※過去作を読んでいなくても楽しめます。
※ラフの状態ですので、製本時には内容が変わっている可能性があります。

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「──で、さっきの配達員がまた来て、サービスの品を渡し忘れたって言うんですよ。その時点で怪しいなんて思わないじゃないですか。それでドアを開けたら、いきなり突き飛ばされたんです」

「……どのようにして対処されたんですか?」
「こう、馬乗りになって組み伏せられたので、下からブリッジの要領で相手の体勢を崩して、怯んだ隙に背後から絞め技で落としました。この場合は正当防衛が成立しますよね?」
 瑠奈は葵の部屋の玄関先で、訪れた二人の警察官(初老の男性と若い男性だった)に身振り手振りで説明した。
 警察官たちはメモを取り終わると、お互いの顔を見合わせた。
「うーむ」と、若い警察官のひとりがペンで眉間のあたりを掻いた。「状況はわかりました。確認ですが、あなたは実際に被害に遭われた葵さんではないんですね?」
「そうです」

「もう一度、お名前を確認してもよろしいですか?」
「真白瑠奈です。真っ白と書いて真白(ましろ)。瑠璃色の瑠に、奈良県の奈です」

「失礼ですが、国籍は日本でしょうか?」
「はい、六歳の時に帰化しました。出身はアメリカで、ルナ・ホワイトという名前でした。帰化した時の苗字や漢字は父が決めました」
「なるほど。で、そちらに隠れている方が──」
 瑠奈の背後に隠れていた葵の身体がビクッと跳ねた。怯えたリスのようにひょこっと顔だけを出して、睨むように若い警察官を見る。
「こっちが葵です。一ノ瀬葵」と、瑠奈が葵の頭をポンポンと叩きながら言った。「昔からすごい人見知りで、知らない人が相手だと、こんな風にまともに喋れなくなっちゃうんですよ。私はこのマンションの別の部屋に住んでいて秒で来れるので、よくヘルプに来るんです」

 警察官はまたお互いに顔を見合わせた。

 奇妙な組み合わせの二人だ。
 瑠奈は、自分たちは同じ高校に通っている幼馴染の友人で、このマンションでそれぞれ一人暮らしをしていると説明した。ここは一等地というほどではないが、都内では比較的地価の高いエリアのタワーマンションだ。家族と同居ならともかく、女子高生がこんな場所で一人暮らしなどするだろうか。

 見た目も良くも悪くも対照的だ。
 瑠奈は一言でいえばギャル風で、背が高くピンクのメッシュが入った金髪に碧眼。制服は着崩していて、左耳にはピアスが五個も開いている派手な見た目。明らかに遊んでいる雰囲気だ。
 もう一方の葵は容姿は整っているものの、背も低く地味な見た目。おとなしいどころか、まともに会話すらできない様子でずっと瑠奈の背後で怯えている。
「葵さん?」
 若い警察官の背後で話を聞いていた初老の警察官が、子供に語りかけるように言った。
 葵はまたビクッと跳ねた。
「今の瑠奈さんのお話、間違いないですか?」
 葵は震えながら、なんとか頷いた。
「随分と怯えているみたいですが、もしかして誰かに脅されていませんか? 今なら我々がいるので、正直に話していただいても大丈夫ですよ」
「……まぁ、そうなるよね」と言って、瑠奈はため息混じりにこめかみを押さえた。
 葵は慌てて首を振った。
「いや、前にこういうことがあったんですよ」と、若い警察官が言った。「ある高校生のカップルが、別れ話のもつれから彼女さんが彼氏さんを刺してしまい、気の毒にも彼氏さんが亡くなってしまったんです。ところが、あろうことか彼女さんは自分がいじめていた同級生の女の子を脅して、罪を被せようとしたんです。いじめられっ子の女の子が彼氏さんから襲われたことにして、正当防衛を主張したんですよ。上手くいけばいじめられっ子は正当防衛が認められるし、認められなくても彼女さん自身は罪には問われないと考えた。もちろんそんな浅はかな嘘はすぐにバレましたしたけどね」
 葵は首が折れそうな勢いで首を振った。
「もちろんあなた達の関係がそうだと言っているわけでないんですよ」と、初老の警察官がフォローした。「ただ、今の段階では、我々はあらゆる可能性を考えなければならないんです。たとえば落ちていた財布を交番に届けてくれた人に対しても、その人が盗んだ可能性はゼロではないので、一応は調べます。可能性がゼロに近くても、証明ができなければ可能性としては残ってしまうんです。申し訳ありませんが、どうかご理解ください。よろしければ、まずはお二人がどのような経緯でご友人になられたのか、教えていただいてもよろしいですか?」
 葵と瑠奈は顔を見合わせて頷いた。
「ちょっと恥ずかしいんですけど……」と言って、瑠奈は本当に恥ずかしそうに頭を掻いた。「私、英語苦手だったんですよ」
「……元々はアメリカにいらっしゃったんですよね?」と、若い警察官が言った。
 瑠奈が頷いた。「そうですね……。私の父は生粋のアメリカ人なんですけど、絵に描いたような日本かぶれだったんです。普段着は和服。家も日本人の職人に依頼した日本家屋。床も全部畳敷で、掘り炬燵はあっても椅子はありませんでした。父は仕事の時はさすがにスーツを着て英語を喋っていましたけど、家での会話は全て日本語です。ママはそんな父に呆れて、私が物心つく頃に出ていってしまいました。父は私のためにベビーシッターを雇ってくれたんですけど、その方も日本出身で、家の中では日本語を話すように父から求められていたそうです。そんな環境で育ったので、私がプリスクール──日本で言う幼稚園みたいな所なんですけど、そこで同級生とまともにコミュニケーションが取れなかったんですよ。周囲の子が何を喋っているのか、半分も理解できなかったんです。そのうち私はプリスクールに行くのを嫌がるようになり、やがて本当に行かなくなりました」

