昨日、仲良くしていただいているシャーさんが素晴らしいシオンのイラストを描いて下さいました!

イラストを見ているうちに妄想が膨らんで来たので、1本書かせていただきました。

おそらく自分だけでしょうが、どことなく中国っぽい雰囲気が感じ取れましたので舞台は日本を離れて中国。時期的にシオン編の1年前、まだ彼女が副会長だった頃のお話です。

突貫工事甚だしい文章ですが、シャーさんのイラストのお供になればと思います。

お暇な時にどうぞ。




同じ空の下で


 深い飴色に変化した槻(けやき)の壁に囲まれた茶室の中には、長い時間をかけて染み込んだ茶の香りがほんのりと漂っていた。
 シオンは円座に正座したまま合掌する様に顔の前で手を合わせ、緑色の目をキラキラさせながら老婆の流れる様な動作を息を飲んで見ていた。真っ直ぐに下ろしたプラチナブロンドの髪が背中を流れ、毛先がわずかに床に着いている。
 聞香杯になみなみと淹れられた金色の液体がシオンの前に差し出さされる。シオンはその上に茶杯をかぶせて手早く裏返し茶杯に茶を移すと、聞香杯に残った香りを聞いた。
「はぁぁ……」と、シオンの顔が溜息と共にほわっと緩む。
 壊れ物を扱う様に両手で大事そうに持った茶杯を注意深く傾けて、金色の液体を口に含む。白い喉が何度かこくこくと動く様が艶かしい。
「ふわぁ……なんて素晴らしい香り……どこまでも清々しく澄んで……まるで夏の草原に一人で佇んでいるみたい……」
 シオンが流暢な中国語で呟くと、老齢の茶師は満足げに微笑んだ。
「西洋の人なのに、ずいぶんとお茶がお好きな様子……」
「いえ、半分は東洋の血が入っていますから……。はぁ……重い香りの紅茶とは一線を介す、爽やかな初夏の新緑の香り……。そして飲み込んだ後、鼻に抜ける清々しい香りとは裏腹な、舌に残る重厚な味わい……。獅峰龍井……素晴らしいお手前です」
 シオンが三つ指をついて茶師に礼を言うと、茶師も丁寧に頭を下げる。
「お若いのによく精通していらっしゃる……。最近は大陸でもお茶をただ水代わりに飲む人が増えているのに、淹れた甲斐があったものです」
 茶師が丁寧な動作で二杯目を淹れる。お辞儀をした時にはらはらと垂れたプラチナブロンドの髪を直しながら、シオンが二杯目をいただく。
「お連れの方はどちらですか? 貴女みたいなお若くて綺麗な方が、お一人という訳ではないでしょう?」
「いえ、今日は一人で来てるんです。もっともお付き合いしてる方も居ないんですけどね……。完全なプライベートですよ」
 茶師は「あらあら」と微笑みながら、シオンの茶器に三杯目を淹れた。
 冬の日暮れは早い。シオンが満足して老舗の茶店を出ると、街全体がオレンジ色に染まっていた。両手を頭の上で組んで伸びをすると、あちこちの屋台から野菜と脂の香りが漂ってくる。シオンのお腹がくーっと鳴る。
「あらら……少し長居し過ぎましたね。何か軽く食べてからホテルに……ん?」
 男性が血相を変えてこちらに向かって走ってくる。脇目も振らずにシオンにぶつかりそうになりながら茶店の中に入っていった。客にしては様子がおかしく、シオンも気になって店の中に引き返す。
「ま……まさか……そんな……」
 老婆の茶師が手を振るわせながら男の話を聞いている。男も口角泡飛ばしながら茶師に身振り手振りでまくしたてている。
「間違いない! 間違いなくアンタの孫だ! でっぷり太った男がアンタの孫を抱えてスラム街に向かって行く所を見た奴が居る。ダメ元でも、早く警察に行った方がいい!」
「でも……でもあそこは……」
「あの……何かあったんですか……?」
 突然金髪緑眼の少女が流暢な中国語で話しかけて来て、男は若干面食らったようだ。
「あ、ああ……。この婆さんの孫が攫われたらしいんだ……。ただ、連れ去られた場所がな……」
「スラム街は警察もなかなか手出ししない無法地帯なんです……。警察に行っても力になってくれるかどうか……。自分らで何とかしないといけないけど、あそこは戸籍も無く、人を殺しても何とも思わない者が集う、鬼の巣窟なんです……」
「この婆さんは独り身だけど、中国にごまんといる孤児を引き取って育ててるんだ……自分の娘の様に可愛がってな……。確か……あの娘はまだ十歳だ……」
 老婆が涙を流しながら下唇を血が出るほど噛み締めている。男も沈痛な表情を浮かべたまま項垂れている。シオンは見ていられなくなって周囲を見回した。先ほどまで輝いていた茶室の飴色の壁が、血が混ざった様などす黒い色に見えた。
「私に……任せて下さい……」
 老婆と男が同時にシオンの顔を見上げた。狐に化かされた様な顔をしている。
「任せてって……貴女……」
「姉ちゃん……悪いことは言わねぇ……あんな所に姉ちゃんみたいな娘が行ったら、まず無事じゃ済まねぇ……。襲われるだけならマシで、最悪飽きるまで慰み物にされた挙句娼館に売られるか、下手すりゃ殺されるぞ……」
 戸惑う二人の視線を振り払う様にシオンは微笑むと言い放った。
「大丈夫ですよ。必ずお孫さんは連れ戻しますから」

