※過去作を読んでいなくても楽しめます。
※ラフの状態ですので、製本時には内容が変わっている可能性があります。
1話から読む
真白瑠奈(ましろ るな)に蹴り飛ばされた大柄な男は映画のワイヤーアクションのように吹っ飛び、配管ダクトに背中を強打してうずくまった。
「助けを呼んでも誰も来ない──だったっけ?」
瑠奈は倒れた男を見下ろしながら、綺麗な歯並びを見せて笑った。
雑居ビルの屋上。
男の背後に浮かぶ大きな満月が瑠奈の目に反射し、暗く青い光を反射している。
「そのセリフ、そのまま返すわ。仲間の人妖がいるなら呼べば? 探し出して倒す手間が省けるから」
男はうずくまったまま、ファッションモデルのように立っている瑠奈を睨みつけた。
四角い顔が怒りで真っ赤になるが、どう足掻いても瑠奈に勝ないことはわかっている。
まさか人妖の俺が……人間よりも優れた身体能力を持つ俺が、アンチレジストの戦闘員とはいえ、こんな小娘に手も足も出ないとは夢にも思わなかった。
そしてこのような危機的状況であるにもかかわらず、男は瑠奈の姿を見て生唾を飲み込んだ。
釣り落とした魚は大きいと言うが、釣り落とすどころか勝手に網に入ってきたマグロに噛みつかれたような気分だ。
二時間ほど前、男は新しい女を探すために夜の繁華街を彷徨っていた。
今の養分であり金づるの女は駆け出しのグラビアアイドルだったが、いよいよ使い物にならなくなってきた。捕食のための性行為は男が徹底的に自分好みに調教し、金はグラビア撮影だけでは稼げないので高級風俗店に入れて貢がせている。だが最近は生気を吸いすぎたのかすっかり痩せてしまい、グラビアも風俗店も売上が悪くなっている。言動もやや要領を得なくなってきたので、廃人になるのも時間の問題だった。
しばらく街を徘徊した後、男の足は自然と都内の有名なナンパスポット、通称「釣り堀」と呼ばれる公園に向いた。
誰がいつ決めたのかは知らないが、「釣り堀」には明確なルールがある。
ただの公園から「釣り堀」になるのは夜の九時から翌朝の四時まで。ナンパ目的の男は中央広場を囲むように配置されたベンチで待機する。ベンチが埋まっている時は立っていてもいいが、決して広場の中に入ってはいけない。広場の中央には大きなポールライトが一本だけ立っていて、女がその下で五秒以上立ち止まれば、それは「ナンパしてほしい」の合図となる。立ち止まらない女はただの通行人で声掛けは厳禁。レベルの高い女がライトの下で立ち止まると、まさに練り餌を放り込んだ釣り堀ように男が群がることから、いつからか「釣り堀」と呼ばれるようになった。
ベンチは全て埋まっていた。
近くのベンチでは飲んだ後らしい冴えないサラリーマン風の男が二人、落ち着きのない様子でスマートフォンと広場の中央を交互に見ている。
見ているだけでイラつくような奴らだ。
男が肩で風を切って近づくと、気がついた一人がもう一人を連れ立ってすぐにいなくなった。
適者生存というやつだ、と男は思った。
狩猟時代から男の価値は強さだと決まっている。弱い男に生存価値は無いし、子孫を残す権利もない。女だって、誰が好き好んで弱い男を選ぶものか。
「せーんぱーい! こんな所で何やってるんですかー?」
男が椅子に座るや否や、いきなり見知らぬ女が甘えた声を出しながら腕に抱きついてきた。驚いて振り解こうとしたが、女の姿を見て思いとどまる。
紺のブレザーに付いているエンブレムは、都内の有名私立高校のものだ。
垢抜けたショートカットの金髪は所々に蛍光ピンクのメッシュが入っていて、気が強そうなくっきりとした二重まぶたには髪の毛と同じ金色のまつ毛がくるりと上を向いている。カラーコンタクトとは違うナチュラルな青い目。左耳にはピアスが五つも開いているのに、右耳は青い花を模したシンプルなピアスがひとつだけ。
白人のようだが、在日期間が長いのか、それとも日本で生まれ育ったのか、雰囲気が日本人とほどんと変わらない不思議な女だ。だが透き通るような白く細やかな肌や、プロポーションがアジア人とはまるで違う。シャツは第二ボタンまでが開けられ、緩く締められたネクタイの間から谷間が見えていた。チェックのプリーツスカートからはむっちりとした太ももが伸び、思わず生唾を飲み込んだ。
この派手な女は何だ?
