短編が書けましたので公開します。
サクッと書き上げるはずだったのですが、結構な難産になりました。
エンディングについてはハッピーエンド、バッドエンド含めて数パターン書いたのですが、色々考えてこのような形に。。。どうでしょうか?
ではどうぞ↓
「CANON ークリスマスの四日くらい前ー」
美沙とは去年のクリスマスイヴの前日、十二月二十三日に付き合いはじめたので、もうすぐ一年が経とうとしていた。
美沙とは、大学で募集していた図書館の臨時アルバイトで知り合った。
仕事自体は楽なもので、まずは適当に二人組になり、一方が発注リストと実際の蔵書の照らし合わせ、もう一方が照らし合わせの終わった本にバーコードを貼るというものだった。
アルバイトに応募してきた学生は十人程度で、その学生のほとんどは示し合わせたかの様に地味なタイプの生徒ばかりだった。髪型も、服装も全く特徴が無く、名前と顔を一致させるのに苦労した。本人達も、特に覚えてほしいとは思っていなかったのだろう。こちらから話しかけても生返事が帰ってくればいい方で、ほとんどは聞こえない振りをされた。僕も次第に必要最低限のこと以外は喋らなくなっていった。
その中で美沙はどちらかと言えば派手な印象だった。派手と言っても下品な派手さではなく、明るくて話し上手な誰からも好かれるタイプの人間だった。その美沙をしてもこのアルバイトの学生には男女問わず参っていた様だった。
「黒が好きなの?」
「え?」
「いや、服装のこと。ここんとこ毎日見てるけど黒い服装多いじゃない? 好きなのかなぁって思って」
「いや……まぁ、別に……いや……好き、かな。というか楽なんだよね。黒だと合わせられる色も多いから」
「差し色は赤が多いよね。いや、別にジロジロ見てる訳じゃないよ! 最初見た時に、あぁ、服好きなのかなって思ってたけど、毎日色んな格好して来るから面白くてつい見ちゃって」
「ああ、なんか……ありがとう。ええと……」
「倉田 美沙(くらた みさ)。あ、でも『倉田さん』って呼ばないでね。美沙でいいよ。みんな名前で呼んでるから『倉田さん』って呼ばれても気が付かないかも」
「あ、その、倉……美沙さんはガーリーな感じだよね。赤いチェックのスカートにブラウンのカーディガンとか、カントリーっぽいカジュアルな感じかな」
「あぁ、好きだねぇそういうの。あとスクール系もかなり好きかな。ロペピクニックとかよく行くし」
「あの駅ビルにある? よく女友達から『お手頃だけど使いやすくてオシャレだ』って聞くよ」
「そうそう! そこによく行ってる」
この会話をきっかけに僕たちは意図的に同じ組になるようになった。どちらかと言えば内気で口下手な僕を彼女は上手にリードしてくれて、彼女と話しているとまるで自分が彼女と同じ様に明るく、話し上手な人間であると勘違いしてしまいそうになった。
僕が彼女に惹かれるのに、あまり時間はかからなかった。
仕事も中盤を過ぎた頃、彼女から「飲みに行こう」と言われて、学校から少し離れた居酒屋へ行った。あのアルバイトから飲みの誘いに乗る人などいるのだろうかと思ったが、案の定二人きりだった。内心かなりワクワクしていた。お互い酔いが回ってきた頃、美沙はぽつりと、後輩の男からストーカーまがいの行為を受けていると言った。
彼は一つ下の学年で、ガリ勉を絵に描いた様な男だった。いつ見ても同じジーンズに同じパーカを着ていた。僕は何度か彼と組になったが、僕が話しかけてもほとんど無反応だった。
美沙と彼は一ヶ月ほど前に一度だけ組になったが、その時しつこいくらい美沙の情報を根掘り葉掘り聞き出そうとし、また、自分のことを身振り手振りを交えて大声で話したという。作業をしながらも図書館は開館していたので、普段は物静かな司書(僕たちの上司にあたる)から再三にわたって注意を受けていたとのことだった。
「その……なんて言うか……ちょっと怖いんだよね……。夜中の二時や三時に電話鳴る時もあるし、正直バイトもやめようか悩んでるんだ……」
美沙はテーブルの上に乗せた自分の左腕にあごを乗せると、その状態で器用にカシスオレンジを飲んだ。ほとんど氷しか残っていない。僕は内心かなり腹が立っていた。
「正直ショックだし、結構腹が立ってきたよ。早めになんとかした方がいい」
「どうすればいいのさ? 携帯変えてバイトやめても同じ大学にいるんだから効果無いよ……」
「いや、無くはないと思うよ。携帯変えるのは面倒だけど、ある意味最後通告だし」
「彼……私の取ってる講義に来たんだよ……。私の三列くらい後ろの席に独りで座ってた……三年限定の講義だから、いっこ下の彼が取れるはず無いよね。友達と一緒だったから気付かない振りして教室出たけど、ずっとこっち見てた……」
「それはもうストーカーだよ……学生課に相談するとか……」
「下手に恨み買いたくないよ……何されるかわからないし……」
「恨みの矛先を変えればいい」
美沙はアルコールが回ったのか、閉じ気味になった瞳で僕を見た。少し涙目になっていた。美沙の瞳をまじまじと見つめたことは無かったが、本能的にこの人を守らなければと思った。
