NOIZ 笑み5
 美樹が雑居ビルの間の路地に足を踏み入れた瞬間、下水と生ごみが混ざり合ったような臭いが鼻をついた。数十メートル背後では若者で賑わっているビルや店舗が煌びやかな光を放っているというのに、溪谷のようなこの隙間には届かない。
 灯されたジッポーライターの火が一際明るく見えた。
 タバコを吸うようになったのも、この臭いを紛らわすためだったな──と思いながら、美樹はショートホープに火を付けた。粗大ゴミの間を縫うようにして、赤い蛍と共に路地の奥へと進んでいく。途中、浮浪者の男がダンボールに包まって寝ていた。年齢は養父と同じくらいだろうか。美樹は少し迷った後、ブーツのつま先でダンボールを小突いた。男は濁った目を開けて美樹を見上げた。
「すまないが、今日はほかの場所で寝てくれ。これから大事な商談があるんだ」と言いながら、美樹は一万円札を取り出して男に差し出した。
 男はかなり年季の入った浮浪者のようだ。肌は泥のように真っ黒で、まばらに生えた白髪混じりの髪の毛は蝋で固めたように束になり、まるで海底でゆらめくワカメのように見えた。
 諜報員の変装でもここまでは化けられまいと美樹は思ったが、万が一のことがある。
 男は信じられない素早さで美樹の手から紙幣を奪うと、身振り手振りで訳のわからないことを喋り出した。何か同意を求めているようだったが、痴呆が進んでいるのか言葉の体を成していない。美樹は小さくため息を吐くと、少し強めに男の腹を蹴った。男は転がるようにして路地の入り口へと消えていった。
 美樹がさらに奥に進むと、袋小路に派手な格好をした若い女が一人、裏返したビールケースに座っていた。オーバーサイズのスカジャンに短いデニムショーツ。髪の毛は白に近い金髪のショートカットで、ピンクのインナーカラーが入っている。女は消えてしまいそうなほど白い顔を上げて美樹を見ると、にっこりと笑った。
「また会えると思ってなかったよ……」
 女は派手な格好とは裏腹に、子供を寝かしつけるようなとても穏やかな声で言った。
「お互い様だ」と美樹が返事をして、煙を長く吐き出した。
「鷹宮美樹……だっけ? 今の名前……」
「……ああ」
「ショッポ吸ってるのは変わってないんだ?」
「そうだな」
「一本ちょーだい」
 女は動作のひとつひとつを確かめるようにゆっくりと立ち上がると、差し出されたタバコを受け取り、慣れた手つきで美樹の咥えているタバコの先端に重ねて火をつけた。そして盛大に咽せた。
「今はなんて呼べばいい? まだミツキのままでいいのか?」と、美樹が聞いた。
「ううん。今はアヤ」と、涙を浮かべて咳き込みながらアヤが答えた。
「……知り合いと同じ名前だな」
「じゃあ、ちょっと早いけど変えようかな。名前なんてなんでもいいんだ。どうせ本当の名前も知らないんだし……あ、ちなみにあの浮浪者、スパイじゃなくて本物だよ。まぁ軽い蹴り一発で一万円もらえたなら良かったんじゃない?」と言いながら、アヤはインイヤーモニターを指で三回叩いた。「はい、今からはオフレコ。通信も監視も切ったから、なに話しても大丈夫だよ」
 アヤは美樹にハグをするように両手を広げた。美樹は視線だけで周囲を見回す。人影は全く見えないが、おそらく何人もの人間が美樹とアヤを中心に半径数キロメートルに渡って配備されているはずだ。アヤという女王蟻を守る兵隊蟻のように、周囲の状況を逐一監視し、情報は全てアヤに集まってくる。
「その様子だと、情報屋稼業は順調そうだな」と、美樹が言った。
「順調もなにも、私にはそれしかできないもの。あの頃に比べてネットワークは数万人に増えたから、もう私に調べられないことは無いと思う。まぁ最近は諜報よりも、空気入れたり噂流したりして抗争を起こさせる依頼の方が多いかな」と言うと、アヤはビールケースに腰掛けた。「で……今日はどうしたの? 神社の養子になってからすっかり丸くなったと思ったけれど、ちょっと雰囲気が戻ってる気がする」
「……久し振りに、殺さなきゃならない奴ができた」と言って、美樹は顔を歪めたまま地面に捨てたショートホープをブーツの底で潰した。
「まぁ怖い」と言いながら、アヤは両手で頬杖をつきながらにっこりと笑った。「でも笑ってないわね。そういう怖い顔をしている美樹はまだ安全だもの。本心じゃないんでしょ?」
 わからない、と言って美樹は二本目のタバコを取り出した。
「ねぇ美樹……私はこっちに戻ってきてほしくない。私と違って、やっと大切なものが見つかったんでしょ? こっちに戻ってきたら、もう『鷹宮美樹』には戻れなくなっちゃうよ?」
「……大切な人をこいつに殺された。どうするかは真実を知ってから決めたい」と言いながら、美樹はアヤに写真を手渡した。
 アヤは写真をじっと見つめながら「……綺麗な人。どこの国の人?」と言った。
「ロシア人だ。名前は……その時はシオン。アスクレピオス社の創業家の長女だ」