なぜいきなり抱きついてきた?
「あれ? 人違いかな?」とわざとらしい声を上げながら、女はイタズラっぽい笑みを浮かべて首を傾げた。言葉とは裏腹に、ますます男の腕に胸を押しつけてくる。「ごめんなさい。 知り合いの先輩に似てたから、つい抱きついちゃった。ヤバい雰囲気とか、太い腕とか、そっくりだったから……」
女はデコレーションした爪の先で男の太い二の腕をなぞりながら、右目でウインクした。
……もしかして逆ナンか?
「立ちんぼ」の雰囲気でもないし、美人局だとしても人妖の俺に敵うわけがない。男を返り討ちにした後、ゆっくりと女をいただくだけだ。男にとっては何の損も無い。
男は女の胸や太ももに視線を走らせると、口角を上げた。
「お前、名前は?」と、男が聞いた。
「瑠奈。可愛い名前でしょ?」
「日本人なのか?」
「今はね。六歳の時にアメリカから帰化したから。ねぇ、お兄さんの名前も教えて?」
「後で教えてやるよ。とりあえず移動だ。ここは成立したらすぐに立ち去るのがルールだからな」
男が立ち上がっても、瑠奈は男の腕に抱きついたままだ。周囲の男達から嫉妬と落胆が混ざった視線が注がれる。舌打ちの音すら聞こえてきた。
心地いい優越感が込み上げてくる。
白人のギャルとは大当たりもいい所だ。どうせ遊びまくって他の男の手垢がベタベタついているだろうが、この身体を抱けるのなら文句は無い。人妖の体液にはチャームと呼ばれる催淫効果と魅了効果がある。さっさとホテルに連れ込んで唾液でも精液でも飲ませれば奴隷にできる。
「その先輩と俺、どっちがイケてるんだ?」と男が聞いた。
「うーん、どうだろう。まだ会ったばかりだし……」と言いながら、瑠奈は笑みを浮かべて爪の先で男の首筋を素早くなぞった。蠱惑的な仕草にぞくりとする。
「じゃあ比べてみろよ。そこに良い場所があるぜ」
男は瑠奈の手を掴み、公園の裏手のラブホテルを親指で指した。
「どうせそれが目的だろ? 自慢じゃねぇけどな、俺のはスゲェぞ。ほとんどの女は泣き叫ぶか失神するからな」
「ちょっと、何考えてるの?」と言って、瑠奈は笑いながら男の唇に人差し指を当てて制した。「その前にさ、一緒に月を見に行かない?」
「……あ? 月?」
「そう。お、つ、き、さ、ま。今日はスーパームーンなんだって。私、誰も来ない月見スポット知ってるんだよね」
瑠奈は男の手を引いて勝手に歩き出した。
月見?
なんのつもりだ?
瑠奈は男の手を引きながら裏路地から雑居ビルに入り、古いエレベーターを使って屋上に出た。
そんなに高いビルではないが、なるほど確かに見晴らしがよく、他のビルや通りからは死角になってる。
ドアが閉まると同時に、男は瑠奈の背後から抱きついて胸を鷲掴みにした。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」
「今さら待てるかよ。外でヤルのが好きなんだろ? 早く壁に両手つけてケツ向けろ」
瑠奈は予想外に抵抗するが、男は構わず胸を揉み続けて瑠奈の首筋を舐め上げた。
「だから待ってってば! 制服汚れるとまずいんだって! せっかく良いの着てきたんだから、ちょっと準備させて」
「……あ? 準備?」
男が瑠奈の首から顔を離した。
「あれ? 言わなかったっけ? 私コスプレが趣味でさ、色んな衣装着るのが好きなの」
「コスプレ?」
「うん。実は今日はさ、制服の下にバニーガールの衣装着てるんだよね」
「ほぉ……」
男の鼻の下が伸びた。
遊び慣れしていると思ったが、ここまで好き物だとは思わなかった。
「俺もバニーガールは好きだ」
「気が合うじゃん。じゃあ準備してきてもいい? ちゃんと耳も付けてくるから」
「ここで脱げよ。見ててやる」
「ダメだって。こういうのはお互いインパクトが大事なの。すぐに着替えるからちょっと待ってて」
瑠奈はカバンを掴むと屋上から出て行った。
美人局ならここで男が出てくるタイミングだが、ちゃんとドアの内側で服を脱いでいる気配がある。
男の期待が最高潮に達した時、瑠奈が「おまたせー」と明るく言いながら勢いよくドアを開けた。そして、瑠奈の姿を見た男は時間が止まったように固まった。
