最後の救急車を見送り、シオンはようやく肺に溜まった息を深く吐き出した。冷子の手にかかった男子生徒は驚くほど手際の良い作業で数台の救急車に乗せられ、総合病院へ搬送された。付近住民(といっても大抵はアナスタシアの関係者だが)は「毒ガスが発生した」「細菌が漏れた」などと一時騒然となったが、救急車が行ってしまうと次第に落ち着きを取り戻し、散り散りに解散して行った。その後はアナスタシアとアンチレジストの手によって情報規制がなされ、当時現場に居合わせた野次馬以外にこのことが知られることは無かった。鑑は落ち着いてオペレーターのリーダーに今回の件を報告しており、その背後では綾が仲間のオペレーターからこっぴどく叱られていた。

夜になり、若干涼しさをはらんだ8月の風がシオンの髪をなびかせる。右のツインテールを押さえた時、背後から綾が声をかけた。

 

「はぁ…やっとお説教が終わった…。なんだか戦闘よりもどっと疲れたわ…」

 

「あら?意外と早かったですね?」

 

「いろいろ報告があるから続きは後でゆっくりだって…それと当分は勝手な行動は慎む様にだってさ、はぁ…」

 

「ふふ…それだけ心配されるほど大切に思ってもらってるんですから、感謝しないとダメですよ?」

 

「まぁそうね。今回ここまで乗り込めたのもあの人たちのおかげだし。なんだかんだで振り回しちゃったからね」

 

綾が背後のオペレーターを振り返りながら呟く。先ほどまで綾を叱っていた仲間は今では携帯電話であちこちに電話をかけていた。

 

「なんか実感湧かないけど、終わったんだね…。とりあえず今回の件は…」

 

「そうですね…。私も現実感が無くて…。でも、正直今回は自分の未熟さを思い知らされました。綾ちゃんが来てくれなかったら私は今頃どうなっていたか…」

 

「まぁそれは私も同じことだしさ…単身乗り込んでシオンさんがいなかったら…。それにしても、あいつら一体なんだったんだろう?涼の身体を持って行った奴ら…」

 

シオンが涼にトドメを刺し、その場にいた全員が完全に力つきている時、突如3人の人間が部屋に入ってきた。 パニック映画の中に出てきそうな冗談みたいな格好の奴らだった。それぞれ真っ黒い服を着て、フルフェイスになったガスマスクの様なものをすっぽりと被っていたので、正体は全く分からない。3人は迷うこと無く涼の動かなくなった身体を運び出し、何事も無かったかの様に消えて行った。わずか15秒ほどの出来事。その場にいたシオン、綾、鑑の3人はあまりの手際の良さに声も発することが出来ず、ただ呆然と成り行きを見守るしか無かった。

 

「涼さんも最後に計画がどうとか言ってましたよね…。おそらく、私達の知らない所で何か大きな動きがあるのはほぼ間違いないでしょう。正直、アンチレジストという存在自体、見直した方がいいかもしれません」

 

「アンチレジストを…?」

 

「はい。自分で所属しておきながら、この組織はあまりにも謎が多過ぎます。マスメディアや警察を押さえ込む影響力や、あそこまで充実した施設や人員の維持…一個人や企業が取り仕切るには並大抵のことではありません。それこそ国家レベルでもない限り…。私なりに、少し調べてみます」

 

「確かに…。それが組織の方針だと勝手に思い込んできたけど…。私にも手伝わせて!もちろん人妖討伐も続けながらね!」

 

「もちろんです。これからもよろしくお願いしますね。綾ちゃん!」

 

「ええ、シオンさんもね!」

 

シオンと綾は満面の笑みが浮かべながら、パシンと小気味いい音を立ててお互いの手を握り合った。普通に生活していれば出会うことすらなかったであろう2人が、しかも組織の中のトップクラスの実力を持つ2人がお互いをパートナーとして認め合ったことは、横のつながりの殆ど無いアンチレジストという組織にしてはかなりの異例だった。

 

「あー、盛り上がっている所申し訳ないですが…」

 

2人がびくりとして振り返ると、報告を終えた鑑が眼鏡を直しながら立っていた。

 

「か、鑑君!?報告はもう終わったの?」

 

「いえ、まだ途中ですが、概要だけ話してひとまず病院へ向かうみたいです。ある意味病み上がりみたいなものですし、念のため僕を含め3人とも病院で検査入院する様にと」

 

「はぁぁ…」

 

綾がひときわ大きなため息をついた。やれやれ、また入院か。退屈な上に訓練が出来ない病院の中に居ることは綾に取って苦痛でしかなかった。

 