「僕と付き合っていることにすればいいんだ。今度メールが来たら、さりげなく僕と付き合っていることを向こうに伝えるんだ。上手く行けば矛先は僕に向くし、美沙を逆恨みしてきたら、僕から彼に話すよ」
事態はあっさり過ぎるほど簡単に解決した。美沙は次の日彼から着たメールにさりげなく僕と付き合っている意味合いのメールを返信したところ、毎日の様に続いていた彼からのメールはぴたりと止んだ。彼は相手がいる異性には興味が無いのか、アルバイトでは僕にも美沙にも会話はおろか、目を合わせることもなくなった。
一ヶ月様子を見て、お互いにもう大丈夫だろうと確認し合うと、僕たちは相談し合った居酒屋で祝杯をあげた。前回の様に湿っぽい雰囲気は無く、美沙も心から喜んでいた。
「ほんっっとよかったぁ〜。内心刺されるんじゃないかってすごく心配だったんだよ〜」
「いや、僕も安心してるよ。正直言って結構ビビってたんだ。常に友達といる様にしてたし、駅のホームでも電車来るまでは並ばない様にしたりね、ははは」
「でもすごい効果だったね。『すみません私彼氏いるんで作戦』」
「いつの間にそんな名前付けてたの?」
「ついさっき、あはは」
「でさ、その……さ……」
「ん?」
「フリじゃなくても……いいかなと思ってるんだ……」
僕は心臓が口から出てきそうなほど緊張していた。十代の頃にも女性と付き合ったことはあったが、美沙は特別に好きだった。告白して、今までの関係が壊れるのが怖かったが、告白しないで自然消滅することはもっと怖かった。
「…………」
「美沙さえよければでいいんだけどさ……付き合ってほしいんだ。フリじゃなく、本当に……」
「………」
美沙はあの時と同じカシスオレンジのグラスを口に運び、飲む直前の姿勢のまま固まっていた。下唇とグラスの先が触れている。しばらくした後(僕には数時間に感じたが)、美沙は困り笑いの様な顔をして、ふぅっと吹き出したとも溜息とも取れない息を吐いた。
「もう……なんで私が言おうとしてたこと先に言っちゃうのさ……また助けられちゃったね……。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
と言って、グラスを置いて両手を膝の上に揃えると、テーブルすれすれまで頭を下げた。彼の問題と同じ位あっさりと解決したが、僕は気絶しそうなほど嬉しかった。
彼女とは実家が近いこともあり、毎週の様に会っては映画や食事に行った。学校で二人きりで会うことはほとんど無かったが、充実していたと思う。
正式に恋人になってからも、僕は美沙に会う度に新しい発見をした。そして、美沙のほんの些細な仕草や行動を見ているうちに、僕は増々美沙に惹かれていった。
コンビニでお釣りを貰う時にお礼を言うこと。人ごみで肩がぶつかるたびに「ごめんなさい」ということ。レストランで料理が遅くでものんびり待っていられること。服を選ぶ際にはっきりと的確で明確なアドバイスをくれること(僕が気に入った服を「似合わない」と言われることも多かったが)。話し上手である以上に聞き上手であること……。
そのひとつひとつの全てが、美沙の魅力だった。
美沙と一緒にいると、何とも言えない満たされた気持ちになった。今まで僕を悩ませていたことが、すべて些細なことの様に思えてきた。
あの頃、僕は、確かに幸せを手にしていた。
だが、三ヶ月、半年と経つごとに、僕の中で徐々に不満というか、はがゆさが募って行った。彼女とは一度も身体の関係にはなっていなかった。
「私ね、キスはすごくしたいと思うんだけど、その先はしたいと思わないんだ」
彼女と付き合って一回目のデートでそう言われた。最初は特に深くは考えなかったが、月日が流れるにつれて、僕が拒まれているのではないかという思いが募っていった。それとなく誘ったり、一緒に二泊三日の旅行に行ったりもしたが、僕たちの関係は決まってキスまでで終わり、その先に進もうとすると、美沙はとても上手に回避した。
我慢の限界を迎えた僕は、とうとう誰もいない講堂で美沙に言った。
「ねぇ、この際はっきりさせておいた方がいいと思うんだ。正直、僕は美沙とセックスがしたい。それに、気が早いかもしれないけど、この先僕と美沙が結婚したとして、当然子供が欲しくなると思うんだ。だから……」
「ごめん……言いたいこと分かるよ。痛いくらい分かる……。でも、本当に私にはそういうことが分からないの……。愛してる人と結ばれたいって気持ちはあるんだけど、それに『行為』が伴うのはすごく嫌なの……」
美沙は僕の話を遮ってそう言うと、申し訳無さそうに目を伏せた。
「でも、実際僕は辛いんだ。もちろん無理にとは言わないけど、この先美沙と付き合って行くことを考えると、不安なんだ。自分が拒まれている様な気がしてるし」
「そんなこと無いよ! 本当に好きだよ。でも、ごめんなさい……」
「いや、もうはっきりさせよう。もうすぐ付き合って一年経つし、もし僕が嫌いだったり、何か美沙の負担になっているのなら、そう言ってくれた方がお互いのためだと思うんだ」
「だから違うって! 本当に、違う……」
僕は何も言えず下を向いた。黙っていると、美沙がまた「ごめんなさい……」と呟いた。