確かにバニーガールだ。
近未来のバニーガールはこんな感じなのかもしれない。
純白のレオタードはヘソ下から胸元のあたりまでが半透明の素材になっている。エナメルのような純白のロングブーツと同素材のロンググローブ。衣装全体には所々に金色の装飾が控えめに施され、頭には薄紫色に発光するウサギ耳のようなヘッドパーツが二本伸びていた。
「どう? 気に入ってくれた?」
瑠奈が口角を上げて首を傾げた。だが、目つきが声をかけられた時とは別人のように鋭くなっている。
「私専用の対人妖バトルスーツ……可愛いでしょ?」
「ま、待て……待ってくれ……」
男が強打した背中を庇うようによろよろと立ち上がり、瑠奈を押し留めるように両手を突き出した。
「勝てないのは十分わかった……頼むから見逃してくれ。もちろんタダとは言わねぇ。このエリアを仕切ってる人妖の情報を教えてやる。仕切ってるのは凍矢(とうや)さんって人だ。家出少女を囲ってモグリの風俗店を経営して、めちゃくちゃ稼いでる。二週間……いや、十日以内に情報を集めて、あんたに教えるよ。だから見逃してくれ」
瑠奈は口角を上げながら「ふぅん」と声を発し、思案するように首を傾げる。
男は瑠奈の死角になるように尻のポケットに手を入れた。
瑠奈のヘッドパーツがピクリと動く。
「あ……あとはオマケに俺の仲間も売ってやるよ。普段から情報交換してる仲間がいる。俺が一声かけりゃすぐに集まってくるバカな奴らさ。あんたは待ち伏せして捕まえるなり、ぶちのめすなりすればいい」
「友達を売る……ってこと?」
瑠奈のヘッドパーツがまた動いた。左右対称にぴんと立ち、まるで角のように見える。
「まぁ、そんなところだ。だから俺だけは……」
男がゆっくりと瑠奈に近づいた。そしてポケットから腕を抜いた瞬間、狙い澄ましたように男の手首を瑠奈が蹴り上げた。
男が握っていたスタンガンが瑠奈の背後に落下する。
「ごめんねー。怪しい動きするとわかっちゃうんだよね」瑠奈がヘッドパーツを指でトントンと叩いた。顔は笑っているが、眉間には皺が寄っている。「あとさ……。私、友達を大切にしない奴がマジで許せないんだよね」
瑠奈は失神した男の背中に胡座をかいて座っていた。
心地良い夜風が瑠奈の髪を撫でた。正面には大きな満月が浮かび、瑠奈の鼻歌に合わせてヘッドパーツが踊るように動いている。
わずかな時間でもスーパームーンを堪能できてよかったと瑠奈は思った。オペレーターの天宮凛(あまみや りん)はもう間も無く回収班を引き連れて到着するだろう。
ふと、手の中のスマートフォンが震えた。
表示された名前を見ると、瑠奈のヘッドパーツが嬉しそうに跳ねた。
「ほーい、どうしたー?」
スマートフォンの画面と左耳のピアスが当たってカチリと音が鳴る。
「うん……うん……今? 大丈夫だよ。ちょうど任務終わって凛と回収班を待ってるところ。うん……葵、落ち着いて。ゆっくりでいいよ…………はぁ!? 暴漢に襲われた!?」
瑠奈が勢いよく立ち上がった。
同時に屋上のドアが開いて、黒い作業服を着た三人の男と、真っ黒いワンピースを着た小学生のような体格の女が入ってきた。
回収班と天宮凛だ。
瑠奈が通話したまま四人に目配せし、足元の男を指差した。凛は頷くと回収班に指示を与え、三人の男は慣れた手つきで担架とベルト、そして寝袋のようなものを準備し始めた。
瑠奈は四人から距離をとって小声で通話を続けた。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの? え? もう倒した? 投げてから締め落とした? その……何もされなかったの……? ああ……よかった……。まだ警察呼んでないんだよね? うん、大丈夫。説明は任せて。すぐに行くから」
瑠奈はスマートフォンを切ると、回収作業を手伝っている凛の肩を叩いた。振り向いた凛に祈るように両手を合わせて片目を瞑る。
「ごめん! 葵がちょっとトラブっちゃって同乗できないかも」
「おりょ、そりゃ大変」
凛は無表情のまま抑揚の無い口調で言うと、タブレットを素早く操作した。
