルですが、もう試されましたか?」
 スノウは背もたれに深く身体をあずけながら言った。
 三神は視線をそらし、何回か小さく頷いた。「ええ、まぁ」
「まぁ、というのは? 気に入らなかったということでしょうか?」
「いえ……大変素晴らしかった」
 三神は素直にそう言った。二十種類のサンプルは、いずれも基本的なウイスキーとしての味と香りを押さえつつ、どこかの箇所を鋭く尖らせたような個性と魅力があった。会見でのスノウの高圧的な態度から、サンプルがそこそこの出来であればこきおろしてやろうと考えていた三神だが、まさに打ちのめされた。本当にあのガキが作ったのか? と認めたくない三神は何回も思ったが、同時に、これは売れると確信せざるを得なかった。しかもスノウは必要であればいくつでも作ると言い捨てて去っていったのだ。このクオリティのものを何種類でも量産できるとなれば、まさに革命ではないか。
「それは良かった」と言いながら、スノウは相変わらず小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、ミント味のチュッパチャプスを取り出して咥えた。「私も失礼。子供の頃からこの飴が大好きで、咥えていると落ち着くんですよ」
 まだじゅうぶん子供だろうと三神は思ったが、もちろん口には出さなかった。隣ではロリコン趣味の豚がスノウを凝視している。確か昨日は好みのど真ん中と言っていたが……。三神は視線に気がつかれないかとひやひやした。
「……弊社としては、ぜひアスクレピオスさんと提携していただきたいと思っています」
 三神が身を乗り出して言った。スノウは相変わらず背もたれに身体を預けている。悪くないカッシーナの背もたれに。
「私の指示通りにウイスキーを作ると?」
「そうです。今までのラインナップは継続しつつ、新たなシリーズとして、スノウさんのレシピ通りに作ったものを発売したい。シリーズ名は『スノウ』にしようかと思っています」
 はっ、とスノウが呆れたように短く笑った。「私の名前ですか?」
「ええ。スノウさんは昨日の会見以来、日本でかなり知名度が上がっています。話題性もあるし、肝心のウイスキーも素晴らしい。今までにないほど売れますよ、このシリーズは」
「でしょうね。売れるように意識して調合しましたから」
「では、契約条件について話を進めても?」
「いえ、その前にひとつ確認しておきたいことがあります」
 今度はスノウが身を乗り出した。両手を組み、その上に顎を載せている。今までの小馬鹿にしたような笑みが消え、すっと真剣な表情になった。
「そもそもなぜ、レイズモルトはこんなに人気になったんです?」
 三神はやれやれという様子で首を振った。
「それはもちろん、私どもの努力や品質が世間に評価され──」
「違う。あなた達はもともと輸入ウイスキーを日本で瓶詰めして『大和—YAMATO—』という日本的な名前を付け、外国人観光客をターゲットに売り出している小さなメーカーに過ぎなかった。愛好家からは姑息な商売だと反感を買い、ブランド価値は決して高くはなかった。しかし、半年前から突然ラインナップをレイズモルトに一新し、直後に異常なほどのブームになった。いったい、なにをしたんです?」
「確かに最初は投資回収のために輸入ウイスキーをメインにしていましたが、その影で自社蒸留もしていたんですよ。その原酒が育ってきたんです」
「それにしては販売量が多すぎる。私の予想では、現在のレイズモルトの中身はほとんどが輸入ウイスキーで、中身も『大和—YAMATO—』とほぼ変わっていない。しかし人気だけは爆発している。なぜです?」
「ですからそれは先ほども言った通り──」
「なら質問を変えましょう」
 スノウはチュッパチャプスの棒を灰皿に捨てた。カチンと軽い音が響いた。
「ノイズ──という言葉に聞き覚えは?」
 スノウはまるで未知の文字が刻まれた石板の謎を解こうとする考古学者のような表情で三神の顔を見た。
「ノイズ? なんですかそれは?」と三神が言い、炭酸ガスが抜けたビールを飲んだ。