「あの製薬会社の? すごいセレブじゃない。で、『その時は』ってどういうこと?」
「シオンの中にはノイズという別の人格がいて、今は完全にノイズに乗っ取られている。世の中を騒がせているレイズモルトや人妖事件も、そいつが黒幕だ。そして私の目の前で、大切な後輩を殺した……」
 アヤは深いため息を吐いて首を振った。
「……もちろん無理にとは言わない」と、美樹が言った。「ノイズが率いている組織の規模やレベルはわからないが、本人は全く表に出ずにこれだけ社会を混乱させる能力があることは確かだ。危険な仕事に変わりはない」
「ううん、大丈夫」と言って、アヤはにっこりと笑った。「この仕事は命懸けになりそうだけど、美樹がいなかったら私はとっくに死んでるんだもの。最優先でやってあげる。二日間だけ時間をちょうだい」
「……すまないな。報酬は言い値を払う」
 美樹の言葉に、アヤはまたにっこりと笑って首を振った。
「じゃあ、今度はこんな臭い場所なんかじゃなくて、素敵なお店で一緒に食事して。お互い生きてたらだけどね」
「……私もお前も死なないし、食事にも行く」
 アヤが笑顔のまま、美樹の言葉を噛み締めるように何回か頷いた。
「──ねぇ、みんな死んじゃった。最後まで残ってたリョーコもカエデも」
「……そうか」
「みんな必死だったよね……孤児院を放り出されてから、頼れる人もお金も何も無くて……。二人とも良い子だったのに……」
 良い子、という言葉を聞いた瞬間、美樹の表情が微かに歪んだ。
「みんないつか死ぬけれど、死ぬのは嫌。死なれるのはもっと嫌……。でも私は今の状況がすごく好きだよ。明日死ぬかもしれないと思えば、毎日が全力で生きられる。美樹も同じでしょ?」
「……ああ」
「じゃあ、食事楽しみにしてるから」
 美樹がアヤに礼を言って、路地の入り口に向かって歩き出した。ふと、あのホームレスは新しい寝床を無事に見つけたのだろうかと考えた。美樹がしばらく歩いてから袋小路を振り返ると、アヤの姿は最初から存在しなかったかのように消えていた。


「ゔっぶぇぇぇぇッ!? おぶぇろろろろろろろッ!!」
 サンドバッグから解放された瞬間、朝比奈は両手で腹を押さえながら激しく嘔吐した。バトルスーツの腹部は長時間殴られ続けてロボロに破れ、素肌には何ヶ所も青痣が浮かんでいる。
 豚は嘔吐している朝比奈の頭をバスケットボールのように掴むと、勃起した男性器を朝比奈の口に強引に捩じ込んだ。
「んぐぉおぉぉぉぉッ!?」
「あぁ……やっとひとつになれたね朝比奈ちゃん……。喉がすごく締まってチンポが溶けそうだよ……おおおおおッ!? また出るッ! 出る出る出る出るぅッ!」
 豚は朝比奈の苦痛などまるで考えず、後頭部を貫くような勢いで朝比奈の頭を前後に揺すった。朝比奈の地獄のような悲鳴と、豚の恍惚とした声が重なる。やがて豚の男根が二回りほど膨らむと、もう何度目かの放出にも関わらず多量の粘液を朝比奈の喉奥にぶちまけた。気管や食道がたちまち粘液で満たされ、朝比奈の瞳がぐりんと裏返る。
 恍惚の表情を浮かべている豚とは対照的に、朝比奈は両腕をだらりと脱力したまま痙攣していた。腹部は大量に飲まされた粘液でみるみるうちに膨らみ、浮かび上がった青痣が一層強調される。豚は長い放出を終えるとようやく朝比奈の口から男根を引き抜き、朦朧とする朝比奈を無理やり引きずり起こして腹部に拳を打ち込んだ。
「ぶぼぇあッ!?」
 ぽっこりと膨らんだ胃が一瞬で潰れ、大量の白濁液が朝比奈の口から吹き出す。朝比奈はそのまま吐き出した粘液の中に倒れ込み、赤ん坊のように身体を丸めながら失神した。
「ああ朝比奈ちゃん、なんでそんなに可愛いんだい? もう時間がないのに、またムラムラしてきたよ……」
 豚は大きなトラブルに直面した時のように、剃り上げた頭を両手で抱えた。すぐさま「ティッシュのようなもの」と呼ばれた少女が豚の足元に駆け寄り、少女の口には有り余るほどの男根を咥える。
 豚はしばらく無言で少女の奉仕を受けていたが、やがて少女を無理やり引き起こすとベッドに放り投げた。豚もベッドに登り、怯えと期待の入り混じった表情を浮かべている少女に挿入し、激しく腰を振り始めた。豚の押しつぶすようなピストンに少女の身体は完全に隠れ、巨体の陰からは少女の悲鳴とも嬌声とも取れぬ絶叫が漏れ続けた。ようやく豚が放出を終えると、大股開きになったままガクガクと痙攣する少女が残された。
「ふぅぅ……そろそろ出発しなければな。まだ出し足りないが、仕事はきっちりこなさなければ……。おいゴミ穴、朝比奈ちゃんのケアはくれぐれも丁重にするんだぞ。きちんと仕事をすれば、またお情けで使ってやる」
 少女はその言葉に痙攣しながら口角を上げ、なんとか頷いた。豚は少女に一瞥もくれることなく、シャワーを浴びに部屋を出て行った。


※こちらの文章はラフ書きになりますので、製本時には大きく内容が変わる可能性があります。