「オッケー。車をもう一台手配したから、到着次第あおっぴの所に行ってあげて。同乗はしなくて大丈夫。予備の拘束テープも一緒に巻いておけば、このクラスの人妖なら目を覚ましても解けないはずだから」
「ごめんね。安全のために戦闘員も同乗した方がいいんだけど……」
「とんでもない。それよりもすごかったじゃん? 攻撃、一発も貰ってなかったよね。やっぱり試作品とは違う?」
凛は相変わらず無表情のままで、自分の頭に両手でウサギの耳を表すジェスチャーをした。
天宮凛。
オペレーターとして最も優秀な隊員の一人で、バトルスーツや武器などの開発も手掛けている。
瑠奈のヘッドパーツを作ったのも彼女だ。
服装はいつも黒いワンピース。冬になるとその上に黒いコートを羽織る。髪型は常に濡れているような艶のある黒髪を姫カットにしていて、恐ろしい頻度で美容院に行っているのか、誰も凛の髪が伸びたり短くなったりした時を見たことがない。
そんな凛が可愛いポーズをしたので、瑠奈は無意識に凛の頭を撫でた。
「ちょっとお姉さーん? 私二十歳だよ? 年上だよ? 子供扱いしちゃダメ」
凛は抗議するが、ウサギ耳のジェスチャーを続けたまま瑠奈の手を払おうとはしない。
「ごめん、なんか可愛かったからつい」と、瑠奈がニヤけながら言った。「でも凛が作ってくれたこの新型、本当にすごいよ。試作品でも体重が半分になったと思ったのに、今日はまるで羽が生えたみたい。攻撃の威力も上がってるしね」
「あの蹴り、すごかったよね。目の錯覚かと思った」
「力を加減しないと柵を飛び越しちゃいそうだったからね。相手が攻撃に移る前のわずかな動きも察知できるし、人妖が気の毒になってくるよ」
瑠奈のヘッドパーツがひょこっと動いた。
ふーむ、と言って凛は腕を組む。
「まさかここまでの効果が出るとはね。ヘッドパーツはアンテナの役割に加えて、脳に微弱な電流を流して身体能力の強化と感覚神経を増幅させる効果があるんだけど、ほかの戦闘員でのテストでは適合出来ても能力の上昇率はせいぜい数パーセント。なんで瑠奈ちにだけそこまでの効果が出るのか正直わからない。いずれにせよ今後は汎用化とダウンサイジングが課題かな。まだ適性のあるごく少数の戦闘員しか装備できないし、適性があっても瑠奈ちみたいに爆発的な効果が出るわけでもない。そもそも壊されたら終わりだしね。そんなマトになりやすい大きさの外部パーツじゃなくて、本当は脳に直接埋め込むのがベストなんだけど」
「怖いこと言わないでよ……」
「壊される方が怖いじゃん」
「あ、怖いと言えばさ」瑠奈が顔を曇らせて頭を掻いた。「あの男、この近辺を仕切ってる人妖を知っているみたい。凍矢っていう個体名で、家出した女の子を使って無許可の風俗店を経営してるんだって。まぁ命乞いのための出まかせかもしれないし、それ以上のことを聞く前に倒しちゃったんだけど」
「うーん、出まかせとは言えないかもしれない。この近くのホテル周りに集まってる家出した未成年が社会問題になってるでしょ? 実は半年くらい前から、その子達の失踪件数がものすごく上がってるんだよね。もしその人妖が絡んでるとしたら……」
凛も顔を曇らせて言った。普段は無表情でもネガティブな感情だけは表に出るらしい。
「了解、目を覚ましたら色々と聞いてみる。もし本当だったら、その人妖の対処は瑠奈ちにお願いするかもしれない。あおっぴは優秀だけど、ヘッドパーツの適性はなかったから」
「オーケー。凍矢の情報がわかったら教えて。ただ、今日みたいな囮捜査はナシでお願いね。すごく恥ずかしかったんだから」
「えー、むしろノリノリだったでしょ? 遊んでるギャルなんて瑠奈ちのキャラにピッタリじゃん。私はあそこまでおっぱい押し付けろなんて指示は出してないけど?」
凛は悪巧みをするような表情を浮かべながら肩をすくめた。やはりネガティブな表情だけは表に出るらしい。
※ラフの状態ですので、製本時には内容が変わっている可能性があります。