冬の日没は早い。十九時を過ぎるとあたりはすっかり暗くなり、大学構内にほとんど人はいなくなった。
僕は大学の中央広場で独り、半ば放心しながら美沙と一緒に選んだトレンチコートのボタンをしっかり留めて、凍えながらアメリカンスピリットを吸っていた。三時間前に自動販売機で買った紙コップに入ったコーヒーは一口も飲まれること無く、ずいぶんと前に湯気が立たなくなっていた。足下の芝生はすっかり茶色く枯れて、白いプラスチック製のガーデニングチェアとセットのテーブルは所々に黒い汚れや擦り傷が付いていた。
僕は短くなったタバコをテーブルに押し付けると、黒い焦げ跡が新しく出来た。美沙が見たら怒るだろうなと思った。
美沙と気まずく別れた後、僕は何となく帰る気が起きず、かといってどこかに行く気も起きず、ずっとここに座っていた。これからどのような顔をして美沙と会えばいいのか。あんなことを言わなければよかった。もう少し待てば自然に……とずっと同じ考えが頭の中を巡っていた。
僕は新しいタバコに火をつけると、軽く頭を振って立ち上がった。このまま独りでいても混乱するばかりだし、何より寒さが限界だった。今日は友人の家に転がり込むことにしよう。幸い、大学の近くには一人暮らしをしている友人が数名いた。コンビニでビールとポテトチップスを大量に買って行けば朝まで付き合ってくれるはずだ。その後始発で帰って泥の様に夜まで眠ればいい。時間が経てばこのモヤモヤした気持ちが少しは和らぐかもしれないし、あわよくば美沙から連絡が来るかもしれない。気持ちの整理が出来れば僕から連絡すればいい。
中央広場はロの字になっている校舎に囲まれているため、中央広場を出るには一度校舎内に入る必要がある。僕が校舎に向かって歩いていると、校舎内から中央広場に向けて出て来る人影を見つけた。
こんな時間に? と思って見ると、美沙だった。向こうからは逆光になってこちらは見えないらしい。僕は反射的に掲示板の陰に隠れた。
美沙は僕には全く気づかずに携帯電話で誰かに電話をしながら、無表情で中央広場に向けて歩いて行った。
僕は不審に思い、美沙の後をつけた。人のことは言えないが、こんな時間に中央広場に用がある人間なんてそう多いとは思えない。それに、用と言えばかなり限定されてくる。美沙に限ってまさかとは思ったが、悪い予感は当たるもので、中央広場とグラウンドを隔てた垣根の先にある木の下には、三十歳前半くらいのスーツを着た男が立っていた。
「かのんちゃんかな……? ピペットですけど……」
「あ、はじめまして。かのんです。今日はよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ……」
かのん? 一瞬混乱したが、おそらくネットで使われるハンドルネームか何かだろう。会話から察するに、美沙と男は初対面のようだ。
何だこれは?
何故美沙は見ず知らずの男と人気の無い大学で会う必要があるのだ?
「いやー、かのんちゃん、思ってたよりもずっと可愛くて驚いてるよ。ここの学生さん?」
「まぁ……そうですね」
「俺もここのOBなんだ。懐かしいなぁ……それより、時間ずらしてもらってごめんね。そこの椅子にずっと男が座ってて全然帰らなくてさ。やっと帰ったから来てもらったんだよ。寒くない?」
「いえ、大丈夫です。それより、早く始めませんか……?」
僕はツツジの茂みに身を隠しながら二人の様子を見ていた。寒さは既に感じなくなっていた。
「えっ? あ……どうしようか? 寒いし、ホテルとか行く? 何なら俺、車で来てるし」
「いえ、すみません。彼氏がいるんで、そう言う状況は遠慮したいです。出来ればここでしていただけると……」
「あ、ああ……。じゃあ……」
そう言うと男は美沙の肩を抱いて、木を背にして立たせた。
男性は数メートル離れたこちらにまで呼吸音が聞こえるほど興奮していたし、美沙は蛍光灯の冷たい灯りに照らされても分かるほど艶かしい表情をして男を見上げていた。美沙のそのような表情を見たのは、これが初めてだった。
「ほ……本当にいいんだね……?」
男の声が震えている。美沙はまるで挑発する様にゆっくりとコートを脱ぐと、セーターを胸のすぐ下辺りまで捲った。蛍光灯と月の光に照らされて、凍てつく様な夜の空気に晒された美沙の腹部は、まるで白魚の用に透き通っている様に見えた。
縦に一本すっと腹筋の線が入った美沙の腹部を見て、男が生唾を飲む音が僕の耳にも届いた。
僕は半狂乱になって思わず垣根を越えようとした所、ぐちっという音が耳に届いた。男が美沙の腹を殴る音だ。
「がっ……ごぷっ!」
美沙が嘔吐くと、男は小さく声を漏らしながら二発、三発と美沙の腹部に拳を埋めていった。生々しい、肉で肉を打つ音が澄んだ空気を伝わって僕の耳にはっきりと届く。
「あぁっ……ぐんっ! うぶっ!? あはぁ……はぁ……がぶっ?!」
ぐちゅりという湿っぽい音に混じって、短い美沙の悲鳴が聞こえる。僕は中腰の姿勢のまま、目の前で起こっている理解しがたい事態に釘付けになった。男はスーツ越しでも分かるほどに股間を隆起させていた。目は血走り、何度も瞬きをしている。美沙は何の抵抗も無く男の攻撃を受け入れ、男の身体に身を任せる様にもたれかかっている。