 街からそう離れていないスラム街は全体的に腐臭と吐瀉物の臭いに溢れていた。道端には汚い格好をした男女が冬場にも関わらず酒瓶を抱えたまま酔い潰れており、その中の何人かは息をしているかどうかすら怪しかった。
 まったく癖の無いストレートの金髪をツインテールに結い、上質なラムレザーを贅沢に使ったプラダのトレンチ風のロングコートを羽織ったシオンは、まるで地獄に一人で迷い込んだ天使の様にその景色からは明らかに浮いていた。傾きかけた屋台でずるずると不味そうに麺を啜っている男達が好奇の視線を送っている。数人が目配せをして、シオンを取り囲むまでそう時間はかからなかった。
「へへへ……姉ちゃん花売りか? ここいらではあまり見ない別嬪さんだな? いくらだ?」
 どの地方の訛りかわからないほど濁った中国語で話しかけられる。ろくに歯も磨いていないのだろう。タバコのヤニで茶色く変色した歯は所々隙間が空いていた。
「すみません、お花は一本も持ってないんです。最近この辺に十歳くらいの女の子が来ませんでしたか?」
 丁寧な中国語でシオンが聞くと、男の顔が一瞬で歪んだ。
「おい、姉ちゃん。蒲魚(かまとと)ぶってるんじゃねぇよ。こっちはお前の都合なんて聞いてねぇんだ。その綺麗な顔が傷つかないうちに大人しくした方が身の為だぜ?」
 男が凄むのを合図に、建物の暗がりや屋台の中から、あわよくばおこぼれに預かろうと五、六人の男達がシオンを取り囲んだ。全員歪んだ笑顔をシオンに向けている。
「教えていただけないのですか? 貴方方は仲間意識が強いと聞いています。見慣れない顔が増えればすぐわかるのでは?」
「知ってても言いたくねぇなぁ。姉ちゃんが俺達全員のあれを綺麗にしゃぶってくれれば、考えなくもねぇぜ!」
 シオンを取り囲んている円が徐々に狭まる。男達の口臭は安酒と生魚を混ぜた様な不快なものだった。シオンは少しだけため息をつきながらベルトを外し、左肩から太腿まで伸びる長いファスナーをゆっくりと下ろした。コートが脱げ、黒いハイヒールに白いガーターベルト。白いフリルをあしらったエプロンの付いた黒いミニスカート。童顔に不釣り合いな豊満な胸を包んでいるブラジャー型のトップス。二の腕まである白い手袋。メイド服を基調とした挑発的なシオンの戦闘服が露になると、男達から歓声が上がる。
「なんだよ、姉ちゃんやる気じゃねぇか!」
「花売りだと思ったら痴女かよ! いいねいいねぇ!」
「へへ……俺達が満足させてやるよ」
 シオンは無表情で男達の野次を聞き流すと、コートをつまむ様に持った右手を地面と水平に伸ばしながら静かに口を開いた。
「もう一度聞きます。十歳くらいの女の子を見ませんでしたか……?」
 言い終わる前に、男達がシオンに飛びかかった。シオンはコートを指から離すと、一人の男の肩を踏み台にして一気に男達の頭上へ跳び上った。一瞬のことで男達には円の中心に居たシオンが突然消えた様に見える。呆気にとられていると、一人の男の脳天にシオンの踵が振り下ろされた。骨と皮のぶつかる鈍い音が響いた後、男が顔から地面に落ちると同時に、シオンのコートも軽い音を建てて地面に落ちた。男達が怯む間もなく、別の男の顎を足首のスナップを利かせた爪先で音も無く弾いた。てこの原理で脳がシェイクされ、白目を剥いたかと思うと膝から倒れ込んで動かなくなった。
 シオンが呆気にとられている男達にゆっくりと流し目を送ると、「うわぁぁ」と情けない声を上げながら蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。最初に声をかけてきた男は尻餅をついてがたがたと震えている。
 シオンは左腕を胸の下で自分の身体を抱く様にまわし、右手を顎の下に当てながら男を見下ろした。シルエットになったシオンのエメラルドの様な瞳だけが不気味に輝いて見えた。
「最後にもう一度聞きます……。十歳くらいの女の子を見ませんでしたか……?」
「あ…………あっちだ…………」