 警察官は頷きながらメモを取り、話の続きを待った。
「父は私が言語によるコミュニケーションが困難な状態に陥っていることに気がつき、同時にその原因が自分にあることを知りました。ひどくショックだったそうで、父は──たぶん皆さんも聞いたことのある証券会社のマネジャーなんですけど、すぐに日本支社への異動を申し出て、私と二人で日本に移住することを決めました。今でも時々お酒を飲むと、当時のことを私に謝ります。まぁ、今考えれば虐待に当てはまるとは思うんですけど、父に悪気が全く無かったことは私もわかっていますし、日本に来てから父は積極的に英語を教えてくれて、今ではアメリカの親族とも問題なくコミュニケーションが取れているので、別に恨んだりはしていないです」
「なるほど。それで六歳の時に日本に来られたんですね」
「ええ。来日してからは少し引きこもっていたんですけど、あるタイミングで都内の小学校に編入しました。ただ土地にも慣れていませんでしたし、コミュニケーションに対するトラウマも強く残っていましたし、この通り見た目が周囲と違うので、アメリカにいる時よりも更に萎縮していました。でもしばらくすると、後ろの席の子も私と同じように全然喋らないことに気がついたんです」

 瑠奈は葵を振り返り、目を合わせた。
「それが葵との出会いです。休み時間になっても二人ともずっと無言で座っていました。ある日の昼休みに偶然二人きりになるタイミングがあって、思い切って私から葵に声をかけました。葵はびっくりしていましたけど、たぶん葵も私に同じ匂いを感じていたのか、少しずつ喋ってくれました。私も自分の言葉が同年代の子に初めて通じたことが嬉しくて、徐々に葵以外の子にも話しかけるようになりました。だから、私が人と喋れるようになったきっかけをくれたのは葵なんです。あの時、葵が後ろの席にいなかったら、たぶん私は今とはかなり違った人生を歩んでいたと思います」
 葵は何度も頷き、瑠奈の影から姿を表すと、ぎゅっと拳を握った。
「ほ……本当……です。わ、私も……る、瑠奈には……た、た、た、助けて……も、もらってばかりで……」
 初めて聞いた葵の声はひどく震えていたが、同時にとても聞きやすく可愛らしい声をしていたので、警察官二人はまた顔を見合わせた。