「だ……大丈夫?」
「んうっ……大丈夫……ですから……もっと……して……」
「あぁ……じゃあ……」
男は美沙の鳩尾を突いた後、引き抜かずに捻った。「ゔあっ?!」と美沙の目が見開かれ、膝から下が無くなったかの様に崩れ落ちる。男はすぐに美沙のセーターを掴んで立ち上がらせると、膝を下腹目掛けて突き込んだ。
「げぽっ!? ご……ゔえぇぇぇ……」
美沙の足元に透明な胃液が吐き出されたが、すぐに地面に吸収されて見えなくなった。男は美沙の顎を掴んで上を向かせる。美沙はまるで許しを請う様に男を見上げていた。目は潤み、頬はこの気温の中でも熱を帯びているのか、少し赤くなっていた。下唇から垂れている唾液が、たまらなく淫靡だった。
「あっ……うぁ……おぶうっ?!」
再び男の攻撃が始まった。美沙は抵抗するでも無く、ただ男に拳を突き込まれる自分の腹部を見ていた。 男の赤い拳の跡が美沙の白い肌に何カ所もくっきりと刻まれている。
「き、気持ちいい?」
「うん……もっと……強く……ても……ぐぶっ!!」
ぐぢっ……という音と共に、男が美沙の脇腹を抉った。
男の攻撃は容赦がなかった。普通に見ればただの傷害事件に見えるが、男の攻撃が美沙の引き締まった腹部に埋まるたび、美沙の顔は快感を感じている様に蕩けていった。だらしなく伸びた舌からは唾液が糸を引いて垂れ、男のスラックスや美沙のスカートを汚した。
拳を腹に埋められたまま舌を出し、力なく喘ぎながら男を見上げる美沙の仕草や表情は形容しがたい位僕を興奮させた。あの美沙の整った顔がここまで乱れるなんて……。僕は無意識のうちにズボンのファスナーを下ろすと、自分のものをしごきはじめた。美沙で自慰をしたことは何度かあったが、その表情は今までの僕の想像以上にいやらしい顔をしていた。
「ゔぇっ?! ん……す……すごぃ……きもぢ……あぐぅっ?! ぁ……ゔぐぅっ!!」
「はぁ……はぁ……本当に腹パンチで興奮するんだね……。まだいくよ……」
「ぐはっ!! ゔゔっ!! あ……あはぁっ?! うぐ……」
膝で鳩尾を突き上げられると、美沙はまた膝から崩れ落ちる。攻撃の度に内蔵をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、意識は既に朦朧としていることだろう。僕は助けにいくことも忘れ、ただ美沙の顔を見ながら限界を迎えようとしていた。頭の中は真っ白になっていた。ただ、美沙のあの表情をもっと見ていたいという思いだけが頭の片隅にずっと残っていた。
男は無理矢理美沙を立たせると、左手で美沙の首を掴んで木に押当て、何度も右の拳を埋めた。下腹部、臍、鳩尾と突かれる度に美沙の身体はびくんと跳ね上がり、がくがくと痙攣を始めた。
「ぐぶっ! ゔあっ?! ごぼっ!! げぷっ……も……もう……らめ……。次……さ……最後……」
「ああ……俺も……だ!」
男は美沙を押さえつけていた左手を離すと、倒れてくる勢いを利用して美沙の胃を膝で突き上げた。「ぐじょっ」という水風船が潰れる様な音が僕の耳に届き、美沙の目がぐりんと反転した。
「うげぇぇぇっ?! あぁぁぁ……ごぽっ……あぇ……はぁぁ……」
「おおおっ……うっ……」
美沙は白目を剥いたまま笑みを浮かべた様な表情になり、しばらくビクビクと痙攣した後、ガクリと項垂れた。男は美沙を仰向けに地面に寝かせると、自らの一物を取り出して弄りはじめ、ものの数秒で美沙の胃液で出来た水溜りに射精した。僕は自分の前に出来た白い水溜りを見つめたまま、石像になった様にそのままの姿勢で動かなかった。
気がつくと僕は、家へと向かう早い時間の電車に乗っていた。辺りは明るくなりはじめていたが、乗客はほとんどいなかった。
電車に乗るまでの記憶は無い。僕はとても哀しくなり、寝た振りをしたまま涙が止まるのを待った。駅に着いても涙は止まってくれなかったので、左手で顔を隠す様にして何とか家まで帰った。部屋に入ると、大声を上げて泣いた。美沙に振られた訳でも、死別した訳でもないのに、何かとても大きなものを失った様な気がした。
たぶんあれは美沙が、恋人である僕にも言えずに必死になって隠したかった美沙自身の姿の一部なのだろう。美沙が性行為を厭がった理由も、美沙が腹を殴られながら見せた表情の理由も、僕が知ってはいけなかったことなのだ。
二人の間に秘密は無いとか、恋人同士なら隠し事はいけないという言葉もあるが、誰でも自分自身が見せたくないと思っている部分はある。そして、それを無理矢理見せる様に迫ったり、隠し通していることを責めることがどうして出来るのだろうか。
日が暮れて部屋の中が真っ暗になっても、僕はベッドに潜り、枕に顔を埋めたまま微睡んでいた。
電話の音が遠くから聞こえた。
視界の端で白く小さく光るディスプレイには「倉田 美沙」と表示されていたが、それが現実なのか、夢の中なのかは、わからなかった。
サクッと書き上げるはずだったのですが、結構な難産になりました。
エンディングについてはハッピーエンド、バッドエンド含めて数パターン書いたのですが、色々考えてこのような形に。。。どうでしょうか?