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真白瑠奈(ましろ るな)に蹴り飛ばされた大柄な男は映画のワイヤーアクションのように吹っ飛び、配管ダクトに背中を強打してうずくまった。
「助けを呼んでも誰も来ない──だったっけ?」
瑠奈は倒れた男を見下ろしながら、綺麗な歯並びを見せて笑った。
雑居ビルの屋上。
男の背後に浮かぶ大きな満月が瑠奈の目に反射し、暗く青い光を反射している。
「そのセリフ、そのまま返すわ。仲間の人妖がいるなら呼べば? 探し出して倒す手間が省けるから」
男はうずくまったまま、ファッションモデルのように立っている瑠奈を睨みつけた。
四角い顔が怒りで真っ赤になるが、どう足掻いても瑠奈に勝ないことはわかっている。
まさか人妖の俺が……人間よりも優れた身体能力を持つ俺が、アンチレジストの戦闘員とはいえ、こんな小娘に手も足も出ないとは夢にも思わなかった。
そしてこのような危機的状況であるにもかかわらず、男は瑠奈の姿を見て生唾を飲み込んだ。
釣り落とした魚は大きいと言うが、釣り落とすどころか勝手に網に入ってきたマグロに噛みつかれたような気分だ。
二時間ほど前、男は新しい女を探すために夜の繁華街を彷徨っていた。
今の養分であり金づるの女は駆け出しのグラビアアイドルだったが、いよいよ使い物にならなくなってきた。捕食のための性行為は男が徹底的に自分好みに調教し、金はグラビア撮影だけでは稼げないので高級風俗店に入れて貢がせている。だが最近は生気を吸いすぎたのかすっかり痩せてしまい、グラビアも風俗店も売上が悪くなっている。言動もやや要領を得なくなってきたので、廃人になるのも時間の問題だった。
しばらく街を徘徊した後、男の足は自然と都内の有名なナンパスポット、通称「釣り堀」と呼ばれる公園に向いた。
誰がいつ決めたのかは知らないが、「釣り堀」には明確なルールがある。
ただの公園から「釣り堀」になるのは夜の九時から翌朝の四時まで。ナンパ目的の男は中央広場を囲むように配置されたベンチで待機する。ベンチが埋まっている時は立っていてもいいが、決して広場の中に入ってはいけない。広場の中央には大きなポールライトが一本だけ立っていて、女がその下で五秒以上立ち止まれば、それは「ナンパしてほしい」の合図となる。立ち止まらない女はただの通行人で声掛けは厳禁。レベルの高い女がライトの下で立ち止まると、まさに練り餌を放り込んだ釣り堀ように男が群がることから、いつからか「釣り堀」と呼ばれるようになった。
ベンチは全て埋まっていた。
近くのベンチでは飲んだ後らしい冴えないサラリーマン風の男が二人、落ち着きのない様子でスマートフォンと広場の中央を交互に見ている。
見ているだけでイラつくような奴らだ。
男が肩で風を切って近づくと、気がついた一人がもう一人を連れ立ってすぐにいなくなった。
適者生存というやつだ、と男は思った。
狩猟時代から男の価値は強さだと決まっている。弱い男に生存価値は無いし、子孫を残す権利もない。女だって、誰が好き好んで弱い男を選ぶものか。
「せーんぱーい! こんな所で何やってるんですかー?」
男が椅子に座るや否や、いきなり見知らぬ女が甘えた声を出しながら腕に抱きついてきた。驚いて振り解こうとしたが、女の姿を見て思いとどまる。
紺のブレザーに付いているエンブレムは、都内の有名私立高校のものだ。
垢抜けたショートカットの金髪は所々に蛍光ピンクのメッシュが入っていて、気が強そうなくっきりとした二重まぶたには髪の毛と同じ金色のまつ毛がくるりと上を向いている。カラーコンタクトとは違うナチュラルな青い目。左耳にはピアスが五つも開いているのに、右耳は青い花を模したシンプルなピアスがひとつだけ。
白人のようだが、在日期間が長いのか、それとも日本で生まれ育ったのか、雰囲気が日本人とほどんと変わらない不思議な女だ。だが透き通るような白く細やかな肌や、プロポーションがアジア人とはまるで違う。シャツは第二ボタンまでが開けられ、緩く締められたネクタイの間から谷間が見えていた。チェックのプリーツスカートからはむっちりとした太ももが伸び、思わず生唾を飲み込んだ。
この派手な女は何だ?