「聞き覚えがあるかどうか、それだけです」
「……英和辞典に載っている、騒音という意味以外では、聞き覚えはありませんね」
「本当に?」
「本当です」
「なるほど──」
 スノウは再び背もたれに背中を預けて、しばらく窓の外の夜景を眺めた。やがて「ではこうしましょう」と言って、スノウは三神に視線を向けた。
「私のレシピから作るウイスキーの名前は、全て『ノイズ』という名前にしていただきたい」
「なんだと」
 三神が立ち上がった。
 スノウが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「簡単でしょう? あなた達には聞き覚えも関係もない名前です。ネーミングもシンプルでありながら、なおかつ良い感じに引っかかりもある。あなたのように思わせぶりにするのなら、『歴史あるクラシック音楽のような数多のウイスキーの中の、ノイズでありたい』とでも言っておけば客も喜ぶでしょう。できない場合は、この提携は決裂ということで」
 三神が身体を揺すりながらスノウに近づいた。スノウもソファから立ち上がる。
「……最初から提携する気なんて無かったのか?」と、三神が低い声で言った。
「なにを怒っているんです? ネーミングの提案をしただけなのに」
「うるせぇ。散々コケにしやがってクソガキが。秘書を連れてくるべきだったな」
 三神がスノウを掴もうと手を伸ばす。
 スノウはその手を振り払い、近くにあったテーブルを蹴飛ばした。
 その小さな身体から放った蹴りとは思えないほど、テーブルは簡単に舞い上がった。
 三神が虚を突かれている間、スノウはまるで肩車をされるように三神の後頭部にまたがり、三神の喉を太腿で締め上げた。
 ごえっ……と三神が悲鳴を上げる。
「秘書を連れてこなくてよかった」と、スノウが三神の頭を愛おしむように両手で撫でながら言った。満面の笑みだった。「私の秘書はこういう風に手加減ができない人間なので……。まぁ、私も色々と挑発が過ぎましたから、今回の件は不問にしてあげますよ」
 床に手をついて咳き込む三神に一瞥をくれて、スノウはレイズ・バーを出た。ドアが閉まると三神は「クソッ」と吐き捨てるように言い、豚はスノウが灰皿に捨てたチュッパチャプスの棒を拾って口に咥えた。

※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

予告


スクリーンショット 2021-01-22 21.27.53


 そのソファは恐ろしく座り心地が良かった。
 一見何の変哲も無いソファだが、クッションはまるで自分の身体に合わせてオーダーメイドされたように下半身を包み込み、張られたレザーもしなやかで良く伸びた。
 スノウは足が床に着いていないが、別段気にする様子もない。何回かこのソファに座ったことがあるのだろう。そして隣にはシオンもいたのだろう。
 スノウはソファに座るや否や、慣れた様子でペリエをペットボトルのまま飲んだ。美樹と綾もそれに倣い、ペリエを開けた。スノウから話しかけられるのを待ちながら、二人はなんとなくフィーリーという名のタマネギに似た陶器を見た。
「言っておくけれど」と、スノウが言った。「お姉様がアンチレジストのことを私に喋ったわけじゃないわ。守秘義務のことは私も知っているし、お姉様もそれを破るような人じゃない」
「じゃあなんで知ってるのよ?」と、綾が言った。
「資金提供」と、スノウが正面を見ながら呟くように言った。「アスクレピオスからアンチレジストへ、定期的に資金提供をしているのよ。もちろん極秘融資で、社内でも知る人間は経営に関わる一部の親族だけ。お姉様は家業とは一切関わっていないから、アンチレジストに資金提供していることすら知らなかったでしょうね。まさかお姉様本人が戦闘員として活動するなんて想像もしなかったけれど」
「我々の活動資金がどこから出ているのかずっと疑問だったが、その一部がアスクレピオスだったとはな。シオンがアスクレピオス創業家の長女だということも驚いたが」と、美樹が呟いた。