ではどうぞ↓
「CANON ークリスマスの四日くらい前ー」
美沙とは去年のクリスマスイヴの前日、十二月二十三日に付き合いはじめたので、もうすぐ一年が経とうとしていた。
美沙とは、大学で募集していた図書館の臨時アルバイトで知り合った。
仕事自体は楽なもので、まずは適当に二人組になり、一方が発注リストと実際の蔵書の照らし合わせ、もう一方が照らし合わせの終わった本にバーコードを貼るというものだった。
アルバイトに応募してきた学生は十人程度で、その学生のほとんどは示し合わせたかの様に地味なタイプの生徒ばかりだった。髪型も、服装も全く特徴が無く、名前と顔を一致させるのに苦労した。本人達も、特に覚えてほしいとは思っていなかったのだろう。こちらから話しかけても生返事が帰ってくればいい方で、ほとんどは聞こえない振りをされた。僕も次第に必要最低限のこと以外は喋らなくなっていった。
その中で美沙はどちらかと言えば派手な印象だった。派手と言っても下品な派手さではなく、明るくて話し上手な誰からも好かれるタイプの人間だった。その美沙をしてもこのアルバイトの学生には男女問わず参っていた様だった。
「黒が好きなの?」
「え?」
「いや、服装のこと。ここんとこ毎日見てるけど黒い服装多いじゃない? 好きなのかなぁって思って」
「いや……まぁ、別に……いや……好き、かな。というか楽なんだよね。黒だと合わせられる色も多いから」
「差し色は赤が多いよね。いや、別にジロジロ見てる訳じゃないよ! 最初見た時に、あぁ、服好きなのかなって思ってたけど、毎日色んな格好して来るから面白くてつい見ちゃって」
「ああ、なんか……ありがとう。ええと……」
「倉田 美沙(くらた みさ)。あ、でも『倉田さん』って呼ばないでね。美沙でいいよ。みんな名前で呼んでるから『倉田さん』って呼ばれても気が付かないかも」
「あ、その、倉……美沙さんはガーリーな感じだよね。赤いチェックのスカートにブラウンのカーディガンとか、カントリーっぽいカジュアルな感じかな」
「あぁ、好きだねぇそういうの。あとスクール系もかなり好きかな。ロペピクニックとかよく行くし」
「あの駅ビルにある? よく女友達から『お手頃だけど使いやすくてオシャレだ』って聞くよ」
「そうそう! そこによく行ってる」
この会話をきっかけに僕たちは意図的に同じ組になるようになった。どちらかと言えば内気で口下手な僕を彼女は上手にリードしてくれて、彼女と話しているとまるで自分が彼女と同じ様に明るく、話し上手な人間であると勘違いしてしまいそうになった。
僕が彼女に惹かれるのに、あまり時間はかからなかった。
仕事も中盤を過ぎた頃、彼女から「飲みに行こう」と言われて、学校から少し離れた居酒屋へ行った。あのアルバイトから飲みの誘いに乗る人などいるのだろうかと思ったが、案の定二人きりだった。内心かなりワクワクしていた。お互い酔いが回ってきた頃、美沙はぽつりと、後輩の男からストーカーまがいの行為を受けていると言った。
彼は一つ下の学年で、ガリ勉を絵に描いた様な男だった。いつ見ても同じジーンズに同じパーカを着ていた。僕は何度か彼と組になったが、僕が話しかけてもほとんど無反応だった。
美沙と彼は一ヶ月ほど前に一度だけ組になったが、その時しつこいくらい美沙の情報を根掘り葉掘り聞き出そうとし、また、自分のことを身振り手振りを交えて大声で話したという。作業をしながらも図書館は開館していたので、普段は物静かな司書(僕たちの上司にあたる)から再三にわたって注意を受けていたとのことだった。
「その……なんて言うか……ちょっと怖いんだよね……。夜中の二時や三時に電話鳴る時もあるし、正直バイトもやめようか悩んでるんだ……」
美沙はテーブルの上に乗せた自分の左腕にあごを乗せると、その状態で器用にカシスオレンジを飲んだ。ほとんど氷しか残っていない。僕は内心かなり腹が立っていた。
「正直ショックだし、結構腹が立ってきたよ。早めになんとかした方がいい」
「どうすればいいのさ? 携帯変えてバイトやめても同じ大学にいるんだから効果無いよ……」
「いや、無くはないと思うよ。携帯変えるのは面倒だけど、ある意味最後通告だし」
「彼……私の取ってる講義に来たんだよ……。私の三列くらい後ろの席に独りで座ってた……三年限定の講義だから、いっこ下の彼が取れるはず無いよね。友達と一緒だったから気付かない振りして教室出たけど、ずっとこっち見てた……」
「それはもうストーカーだよ……学生課に相談するとか……」
「下手に恨み買いたくないよ……何されるかわからないし……」
「恨みの矛先を変えればいい」
美沙はアルコールが回ったのか、閉じ気味になった瞳で僕を見た。少し涙目になっていた。美沙の瞳をまじまじと見つめたことは無かったが、本能的にこの人を守らなければと思った。
「僕と付き合っていることにすればいいんだ。今度メールが来たら、さりげなく僕と付き合っていることを向こうに伝えるんだ。上手く行けば矛先は僕に向くし、美沙を逆恨みしてきたら、僕から彼に話すよ」