 教えられた部屋は、今にも崩れそうなアパートに挟まれた路地にあった。アパートは違法な増改築を繰り返し、路地にはもう何年も日が当たってないのだろう。無造作に置かれたゴミ袋は堪え難い異臭を放ち、中に虫が湧いているのかもぞもぞと動いていた。
 アパートの壁に無理矢理取り付けた様な扉には鍵がかかっていなかった。ここの住人が無防備なだけか、他人に介入しないという仲間同士の不文律でもあるのだろうか。念のため持参したキーピックは不要になった。角がボロボロに崩れた階段を下りると、裸電球の灯った広めの空間があった。床には大小様々なゴミが散乱し、工事現場から払い下げられた様なスチール製の机の上には大量のインスタント食品の食べがらが積まれていた。コンクリートがむき出しになった四方の壁にはどこから拾って来たのかわからない箱や壊れた家電が積まれ、無造作に白い遮水シートがかけられていた。
 中央が窪んだ薄汚れたベッドには、老婆から借りた写真の少女が寝ている。シオンは足早に駆け寄ると、女の子の上半身を起こした。
「しっかりして! もう大丈夫だから!」
「…………あ?」
 女の子の髪を撫でながらシオンが持って来た水を飲ませると、女の子はいくらか意識がはっきりして来たようだ。
「あれ……? 私……お婆ちゃんは? お姉ちゃん誰?」
「説明は後、ここから逃げ……!」
 階段を下りる音がシオンの耳に届く。出入り口は一つしか無い。ひとまず女の子をベッドの下に隠すと、シオンは入ってくる部屋の主を待ち構えた。
 大きく腹の出ている筋肉質の男がタバコを吸いながら入って来た。シオンを見ると目を丸くする。
「何だお前ぇは……娼婦を頼んだ覚えはねぇぜ」
「…………」
「ん……? お前……そこに女の子がいなかったか?」
 男の雰囲気が変わる。部屋の入り口を塞ぐ様に肩をいからせながらシオンに近づく。
「誰だか知らねぇが、人の情事を邪魔しちゃいけねぇよなぁ?」
「情事って……? あんな小さな子を相手に何をするつもりだったんですか? 誘拐までして、これは犯罪ですよ!」
「うるせぇな、仕方ねぇ、今日の所はお前で我慢してやるよ」
 男が一歩踏み込んでくる。
 思ったよりも速い。
 肥満体の重い身体を運足で賄っている。
 踏み込みと同時に放たれた右ストレートを数センチで躱す。一瞬遅れて鋭い風がシオンの頬を撫でる。構えやフットワークから、おそらくボクシング経験者だろう。だが、所詮は一般人だ。シオンは部屋の狭さで持ち前の脚力を十分に生かせなかったが、それでも男の大振りの攻撃を躱すことは難しくなかった。
 男の息が上がりはじめたところで、シオンの膝が男の顎を跳ね上げ、がら空になった腹に爪先を深く埋める。
 男は部屋の入り口まで数歩下がったが、何とか踏みとどまった。
「へぇ……やるじゃないか。腹がぶよぶよじゃなきゃ危なかったぜ。しかし、全然当たらねぇな。俺のは一発当たるとデカイんだが、このままじゃ埒があかねぇ……」
「打たれ強いみたいですが、時間の問題です。怪我をする前に自首して下さい」
「やなこった。へへ……いいもの見せてやるよ。そのベッドの脇のシートを捲(めく)ってみな」
 男はそういうと、ベッドの脇にある大きめの箱を指差した。シオンが男に注意しながら、所々黒く汚れたシートを捲る。
 動物用の檻の中には、まだ十歳前後とおぼしき少女が入れられていた。五、六人はいるだろうか。全員服を着ておらず、互いに抱き合う様にして震えている。
「俺のコレクションの一部だぜ。全員『中古』だけどな。わかるか? お前がさっきの娘一人助けても何にもならねぇんだよ。この国には、存在していない人間がごまんといるんだ。俺も含めてな。男も女も、ガキも老人も、生きてようと死んでようと誰も気にしねぇ。野良犬と一緒さ。お前は崩れかけた氷山の一角のほんの隅っこが欠けているのを見て騒いでいるだけだ」