「その前に一度シャワー浴びたいですね…。結構汗かきましたし、それ以外にも色々浴びましたし…」

 

シオンが何の気なしに呟くと、普段は冷静な鑑が珍しく真っ赤になって下を向いた。自分も「それ以外」をシオンに浴びせた1人だし、その記憶は今でも鮮明に覚えている。そのことを思い出すと自然と健康な男子の反応が起こり、それを悟られない様に思わず腰を引く。

 

「と…とにかく!双子の捜索も含めて後処理は彼らに任せて、我々は少しでも休養を取るべきです。この隙をついて人妖が攻めて来たら、当然2人にも出動していただくのですから」

 

「あ…双子ってあの…」

 

「由里ちゃんと由羅ちゃんだっけ…。モニタールームで見たときは一方的にやられてたけど、あの後人妖の仲間になったってこと?」

 

「それは今から調べるそうです。組織もあまりの事態に混乱しています。このままこちらの内部情報が2人を通じて人妖側に流れる危険性も…いえ、既に流れているかもしれませんが…。どういう経緯で今回の様になったかは分かりませんが、このまま我々も活動を続けていれば、いずれ2人には再び会う時が来るでしょう…」

 

鑑が話し終わると、その場に居る3人は声を発することが出来なくなった。無言。ひとときの静寂が、残暑の残る空気を少しだけ冷やした。正門からはアンチレジストの黒塗りの車が一台、3人に向かって石畳を踏みしめながら走ってきた。

 

 

 

 

緑の縁取りの中でセイレーンが微笑んでいるカフェの奥の席で、金髪と茶髪の美少女2人と眼鏡をかけた整った顔立ちの男子生徒がテーブルを囲んでいた。テレビや雑誌に出てきそうな美男美女が3人揃い、ましてやシオンはかなり目立つ風貌をしていたため時々チラチラと伺う客も居たが、次第に飽きて自分たちの世界に戻って行った。シオンと綾、鑑は久しぶりの再開に楽しげに談笑していたが、店内の喧騒のために何を喋っているかは隣の席でも聞き取るのは難しかった。


「うわぁ、シオンさん髪おろしたんだ!?すっごい綺麗…さわらせて!」

 

「ええ、いいですよ~」

 

綾が手をわきわきと動かしながら問いかけ、シオンがいつも通りのんびりと答える。綾がシオンの髪に触り、おお~、とか、うわぁ~とか感嘆の声を上げているのを見て、鑑がため息をつきながら眼鏡を直した。

精密検査として入院したものの、それは半ば取り調べみたいなもので、アンチレジストの上層部と名乗る人間が(といっても厳重に顔を隠していたが)ひっきりなしに病室を訪れアレコレと質問をしては帰って行った。しかも3人の口裏合わせを防ぐかの様に入院中は別々の個室に移され、1週間後の退院の時までお互いの顔を見ることすら出来なかった。

厳しい戦闘の後であったため、退院後、それぞれ普段の生活のペースに戻るのに更に半月ほどかかり、ようやく落ち着いて3人が顔を合わせることとなった。

 

「いやぁやっぱり綺麗だね~。これだけ長いのに枝毛一本も無いし…」

 

「ありがとうございます。鑑君がおろした方が威厳が出るとか落ち着いて見えるとか言うので、試しにやってみたんですよ」

 

「えっ!?ま…まさか2人って付き合うことにしたの!?」

 

「ぶっ!違いますよ!」

 

鑑が飲んでいたカフェラテを吐き出し、珍しく大きな声を出した。普段は落ち着いているが、色恋の話は苦手らしい。

 

「だって、普通女性の髪型に意見するのってそういう関係になってからじゃない?しかも鑑君のリクエストにシオンさんも合わせてるんでしょ?」

 

「会長とはそう言う関係ではありません!人間としては尊敬できますが……」

 

「女性としては尊敬できないの?はぅぅ…」

 

「い…いえ、そう言う訳では……。と、とにかく会長、休んでいた間に溜まった業務があるんですから、当面はアンチレジストのことは置いといて、生徒会長のシオン・ イワーノヴナ・如月さんとして生活して下さいよ。間違ってもこの前のメイド服で登校なんてしないで下さいね」

 

「わ、わかってますよ!あれはあくまでも個人的に好きな格好なだけで、公的な場には持ち込みませんから!」

 

「あーあ、とうとうコスプレ好きを認めちゃったよこのお姉さんは…」

 

「だって好きなんだから仕方ないじゃないですかぁ…」

シオンが下を向きながら真っ赤になって呟くと。綾と鑑が同時に笑い出し、つられてシオンも笑った。一時の平和を3人の笑い声が包んでいた。