なぜいきなり抱きついてきた?
「あれ? 人違いかな?」とわざとらしい声を上げながら、女はイタズラっぽい笑みを浮かべて首を傾げた。言葉とは裏腹に、ますます男の腕に胸を押しつけてくる。「ごめんなさい。 知り合いの先輩に似てたから、つい抱きついちゃった。ヤバい雰囲気とか、太い腕とか、そっくりだったから……」
女はデコレーションした爪の先で男の太い二の腕をなぞりながら、右目でウインクした。
……もしかして逆ナンか?
「立ちんぼ」の雰囲気でもないし、美人局だとしても人妖の俺に敵うわけがない。男を返り討ちにした後、ゆっくりと女をいただくだけだ。男にとっては何の損も無い。
男は女の胸や太ももに視線を走らせると、口角を上げた。
「お前、名前は?」と、男が聞いた。
「瑠奈。可愛い名前でしょ?」
「日本人なのか?」
「今はね。六歳の時にアメリカから帰化したから。ねぇ、お兄さんの名前も教えて?」
「後で教えてやるよ。とりあえず移動だ。ここは成立したらすぐに立ち去るのがルールだからな」
男が立ち上がっても、瑠奈は男の腕に抱きついたままだ。周囲の男達から嫉妬と落胆が混ざった視線が注がれる。舌打ちの音すら聞こえてきた。
心地いい優越感が込み上げてくる。
白人のギャルとは大当たりもいい所だ。どうせ遊びまくって他の男の手垢がベタベタついているだろうが、この身体を抱けるのなら文句は無い。人妖の体液にはチャームと呼ばれる催淫効果と魅了効果がある。さっさとホテルに連れ込んで唾液でも精液でも飲ませれば奴隷にできる。
「その先輩と俺、どっちがイケてるんだ?」と男が聞いた。
「うーん、どうだろう。まだ会ったばかりだし……」と言いながら、瑠奈は笑みを浮かべて爪の先で男の首筋を素早くなぞった。蠱惑的な仕草にぞくりとする。
「じゃあ比べてみろよ。そこに良い場所があるぜ」
男は瑠奈の手を掴み、公園の裏手のラブホテルを親指で指した。
「どうせそれが目的だろ? 自慢じゃねぇけどな、俺のはスゲェぞ。ほとんどの女は泣き叫ぶか失神するからな」
「ちょっと、何考えてるの?」と言って、瑠奈は笑いながら男の唇に人差し指を当てて制した。「その前にさ、一緒に月を見に行かない?」
「……あ? 月?」
「そう。お、つ、き、さ、ま。今日はスーパームーンなんだって。私、誰も来ない月見スポット知ってるんだよね」
瑠奈は男の手を引いて勝手に歩き出した。
月見?
なんのつもりだ?
瑠奈は男の手を引きながら裏路地から雑居ビルに入り、古いエレベーターを使って屋上に出た。
そんなに高いビルではないが、なるほど確かに見晴らしがよく、他のビルや通りからは死角になってる。
ドアが閉まると同時に、男は瑠奈の背後から抱きついて胸を鷲掴みにした。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」
「今さら待てるかよ。外でヤルのが好きなんだろ? 早く壁に両手つけてケツ向けろ」
瑠奈は予想外に抵抗するが、男は構わず胸を揉み続けて瑠奈の首筋を舐め上げた。
「だから待ってってば! 制服汚れるとまずいんだって! せっかく良いの着てきたんだから、ちょっと準備させて」
「……あ? 準備?」
男が瑠奈の首から顔を離した。
「あれ? 言わなかったっけ? 私コスプレが趣味でさ、色んな衣装着るのが好きなの」
「コスプレ?」
「うん。実は今日はさ、制服の下にバニーガールの衣装着てるんだよね」
「ほぉ……」
男の鼻の下が伸びた。
遊び慣れしていると思ったが、ここまで好き物だとは思わなかった。
「俺もバニーガールは好きだ」
「気が合うじゃん。じゃあ準備してきてもいい? ちゃんと耳も付けてくるから」
「ここで脱げよ。見ててやる」
「ダメだって。こういうのはお互いインパクトが大事なの。すぐに着替えるからちょっと待ってて」
瑠奈はカバンを掴むと屋上から出て行った。
美人局ならここで男が出てくるタイミングだが、ちゃんとドアの内側で服を脱いでいる気配がある。