 葵の部屋のリビングは小洒落たカフェのような内装だった。
 床は無垢のウォルナットで、漆喰の壁には三枚の小さな抽象画が掛けられていた。部屋の中央にはニスが擦り込まれた縦長のダイニングテーブルと、木目調のイームズのシェルチェアが二脚、向かい合って置かれている。スポットライトが照らすテーブルの中央には小さなパキラの鉢が置かれ、ブラウンが基調となった内装に緑を添えていた。
 葵はカウンターキッチンの中で業務用のグラインダーで豆を挽き、銅製のドリッパーとケトルを使って丁寧にコーヒーを淹れた。その流れは完璧で、所作には無駄なところや演出めいたところはなにも無かった。なおかつ、葵はコーヒーを淹れるという行為を心の底から楽しんでいるように見えた。そして瑠奈も椅子に胡座をかいて座りながら、流れるようにコーヒーを淹れる葵の姿を楽しそうに見つめていた。
 葵は出来上がったコーヒーをテーブルに置いて瑠奈の対面に座ると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご、ごめんね……。助けてもらった上に、う、疑いまでかけられちゃって……」
「いいっていいって。いつものことじゃん」瑠奈は手をひらひらさせてあっけらかんと笑った。「疑いも晴れたし、犯人も捕まったし、オールオッケーでしょ」
 瑠奈の言う通り、あまりにもチグハグな二人の関係に疑問を持たれることは珍しいことではない。
 先ほどの警察官二人は瑠奈の話を信じ、やがて警視庁のデータベースから配達員に過去にも逮捕歴があることが判明し、疑いは完全に晴れた。
「それよりもこれ見て。凛が作ったヘッドパーツの完成品。今日の任務で初めて使ったんだけど、試作品とは大違いの性能でさ」
 瑠奈はカバンからヘッドパーツを取り出して葵に見せた。折り畳まれたアンテナ部分が伸びると、ウサギの耳のような形になる。
「もう無敵状態っていうかさ。蹴り入れた相手がオモチャみたいに吹っ飛んじゃって、危うくビルの屋上から落としちゃうところだったんだから」
「それは……すごいね」
「葵ももう一度試してみたら? 完成品ならもしかしたら適性があるかもしれないし」
「うーん……私は効果が出ないB判定じゃなくて、装備すらできないC判定だったから……」
 葵は瑠奈から受け取ったヘッドパーツをしばらく眺め、確かめるように頭に装着した。
 途端、嵐の海に浮かぶ船のように景色が揺れ始めた。 
「おぉう……」

「やっぱりダメかぁ」瑠奈は身を乗り出して葵の頭からヘッドパーツを外すと、コーヒーカップを持って天井を見つめた。「凛が言ってたけど、汎用化が当面の課題なんだって。なんで私だけここまで適性があるのかもよくわからないみたい。葵は今の状態でも十分強いから、装着できたら私の比じゃないくらい強くなると思うんだけど……てかこのコーヒー美味っ?! また新しい豆?」

 瑠奈は予想外の宝物を見つけた時のように目を見開いた。
 カップからは熟したプラムやオレンジのような香りが立ち昇り、砂糖もミルクも入れていないブラックコーヒーにもかかわらず、ほのかにサトウキビのような甘さを感じる。
「エルサルバドル、サンタ・コネホ農園のパカマラ。樹上完熟のウォッシュド」と言いながら、葵もコーヒーに口をつけた。そして満足そうに小さく頷いた。完璧なものが完璧な場所に納まっていることを喜んでいるように見えた。
「葵は絶対カフェ開いた方がいいって。こんなに美味しいコーヒー私だけが飲んだらもったいないよ」と、瑠奈が真剣な顔で言った。
「む、無理だよ。接客なんてできないし」
「私が接客すれば解決するじゃん」と言って、瑠奈はにこりと笑った。「ていうか葵さ、どんどん喋れるようになってるよね? 去年までは私と喋る時ですらこんなにスムーズじゃなかったのに。やっぱりブイチューバーの効果かな? 登録者数、すごいことになってるよね?」

「あ、あれは事故みたいなもので……たまたまネットニュースに……」
 葵は恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 その日、二人は途切れることなく話を続け、瑠奈はそのまま葵の部屋に泊まった。あらためてデリバリーを頼み、日付が変わって少し経った頃に同じベッドに入った。
「ピ、ピアスって痛くないの……?」
 葵が仰向けに寝ている瑠奈の形の良い左耳にそっと触れた。左耳のピアスは全て外され、その小さな空洞の羅列はまるで意味のある星座のように見えた。
「んー? 葵もピアス開けてみたいの? 私が開けてあげよっか?」
 瑠奈が悪戯っぽく言うと、葵は慌てて首を振った。
「付けてる時は全然痛くないよ。開ける時もちゃんとすれば痛みも血もほとんど出ないしね。ただココとココを繋ぐ長いピアス──インダストリアルって言うんだけど、付けたまま寝ちゃうと寝返りの時に引っかかって痛い時はあるかな」
「やっぱり痛いんだ……」
「でもね、こっちは寝る時も外してないんだ。引っかかることもないし」
 瑠奈も葵に向かい合うように横向きになると、右耳にひとつだけ付いている小さな青い花のピアスを小指で指した。

「それ……私が高校の入学祝いで買ったやつ……」
「そ。こっちはね、ずっと付けっぱなし」


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