 男がジーンズのポケットから、裸電球の光が当たって鈍く光る黒いキウイフルーツの様な物を取り出す。手榴弾だ。シオンが息を飲んで一瞬たじろぐ。
「最高だぜ。何人攫っても誰も気付いていないから食い放題だ。もう全部傷物だし、ここいらでリセットして新しいコレクションを作るのも悪くないよなぁ……?」
 男がシオンを見ながらニヤニヤと笑う。親指は手榴弾の信管にかかったままだ。
「ま、待ってください! こ、この子達は本当に全員生きてるんですか?」
「確認してもいいぜ?」
 シオンが檻を覗き込む。全員少し痩せている様だが、命に別状は無いらしい。怯えた様な黒い目がシオンの緑色の瞳を見つめ返した。背後から「いつまで見てんだよ?」という声をかけられ、シオンは檻を背にして立ち上がる。
「まぁ、お前が来ても来なくても、どっちにしろこのコレクションは処分するつもりだったんだけどな。飯代もかかるし……。お前がどうしてもって言うならこのまま殺さずにガキ共を解放してやってもいいが、それはお前の態度次第だなぁ?」
「うっ……ど……どうすればいいんですか?」
「まずは、そこの柱に背中を付けろ。どうするかはそれから考えてやる」
 シオンは言われた通りヒビの入った柱に背中を付ける。男は注意深く近づくと、手榴弾をちらつかせながらシオンの両手を柱の後ろにまわし、手錠で固定した。強制的に背中が反らされ、メロンの様な大きさの胸と柔らかそうな腹部が突き出される。
「くっ……ぅ……」
「へへへへ……いい恰好だな? 調子に乗って正義感なんて出すからこんなことになるんだ。さて、どうしてやるかな?」
 男が指先でシオンの臍から鳩尾へ伸びる腹筋の筋をつつ……となぞると、シオンの身体が小さく跳ねた。男は満足げに笑うと、シオンの肋骨の境目に沿って鳩尾から脇腹までを指先で撫でた。
「くはっ! ぅ……ふあぁッ?! あ……うぁ……」
「なんだ? やけに敏感だな? まさかその歳で経験が無い訳じゃ無いだろ?」
 シオンは質問には答えず、ビクリと肩を震わす。その反応に男の口が三日月の様につり上がる。
「へへへへ……こいつは楽しみだな。俺は本来お前みたいなババァには興味ないが、処女だったらまぁギリギリで許容範囲だ。ボコボコにして捨ててやろうと持ったが、適当に遊んでから売っぱらってやるよ」
 ぐじゅり、という湿った音が狭い部屋に響き渡った。シオンの柔らかい腹部が、男の豪腕から放たれた拳を受け止めて痛々しく陥没している。
「あ……え……? ぐぶッ?! おぉっ……」
 シオンの目が普段の倍ほどに見開かれ、緑色の瞳が収縮する。息を吸う暇もなく、大砲の様な拳を二発、三発と撃ち込まれ、限界まで体内の空気を吐き出させられたシオンはすぐに目の前が暗くなった。
「うぐうっ?! おごっ!! あ……ぁ……おゔぅっ!? ゔあぁぁぁっ!!」
「どうだ? ものすごく苦しいだろ? へへ……そんなに顔を歪ませてりゃあ聞くまでもないか。言ったよな。俺のは当たるとデカイってよ? まだくたばるんじゃねぇぜ?」
「はっ……はぁ……ひゅぅ……はあぁぁぁ……」
 男はシオンの後頭部を柱に押し付けて、頭が落ちない様に支える。目からは涙があふれ、だらりと垂れ下がった舌からは唾液が糸を引いて胸の上に落ちる。
「ひゅぅ……ふぅ……はぁ……ふぐぅぅぅぅぅ?!」
「おぉ、タイミングがぴったり合ったな。流石に今のは効いたみたいだなぁ?」
 男はシオンが息を吐くと同時に腹を抉った。内蔵の位置が一気に変わり、胃が痙攣している感触が男の手に伝わる。
「ゔ…………あ…………ゔううぅぅぅぅぅ………」
 シオンの喉が蛇の腹の様に蠢くと、茶色いさらさらとした液体が溢れて来た。男はその様子を満足げに見つめる。