 知らなかったの? と、スノウが聞いた。
「ああ。向こうから話してくれればもちろん聞いたがな。シオンはあまり出生や家のことは話したがらなかったし、私達もあえて聞かなかった。誰にだって自分の中に踏み込まれたくない部分はある。私にだってあるし、お前にもあるだろう。そして、それは無理に踏み込むべき領域ではない。相手の全てを知ることと、相手を理解することは、似ているようで全く違う」
 美樹の言葉に、綾も頷いた。スノウは美樹と綾の顔を観察するように見た。そしてペリエを一口飲み、天井から下がっているランプを見上げてぽつりと言った。
「二人とも……やっぱり仲良かったんだ。お姉様と」
 強気な表情は変わらないが、その横顔は少し悲しそうに見えた。エメラルドのような瞳は、確かにシオンのそれを思い出させた。
 スノウは話を続けた。「お姉様はこの家に人を呼んだら嫌われてしまうかもしれないと悩んでいたけれど、あんた達二人なら大丈夫かもしれないと言っていたわ。よほど気を許していたのね。二人の話をしている時のお姉様は、本当に楽しそうだった」
 スノウは照れ隠しのように髪を縛っている赤いリボンをいじった。
「今更だけど、随分と日本語が上手なのね」と綾が言った。
「お姉様が日本に移住した後に勉強したの。日本にはいつか行きたかったし、それにビジネスにおいても日本の市場は大きいから、通訳を介すよりも直接交渉が出来た方がスムーズなのよ。仕事やプライベートで日本に来るたびに、ここに泊まったわ。お姉様は私が泊まりに来ると毎回はりきって料理を作ってくれようとするんだけど、お姉様は料理だけはあまり得意じゃないから、いつも私が無理やり退かして代わりに作ったの。お互い忙しいから年に何回も会えなかったけれど、泊まった時はこのソファに座って、夜遅くまで色んな話をしたわ。それでも足りなくて、客間があるのに一緒のベッドに入って、明け方まで話をした。お姉様は普段はしっかりしているけれど、私と話をする時は本当によく笑うのよ。私はお姉様の妹として生まれてきたことが誇りなの。あんなに素晴らしい人は他にはいないわ」
 スノウは少し寂しそうに笑った。「そう言えば、こういうデザインの服を着るようになったのもお姉様の影響ね。お姉様はなぜかメイドに傾倒していて、クローゼットひとつが全部メイド服で埋まっているの。私が来るたびにあれこれと着せてくれて、結局いつも二人でファッションショーになるんだけど、お姉様と私じゃサイズが合わないのよね……。服の系統としては私も嫌いじゃなかったし、なによりお姉様が可愛いって言ってくれたから、似たような服を探して着るようになったの」
 どうやらスノウはメイド服とゴシックロリータを一緒くたにしているようだが、二人は黙っていることにした。それにしても、スノウは最初の印象とはずいぶんと変わって見えた。ぶっきらぼうな口調は変わらないが、記者会見で見たような、あからさまな棘のある言動はしてこない。シオンのことも本当に慕っているらしい。しかしシオンとの思い出を饒舌に語るスノウは、本題を言うのを迷っているようにも見えた。美樹と綾もそれがわかっていた。だから無理に急かすことはしなかった。
 しばらく取り留めのない話が続いた後、スノウが「お姉様が失踪してから半年も経つわね」と切り出した。
「お姉様が失踪した孤児院での事件。最後にお姉様と一緒にいたのは美樹、あんたなんでしょ? お姉様になにがあったの? 美樹とお姉様が人妖と戦うために孤児院に行ったところまでは知っている。でも中で何があったのかは知らない。そこで美樹は生き残り、お姉様は行方不明になった。孤児院は全焼している。最初は正直、美樹がお姉様になにかしたのかと思ったわ。でもお姉様の今までの話ぶりと、実際に会って話をしてみても、美樹がそんなことをする人とは思えない」
 人妖のことまで知っているのかと美樹は少し驚いたが、いよいよ隠し事をする必要はなくなったなとも思った。なによりスノウは、シオンの家族なのだ。友人の家族に協力するのは当然のことだろう。