事態はあっさり過ぎるほど簡単に解決した。美沙は次の日彼から着たメールにさりげなく僕と付き合っている意味合いのメールを返信したところ、毎日の様に続いていた彼からのメールはぴたりと止んだ。彼は相手がいる異性には興味が無いのか、アルバイトでは僕にも美沙にも会話はおろか、目を合わせることもなくなった。
一ヶ月様子を見て、お互いにもう大丈夫だろうと確認し合うと、僕たちは相談し合った居酒屋で祝杯をあげた。前回の様に湿っぽい雰囲気は無く、美沙も心から喜んでいた。
「ほんっっとよかったぁ〜。内心刺されるんじゃないかってすごく心配だったんだよ〜」
「いや、僕も安心してるよ。正直言って結構ビビってたんだ。常に友達といる様にしてたし、駅のホームでも電車来るまでは並ばない様にしたりね、ははは」
「でもすごい効果だったね。『すみません私彼氏いるんで作戦』」
「いつの間にそんな名前付けてたの?」
「ついさっき、あはは」
「でさ、その……さ……」
「ん?」
「フリじゃなくても……いいかなと思ってるんだ……」
僕は心臓が口から出てきそうなほど緊張していた。十代の頃にも女性と付き合ったことはあったが、美沙は特別に好きだった。告白して、今までの関係が壊れるのが怖かったが、告白しないで自然消滅することはもっと怖かった。
「…………」
「美沙さえよければでいいんだけどさ……付き合ってほしいんだ。フリじゃなく、本当に……」
「………」
美沙はあの時と同じカシスオレンジのグラスを口に運び、飲む直前の姿勢のまま固まっていた。下唇とグラスの先が触れている。しばらくした後(僕には数時間に感じたが)、美沙は困り笑いの様な顔をして、ふぅっと吹き出したとも溜息とも取れない息を吐いた。
「もう……なんで私が言おうとしてたこと先に言っちゃうのさ……また助けられちゃったね……。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
と言って、グラスを置いて両手を膝の上に揃えると、テーブルすれすれまで頭を下げた。彼の問題と同じ位あっさりと解決したが、僕は気絶しそうなほど嬉しかった。
彼女とは実家が近いこともあり、毎週の様に会っては映画や食事に行った。学校で二人きりで会うことはほとんど無かったが、充実していたと思う。
正式に恋人になってからも、僕は美沙に会う度に新しい発見をした。そして、美沙のほんの些細な仕草や行動を見ているうちに、僕は増々美沙に惹かれていった。
コンビニでお釣りを貰う時にお礼を言うこと。人ごみで肩がぶつかるたびに「ごめんなさい」ということ。レストランで料理が遅くでものんびり待っていられること。服を選ぶ際にはっきりと的確で明確なアドバイスをくれること(僕が気に入った服を「似合わない」と言われることも多かったが)。話し上手である以上に聞き上手であること……。
そのひとつひとつの全てが、美沙の魅力だった。
美沙と一緒にいると、何とも言えない満たされた気持ちになった。今まで僕を悩ませていたことが、すべて些細なことの様に思えてきた。
あの頃、僕は、確かに幸せを手にしていた。
だが、三ヶ月、半年と経つごとに、僕の中で徐々に不満というか、はがゆさが募って行った。彼女とは一度も身体の関係にはなっていなかった。
「私ね、キスはすごくしたいと思うんだけど、その先はしたいと思わないんだ」
彼女と付き合って一回目のデートでそう言われた。最初は特に深くは考えなかったが、月日が流れるにつれて、僕が拒まれているのではないかという思いが募っていった。それとなく誘ったり、一緒に二泊三日の旅行に行ったりもしたが、僕たちの関係は決まってキスまでで終わり、その先に進もうとすると、美沙はとても上手に回避した。
我慢の限界を迎えた僕は、とうとう誰もいない講堂で美沙に言った。
「ねぇ、この際はっきりさせておいた方がいいと思うんだ。正直、僕は美沙とセックスがしたい。それに、気が早いかもしれないけど、この先僕と美沙が結婚したとして、当然子供が欲しくなると思うんだ。だから……」
「ごめん……言いたいこと分かるよ。痛いくらい分かる……。でも、本当に私にはそういうことが分からないの……。愛してる人と結ばれたいって気持ちはあるんだけど、それに『行為』が伴うのはすごく嫌なの……」
美沙は僕の話を遮ってそう言うと、申し訳無さそうに目を伏せた。
「でも、実際僕は辛いんだ。もちろん無理にとは言わないけど、この先美沙と付き合って行くことを考えると、不安なんだ。自分が拒まれている様な気がしてるし」
「そんなこと無いよ! 本当に好きだよ。でも、ごめんなさい……」
「いや、もうはっきりさせよう。もうすぐ付き合って一年経つし、もし僕が嫌いだったり、何か美沙の負担になっているのなら、そう言ってくれた方がお互いのためだと思うんだ」
「だから違うって! 本当に、違う……」
僕は何も言えず下を向いた。黙っていると、美沙がまた「ごめんなさい……」と呟いた。