男の期待が最高潮に達した時、瑠奈が「おまたせー」と明るく言いながら勢いよくドアを開けた。そして、瑠奈の姿を見た男は時間が止まったように固まった。
確かにバニーガールだ。
近未来のバニーガールはこんな感じなのかもしれない。
純白のレオタードはヘソ下から胸元のあたりまでが半透明の素材になっている。エナメルのような純白のロングブーツと同素材のロンググローブ。衣装全体には所々に金色の装飾が控えめに施され、頭には薄紫色に発光するウサギ耳のようなヘッドパーツが二本伸びていた。
「どう? 気に入ってくれた?」
瑠奈が口角を上げて首を傾げた。だが、目つきが声をかけられた時とは別人のように鋭くなっている。
「私専用の対人妖バトルスーツ……可愛いでしょ?」
「ま、待て……待ってくれ……」
男が強打した背中を庇うようによろよろと立ち上がり、瑠奈を押し留めるように両手を突き出した。
「勝てないのは十分わかった……頼むから見逃してくれ。もちろんタダとは言わねぇ。このエリアを仕切ってる人妖の情報を教えてやる。仕切ってるのは凍矢(とうや)さんって人だ。家出少女を囲ってモグリの風俗店を経営して、めちゃくちゃ稼いでる。二週間……いや、十日以内に情報を集めて、あんたに教えるよ。だから見逃してくれ」
瑠奈は口角を上げながら「ふぅん」と声を発し、思案するように首を傾げる。
男は瑠奈の死角になるように尻のポケットに手を入れた。
瑠奈のヘッドパーツがピクリと動く。
「あ……あとはオマケに俺の仲間も売ってやるよ。普段から情報交換してる仲間がいる。俺が一声かけりゃすぐに集まってくるバカな奴らさ。あんたは待ち伏せして捕まえるなり、ぶちのめすなりすればいい」
「友達を売る……ってこと?」
瑠奈のヘッドパーツがまた動いた。左右対称にぴんと立ち、まるで角のように見える。
「まぁ、そんなところだ。だから俺だけは……」
男がゆっくりと瑠奈に近づいた。そしてポケットから腕を抜いた瞬間、狙い澄ましたように男の手首を瑠奈が蹴り上げた。
男が握っていたスタンガンが瑠奈の背後に落下する。
「ごめんねー。怪しい動きするとわかっちゃうんだよね」瑠奈がヘッドパーツを指でトントンと叩いた。顔は笑っているが、眉間には皺が寄っている。「あとさ……。私、友達を大切にしない奴がマジで許せないんだよね」
瑠奈は失神した男の背中に胡座をかいて座っていた。
心地良い夜風が瑠奈の髪を撫でた。正面には大きな満月が浮かび、瑠奈の鼻歌に合わせてヘッドパーツが踊るように動いている。
わずかな時間でもスーパームーンを堪能できてよかったと瑠奈は思った。オペレーターの天宮凛(あまみや りん)はもう間も無く回収班を引き連れて到着するだろう。
ふと、手の中のスマートフォンが震えた。
表示された名前を見ると、瑠奈のヘッドパーツが嬉しそうに跳ねた。
「ほーい、どうしたー?」
スマートフォンの画面と左耳のピアスが当たってカチリと音が鳴る。
「うん……うん……今? 大丈夫だよ。ちょうど任務終わって凛と回収班を待ってるところ。うん……葵、落ち着いて。ゆっくりでいいよ…………はぁ!? 暴漢に襲われた!?」
瑠奈が勢いよく立ち上がった。
同時に屋上のドアが開いて、黒い作業服を着た三人の男と、真っ黒いワンピースを着た小学生のような体格の女が入ってきた。
回収班と天宮凛だ。
瑠奈が通話したまま四人に目配せし、足元の男を指差した。凛は頷くと回収班に指示を与え、三人の男は慣れた手つきで担架とベルト、そして寝袋のようなものを準備し始めた。
瑠奈は四人から距離をとって小声で通話を続けた。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの? え? もう倒した? 投げてから締め落とした? その……何もされなかったの……? ああ……よかった……。まだ警察呼んでないんだよね? うん、大丈夫。説明は任せて。すぐに行くから」
瑠奈はスマートフォンを切ると、回収作業を手伝っている凛の肩を叩いた。振り向いた凛に祈るように両手を合わせて片目を瞑る。