「何だお前? ここに来る前に茶でも飲んで来たのか? 全部出した方がスッキリするぜ?」
 グリッという音を立てて、漬物石の様な拳でシオンの小さな胃を捻る。シオンの目が見開かれ、僅かに残った胃液が地面に落ちた。シオンの目は既に虚ろになり、焦点が定まらずに宙を泳ぐ。
「さぁて、まだまだいくぜ?」
 男の豪腕が唸りを上げて、間髪入れずにシオン腹の中心に連続して拳を埋めた。背中を柱に付けている為、力の逃げ場が無く、全てシオンの身体に吸収される。シオンは悲鳴を上げることもままならず、ごぼっと音を立てて唾液を吐き出した。
「お………………ぁ……ぁ……」
「おら、なに休んでんだよ。もっと鳴け」
 ぼぐっ、という重い音が響き、シオンの目が大きく見開かれる。
「あ……ああああああぁぁぁぁ!!」
 下腹部にある子宮をピンポイントで貫かれ、今まで聞いたことの無い声がシオンの口から漏れる。男はすぐさま拳を引き抜くと、柱がメキメキと音を立てるほどの威力でシオンの鳩尾周辺を広範囲に陥没させた。
「えゔぅっ?! うぐっ……うぁ……」
「どうした? もう限界か? じゃあ一旦トドメといくか」
 男は限界まで拳を引き絞ると、風を切る甲高い音と共にシオンの腹に拳を突き込んだ。あまりの威力に鳩尾から胃にかけて広範囲に潰れ、ぐちゅりという嫌な音が周囲に木霊する。
「ゔぇっ?! ぐぽぉっ!!」
 シオンの瞳はぐりんと瞼の裏に隠れ、頭が支えを失った様にガクリと落ちる。男はシオンが息をしているのを確認すると、満足げに笑った。
「へへへへ……なかなかタフじゃないか。まだまだ殴って楽しめそうだが、反応があるうちに一発やっとくか……」
 男がシオンの手錠を外し、倒れ込んで来た身体を抱える。肩と膝の下に腕を入れ、横抱きに抱えるとベッドの上に仰向け寝かせた。男の視線がガーターベルトで締め上げられている白い太腿と、仰向けに寝ても形の崩れない胸に釘付けになる。
「ガキもいいが、たまにはこういう女もいいな……。お前が助けられなかったガキ共の前で犯してやるよ。おいお前ら! 檻から出……ん?」
 男が不思議そうに檻を見る。檻を施錠している南京錠が地面に落ち、入り口が軋んだ音を立てて開け放たれている。
 中には誰もいない。
「な……何でだ? まさか……」
 男がシオンを見ると、辛そうな顔をしながらゆっくりと顔を上げた。
「さっき……檻の中を見せてもらった時に、特殊合金の小型ノコギリを檻の中に落としました……。あの程度の南京錠なら、子供でも難無く切れます……。うぐっ……はぁ……。後は……私が囮になっているうちに子供達が逃げ出せれば……私の目的は果たせます……」
「て……てめぇ! 痛っ?!」
 突然男のアキレス腱に鋭い痛みが走る。下を見ると、茶師の孫がベッドの下からノコギリで足を切りつけていた。膝から下が無くなった様に力が抜け、上体が落ちた瞬間を見逃さずに、シオンが力を振り絞って男の喉仏に踵を押し込む。「がひゅっ」という声と共に男の瞳が裏返り、泡を吹いて崩れる様に倒れた。

「氷山の一角のほんの隅っこの欠け……ですか……」
 膝丈まである柔らかいラムレザーのコートとロングスカート。全身を黒で纏めたシオンは実年齢よりもかなり上に見えた。手早くビジネスクラスのチェックインを済ませて荷物を預けると、珍しく暗い顔をしながら搭乗口へ向かう。ストレートに下ろした金髪をなびかせて背筋を伸ばして歩くシオンを、男女に関わらず一般客が振り返った。
エスカレーターを下りる時、「お姉ちゃん!」と叫ぶ声がシオンの耳に届いた。振り返ると、柵の向こうで茶師と孫の女の子が大きく手を振っている。女の子は走って来たのか、息を上げながら精一杯の笑顔を向けていた。シオンは気付いた瞬間手を振り返したが、すぐにエスカレーターが階下に降りてしまい、女の子と茶師の姿は見えなくなった。