冬の日没は早い。十九時を過ぎるとあたりはすっかり暗くなり、大学構内にほとんど人はいなくなった。
僕は大学の中央広場で独り、半ば放心しながら美沙と一緒に選んだトレンチコートのボタンをしっかり留めて、凍えながらアメリカンスピリットを吸っていた。三時間前に自動販売機で買った紙コップに入ったコーヒーは一口も飲まれること無く、ずいぶんと前に湯気が立たなくなっていた。足下の芝生はすっかり茶色く枯れて、白いプラスチック製のガーデニングチェアとセットのテーブルは所々に黒い汚れや擦り傷が付いていた。
僕は短くなったタバコをテーブルに押し付けると、黒い焦げ跡が新しく出来た。美沙が見たら怒るだろうなと思った。
美沙と気まずく別れた後、僕は何となく帰る気が起きず、かといってどこかに行く気も起きず、ずっとここに座っていた。これからどのような顔をして美沙と会えばいいのか。あんなことを言わなければよかった。もう少し待てば自然に……とずっと同じ考えが頭の中を巡っていた。
僕は新しいタバコに火をつけると、軽く頭を振って立ち上がった。このまま独りでいても混乱するばかりだし、何より寒さが限界だった。今日は友人の家に転がり込むことにしよう。幸い、大学の近くには一人暮らしをしている友人が数名いた。コンビニでビールとポテトチップスを大量に買って行けば朝まで付き合ってくれるはずだ。その後始発で帰って泥の様に夜まで眠ればいい。時間が経てばこのモヤモヤした気持ちが少しは和らぐかもしれないし、あわよくば美沙から連絡が来るかもしれない。気持ちの整理が出来れば僕から連絡すればいい。
中央広場はロの字になっている校舎に囲まれているため、中央広場を出るには一度校舎内に入る必要がある。僕が校舎に向かって歩いていると、校舎内から中央広場に向けて出て来る人影を見つけた。
こんな時間に? と思って見ると、美沙だった。向こうからは逆光になってこちらは見えないらしい。僕は反射的に掲示板の陰に隠れた。
美沙は僕には全く気づかずに携帯電話で誰かに電話をしながら、無表情で中央広場に向けて歩いて行った。
僕は不審に思い、美沙の後をつけた。人のことは言えないが、こんな時間に中央広場に用がある人間なんてそう多いとは思えない。それに、用と言えばかなり限定されてくる。美沙に限ってまさかとは思ったが、悪い予感は当たるもので、中央広場とグラウンドを隔てた垣根の先にある木の下には、三十歳前半くらいのスーツを着た男が立っていた。
「かのんちゃんかな……? ピペットですけど……」
「あ、はじめまして。かのんです。今日はよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ……」
かのん? 一瞬混乱したが、おそらくネットで使われるハンドルネームか何かだろう。会話から察するに、美沙と男は初対面のようだ。
何だこれは?
何故美沙は見ず知らずの男と人気の無い大学で会う必要があるのだ?
「いやー、かのんちゃん、思ってたよりもずっと可愛くて驚いてるよ。ここの学生さん?」
「まぁ……そうですね」
「俺もここのOBなんだ。懐かしいなぁ……それより、時間ずらしてもらってごめんね。そこの椅子にずっと男が座ってて全然帰らなくてさ。やっと帰ったから来てもらったんだよ。寒くない?」
「いえ、大丈夫です。それより、早く始めませんか……?」
僕はツツジの茂みに身を隠しながら二人の様子を見ていた。寒さは既に感じなくなっていた。
「えっ? あ……どうしようか? 寒いし、ホテルとか行く? 何なら俺、車で来てるし」
「いえ、すみません。彼氏がいるんで、そう言う状況は遠慮したいです。出来ればここでしていただけると……」
「あ、ああ……。じゃあ……」
そう言うと男は美沙の肩を抱いて、木を背にして立たせた。
男性は数メートル離れたこちらにまで呼吸音が聞こえるほど興奮していたし、美沙は蛍光灯の冷たい灯りに照らされても分かるほど艶かしい表情をして男を見上げていた。美沙のそのような表情を見たのは、これが初めてだった。
「ほ……本当にいいんだね……?」
男の声が震えている。美沙はまるで挑発する様にゆっくりとコートを脱ぐと、セーターを胸のすぐ下辺りまで捲った。蛍光灯と月の光に照らされて、凍てつく様な夜の空気に晒された美沙の腹部は、まるで白魚の用に透き通っている様に見えた。
縦に一本すっと腹筋の線が入った美沙の腹部を見て、男が生唾を飲む音が僕の耳にも届いた。
僕は半狂乱になって思わず垣根を越えようとした所、ぐちっという音が耳に届いた。男が美沙の腹を殴る音だ。
「がっ……ごぷっ!」
美沙が嘔吐くと、男は小さく声を漏らしながら二発、三発と美沙の腹部に拳を埋めていった。生々しい、肉で肉を打つ音が澄んだ空気を伝わって僕の耳にはっきりと届く。
「あぁっ……ぐんっ! うぶっ!? あはぁ……はぁ……がぶっ?!」
ぐちゅりという湿っぽい音に混じって、短い美沙の悲鳴が聞こえる。僕は中腰の姿勢のまま、目の前で起こっている理解しがたい事態に釘付けになった。男はスーツ越しでも分かるほどに股間を隆起させていた。目は血走り、何度も瞬きをしている。美沙は何の抵抗も無く男の攻撃を受け入れ、男の身体に身を任せる様にもたれかかっている。