「終始一緒にいたわけではない。私とシオンは別の場所で、別の相手と戦闘していた。もちろん互いの姿は見えなかった。敵は冷子という女と、蓮斗という男だ。冷子は使役系と呼ばれる強力な人妖で、蓮斗は人妖になるために冷子に取り入っていた人間だ。蓮斗は冷子によって身体を作り替えられ、なんと言うか……化物のようになった。身体が何倍にも大きくなって、倒すのに苦労した」
「何倍にも……? 人妖にそんなことができるの?」と、スノウが顔をしかめた。
「ああ。詳細を話してもあまり気持ちの良いものではないから省くが、見ているのが辛かった……。巨体の蓮斗が暴れ、孤児院の床に大穴が開き、シオンはそこに落ちてしまった。地下は病院か研究所のような作りになっていて、冷子もシオンを追って穴から飛び降りた。地下で戦闘があったはずだが、私がシオンを見たのはそこまでだ」
 スノウは美樹の顔をじっと見ていた。そこには小さな変化やあらゆる情報を見逃すまいという強い意志が見て取れた。
 美樹は話を続けた。「私は蓮斗を倒した後、シオンが気になって床に空いた穴から地下に降りた。冷子と思われる遺体はあったが、シオンの姿は無かった。現場にあったのは、このヘッドドレスだけだ」
 美樹はテーブルの上に、ビニールパックに入ったシオンのヘッドドレスを置いた。上質なシルクに、白と黒の細かいレースが編み込まれている。手がかりになればと美樹が預かっているものだ。スノウはそれを手に取り、生き別れになった家族の写真を見るような表情でじっと見つめていた。
「お姉様が……その冷子って人妖を殺したの?」
 スノウがヘッドドレスを見つめながら言った。
 美樹は静かに首を振った。
「わからない」
「冷子の遺体は見たんでしょ?」
「見た」
「どういう状態だったの?」
「損傷はかなり激しかった」
「瓦礫や火災に巻き込まれたことによる損傷? それとも、人の手によるもの?」
「……後者だ」
 スノウは親指の爪を噛みながら、ロシア語でなにかを呟いた。スノウの頭の中が高速で回転していることが美樹と綾にもわかった。
 やがて錆びたゼンマイ人形のように、ぎこちなく美樹の方に顔を向けた。
「本当に……」と、スノウが絞り出すように言った。顔色は青ざめて、エメラルドの瞳の焦点が合っていなかった。吐き気を堪えているようにも見えた。「本当に……それ以来お姉様と会っていないの? 何か連絡とか、似た人を見たとか、そういう噂も聞いたことはない?」
「ない。あったらとっくに動いている」と、美樹は言った。
 それもそうよね……と言いながら、スノウは暗い表情で下を向いた。シオンのわずかな手がかりを探っているのだろうが、力になれない歯痒さを美樹は感じていた。
 美樹は天井を見て記憶を探った。最後にシオンと会った時のことを思い出す。雪の降りしきる孤児院のレンガ道を歩いている。入り口のドアの前に立つと、ホールの中から蓮斗の戯けたような声が聞こえた。瞬間的に感情が昂り、ドアを蹴破って中に入った。シオンが床に座り込んでいたので立たせた。わずかに動揺はしていたが、落ち着いていた。その後、蓮斗と言い合いになり……。
「……そういえば」
 ポツリと美樹が言った。スノウが縋るような表情で美樹を見た。こんな表情のスノウを見るのは初めてだった。
「蓮斗は、シオンの出生をずいぶんと詳しく調べていたみたいだった。シオンのことを世界的製薬会社の令嬢だと言って、酷く罵っていた。まさかアスクレピオスのことだとその時は思わなかったが。蓮斗は……まぁ私も似たようなものだが、出自は決して恵まれたものではなかったからな。その辺りが気に食わなかったのかもしれん」
「お姉様が言われていたのは、令嬢だってことだけ? 他になにか言われてなかった? 例えば子供の頃の話とか……」
「子供の頃? いや、その時点ではそれだけだ。子供の頃に何かあったのか?」
 いや、と言ったきりスノウは質問に答えず、視線をテーブルの上に戻して再び考え事を巡らせ始めた。手持ち無沙汰に美樹は無意識にポケットのタバコを探り、シオンの家であることを思い出して諦めた。