「ごめん! 葵がちょっとトラブっちゃって同乗できないかも」
「おりょ、そりゃ大変」
凛は無表情のまま抑揚の無い口調で言うと、タブレットを素早く操作した。
「オッケー。車をもう一台手配したから、到着次第あおっぴの所に行ってあげて。同乗はしなくて大丈夫。予備の拘束テープも一緒に巻いておけば、このクラスの人妖なら目を覚ましても解けないはずだから」
「ごめんね。安全のために戦闘員も同乗した方がいいんだけど……」
「とんでもない。それよりもすごかったじゃん? 攻撃、一発も貰ってなかったよね。やっぱり試作品とは違う?」
凛は相変わらず無表情のままで、自分の頭に両手でウサギの耳を表すジェスチャーをした。
天宮凛。
オペレーターとして最も優秀な隊員の一人で、バトルスーツや武器などの開発も手掛けている。
瑠奈のヘッドパーツを作ったのも彼女だ。
服装はいつも黒いワンピース。冬になるとその上に黒いコートを羽織る。髪型は常に濡れているような艶のある黒髪を姫カットにしていて、恐ろしい頻度で美容院に行っているのか、誰も凛の髪が伸びたり短くなったりした時を見たことがない。
そんな凛が可愛いポーズをしたので、瑠奈は無意識に凛の頭を撫でた。
「ちょっとお姉さーん? 私二十歳だよ? 年上だよ? 子供扱いしちゃダメ」
凛は抗議するが、ウサギ耳のジェスチャーを続けたまま瑠奈の手を払おうとはしない。
「ごめん、なんか可愛かったからつい」と、瑠奈がニヤけながら言った。「でも凛が作ってくれたこの新型、本当にすごいよ。試作品でも体重が半分になったと思ったのに、今日はまるで羽が生えたみたい。攻撃の威力も上がってるしね」
「あの蹴り、すごかったよね。目の錯覚かと思った」
「力を加減しないと柵を飛び越しちゃいそうだったからね。相手が攻撃に移る前のわずかな動きも察知できるし、人妖が気の毒になってくるよ」
瑠奈のヘッドパーツがひょこっと動いた。
ふーむ、と言って凛は腕を組む。
「まさかここまでの効果が出るとはね。ヘッドパーツはアンテナの役割に加えて、脳に微弱な電流を流して身体能力の強化と感覚神経を増幅させる効果があるんだけど、ほかの戦闘員でのテストでは適合出来ても能力の上昇率はせいぜい数パーセント。なんで瑠奈ちにだけそこまでの効果が出るのか正直わからない。いずれにせよ今後は汎用化とダウンサイジングが課題かな。まだ適性のあるごく少数の戦闘員しか装備できないし、適性があっても瑠奈ちみたいに爆発的な効果が出るわけでもない。そもそも壊されたら終わりだしね。そんなマトになりやすい大きさの外部パーツじゃなくて、本当は脳に直接埋め込むのがベストなんだけど」
「怖いこと言わないでよ……」
「壊される方が怖いじゃん」
「あ、怖いと言えばさ」瑠奈が顔を曇らせて頭を掻いた。「あの男、この近辺を仕切ってる人妖を知っているみたい。凍矢っていう個体名で、家出した女の子を使って無許可の風俗店を経営してるんだって。まぁ命乞いのための出まかせかもしれないし、それ以上のことを聞く前に倒しちゃったんだけど」
「うーん、出まかせとは言えないかもしれない。この近くのホテル周りに集まってる家出した未成年が社会問題になってるでしょ? 実は半年くらい前から、その子達の失踪件数がものすごく上がってるんだよね。もしその人妖が絡んでるとしたら……」
凛も顔を曇らせて言った。普段は無表情でもネガティブな感情だけは表に出るらしい。
「了解、目を覚ましたら色々と聞いてみる。もし本当だったら、その人妖の対処は瑠奈ちにお願いするかもしれない。あおっぴは優秀だけど、ヘッドパーツの適性はなかったから」
「オーケー。凍矢の情報がわかったら教えて。ただ、今日みたいな囮捜査はナシでお願いね。すごく恥ずかしかったんだから」
「えー、むしろノリノリだったでしょ? 遊んでるギャルなんて瑠奈ちのキャラにピッタリじゃん。私はあそこまでおっぱい押し付けろなんて指示は出してないけど?」
凛は悪巧みをするような表情を浮かべながら肩をすくめた。やはりネガティブな表情だけは表に出るらしい。