「だ……大丈夫?」
「んうっ……大丈夫……ですから……もっと……して……」
「あぁ……じゃあ……」
男は美沙の鳩尾を突いた後、引き抜かずに捻った。「ゔあっ?!」と美沙の目が見開かれ、膝から下が無くなったかの様に崩れ落ちる。男はすぐに美沙のセーターを掴んで立ち上がらせると、膝を下腹目掛けて突き込んだ。
「げぽっ!? ご……ゔえぇぇぇ……」
美沙の足元に透明な胃液が吐き出されたが、すぐに地面に吸収されて見えなくなった。男は美沙の顎を掴んで上を向かせる。美沙はまるで許しを請う様に男を見上げていた。目は潤み、頬はこの気温の中でも熱を帯びているのか、少し赤くなっていた。下唇から垂れている唾液が、たまらなく淫靡だった。
「あっ……うぁ……おぶうっ?!」
再び男の攻撃が始まった。美沙は抵抗するでも無く、ただ男に拳を突き込まれる自分の腹部を見ていた。 男の赤い拳の跡が美沙の白い肌に何カ所もくっきりと刻まれている。
「き、気持ちいい?」
「うん……もっと……強く……ても……ぐぶっ!!」
ぐぢっ……という音と共に、男が美沙の脇腹を抉った。
男の攻撃は容赦がなかった。普通に見ればただの傷害事件に見えるが、男の攻撃が美沙の引き締まった腹部に埋まるたび、美沙の顔は快感を感じている様に蕩けていった。だらしなく伸びた舌からは唾液が糸を引いて垂れ、男のスラックスや美沙のスカートを汚した。
拳を腹に埋められたまま舌を出し、力なく喘ぎながら男を見上げる美沙の仕草や表情は形容しがたい位僕を興奮させた。あの美沙の整った顔がここまで乱れるなんて……。僕は無意識のうちにズボンのファスナーを下ろすと、自分のものをしごきはじめた。美沙で自慰をしたことは何度かあったが、その表情は今までの僕の想像以上にいやらしい顔をしていた。
「ゔぇっ?! ん……す……すごぃ……きもぢ……あぐぅっ?! ぁ……ゔぐぅっ!!」
「はぁ……はぁ……本当に腹パンチで興奮するんだね……。まだいくよ……」
「ぐはっ!! ゔゔっ!! あ……あはぁっ?! うぐ……」
膝で鳩尾を突き上げられると、美沙はまた膝から崩れ落ちる。攻撃の度に内蔵をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、意識は既に朦朧としていることだろう。僕は助けにいくことも忘れ、ただ美沙の顔を見ながら限界を迎えようとしていた。頭の中は真っ白になっていた。ただ、美沙のあの表情をもっと見ていたいという思いだけが頭の片隅にずっと残っていた。
男は無理矢理美沙を立たせると、左手で美沙の首を掴んで木に押当て、何度も右の拳を埋めた。下腹部、臍、鳩尾と突かれる度に美沙の身体はびくんと跳ね上がり、がくがくと痙攣を始めた。
「ぐぶっ! ゔあっ?! ごぼっ!! げぷっ……も……もう……らめ……。次……さ……最後……」
「ああ……俺も……だ!」
男は美沙を押さえつけていた左手を離すと、倒れてくる勢いを利用して美沙の胃を膝で突き上げた。「ぐじょっ」という水風船が潰れる様な音が僕の耳に届き、美沙の目がぐりんと反転した。
「うげぇぇぇっ?! あぁぁぁ……ごぽっ……あぇ……はぁぁ……」
「おおおっ……うっ……」
美沙は白目を剥いたまま笑みを浮かべた様な表情になり、しばらくビクビクと痙攣した後、ガクリと項垂れた。男は美沙を仰向けに地面に寝かせると、自らの一物を取り出して弄りはじめ、ものの数秒で美沙の胃液で出来た水溜りに射精した。僕は自分の前に出来た白い水溜りを見つめたまま、石像になった様にそのままの姿勢で動かなかった。
気がつくと僕は、家へと向かう早い時間の電車に乗っていた。辺りは明るくなりはじめていたが、乗客はほとんどいなかった。
電車に乗るまでの記憶は無い。僕はとても哀しくなり、寝た振りをしたまま涙が止まるのを待った。駅に着いても涙は止まってくれなかったので、左手で顔を隠す様にして何とか家まで帰った。部屋に入ると、大声を上げて泣いた。美沙に振られた訳でも、死別した訳でもないのに、何かとても大きなものを失った様な気がした。
たぶんあれは美沙が、恋人である僕にも言えずに必死になって隠したかった美沙自身の姿の一部なのだろう。美沙が性行為を厭がった理由も、美沙が腹を殴られながら見せた表情の理由も、僕が知ってはいけなかったことなのだ。
二人の間に秘密は無いとか、恋人同士なら隠し事はいけないという言葉もあるが、誰でも自分自身が見せたくないと思っている部分はある。そして、それを無理矢理見せる様に迫ったり、隠し通していることを責めることがどうして出来るのだろうか。
日が暮れて部屋の中が真っ暗になっても、僕はベッドに潜り、枕に顔を埋めたまま微睡んでいた。
電話の音が遠くから聞こえた。
視界の端で白く小さく光るディスプレイには「倉田 美沙」と表示されていたが、それが現実なのか、夢の中なのかは、わからなかった。