「……悪いけど、明日私の泊まっているホテルに来てくれない? 詳しい時間と、ホテルの部屋番号は後で連絡するから」と、スノウはテーブルの上を凝視したまま言った。まるでテーブルの上に世界を揺るがす重要な装置が置かれているような視線を送っているが、もちろんテーブルには飲みかけのペリエが三本置いてあるだけだった。
 わかったと言って、美樹はあっさりとソファから立ち上がった。美樹が目配せし、綾も従って立ち上がった。色々と聞きたいことはあったが、信用を得られているのなら深追いするよりも、最初は要求通りにしていた方が後々利することが多い。
「こちらからもひとつ質問だが」と、美樹は言った。スノウがソファに座ったまま顔を上げる。立ち位置的にスノウが美樹を見上げる姿勢になり、心理的に優位に立てるタイミングを選んだ。従っているだけでは主従関係になってしまう。「その髪を留めているリボンなんだが、なぜ右のリボンだけ古ぼけているんだ? 別に貶しているわけじゃない。むしろ服装には拘っているみたいだから、意図的なものかと気になってな」
「……ああ、これ?」と、スノウは右のリボンに手を当てた。左右とも赤いシルクのリボンだが、確かに右側のリボンは光沢が落ち着き、生地も痩せてきている。「これは子供の頃、お姉様から頂いた物なの。クリスマスの初めてのプレゼント交換で、私はお母様に手伝ってもらって自分で焼いたクッキーを、お姉様からはリボンのセットをいただいたの。大切に使っていたんだけど、傷んだり汚れたりして、これが最後の一本……」

 綾と美樹はシオンのマンションから出て、道路を挟んだ向かいのカフェに入った。一階がロースターとキッチンを兼ねていて、狭い階段を上がった二階に、五人も入ったら窮屈に感じるほど狭い喫茶スペースがあった。持ち帰りが多いのか、綾と美樹以外に客はいない。小さいテーブルや椅子は長い間海面を漂っていていたような板と、錆が浮いた鉄パイプのようなもので作られている。もしかしたら本当に砂浜に打ち上げられた材料で作ったものかもしれないが、洒落っ気はあるが決して使い勝手の良いものではなかった。
 小さく硬い椅子に美樹と綾は座り、酸味の強いコーヒーを飲んだ。果物のような芳香もあり、これはこれで悪くない。空はくっきりと晴れていて、綺麗に磨かれた窓からはシオンのマンションが見えた。
「なんだか色んなことが一気にわかった日でしたね」と、綾がカップを両手で持ったまま言った。「シオンさん自身についても色々と驚きましたけど、まさかあんな妹がいたなんて。性格が全然違うから最初は本当に妹なのか疑いましたけど、シオンさんのことは大好きみたいですし」
「そうだな。二人でどんな話をしていたのか想像もつかないが、嘘をついている感じはなかった」
「美樹さん……冷子の遺体の損傷については、詳細を言わなかったですよね?」
「……ああ。聞いても気分の良いものじゃないだろう」
 冷子は自分の身体の一部を触手のように変形させる能力があったが、シオンに対しては全身を触手に変態して戦ったようだ。頭部だけはかろうじて形を残していたが、その頭部の損傷が最も激しかった。特に顔面は硬いもので何回も攻撃され、骨という骨が砕けて完全に陥没していた。人間の膝の跡のように見えたが、シオンは決してそんなえげつない攻撃をしない。シオンはむしろ人妖相手でもなるべく苦痛のない方法で一撃で倒すことを第一に考えている。そのため攻撃が大振りになり、思わぬ苦戦を強いられることもあるのだが。
 では冷子を倒したのはいったい誰なのだろう。それも不必要なほど強大で残虐な力で。
 美樹のスマートフォンが震えた。
 マンションのコンシェルジュからのメールだ。
 スノウの宿泊先として、都内の歴史あるホテルの名前が記されていた。


前振りが長くなっておりますが、すみませんがお付き合いください
次週にまた更新予定です。
※こちらの文章はラフ書きになります。製本時には大きく内容が変わる可能性があります。

↑このページのトップヘ