シオンが錆び付いた施設の門をくぐると、風の音が止んだ。施設に続く煉瓦道には雪がうっすらと降り積もっている。建物の窓からはかすかに明かりが漏れていた。視線を煉瓦道に落とす。雪が積もり始めた煉瓦道には二人分の足跡がかすかに残っていた。
「……ん?」シオンは二つに結った長い金髪を手櫛で梳きながら首をかしげた。「何でしょう……この違和感は……?」
 シオンはしばらく建物を睨む。特殊繊維で出来た戦闘服のおかげで寒さはほとんど感じないものの、建物が近づくにつれ、シオンは背中に甲虫が何匹も這い上がっている様なちくちくとした嫌な錯覚を感じていた。何か妙な感じがしたが、正体がわからない。
 特別養護孤児院「CELLA」は写真で見た通り、シンメトリーの美しい外観だった。建物自体の痛みもほとんど無い。
 殺人か、それに準ずる罪を犯した十歳前後の子供のみを保護観察していた施設。社会の暗部を凝縮したようなこの施設は、数年前まで世間から隠されるようにこの森の中で確かに運営されていたのだ。誰の目にも触れることなく。幼くして殺人という罪を犯した蓮斗や木附姉妹、その他の子供達と一緒に。
 シオンは美樹と別れた後も、様々な手法や、時にはそれなりの金を使って蓮斗の犯行やCELLAについて調べた。
 CELLAの運営は専門に設立された国営企業が管理していた。
 表向きは孤児院としていたが、里親の募集や内情の公開は全くされず、近隣住民との接触は皆無だった。そして数年前に閉鎖した後、職員や住人の子供達はほぼ全員が行方不明になっていた。
 すべての物事には理由がある、という言葉をシオンは信じていた。どのような些細な現象も、すべてその結末に至るまでの原因と理由があり、偶然というものは突き詰めていけばあり得ないことなのだと。CELLAも、その特異な運営方法や閉鎖に至る理由があり、何らかの目的のもとに建設されたはずだ。
 シオンは周囲を見回した。
 庭の隅ではブランコの鎖が風に吹かれて金属質の音を立てている。その奥では葉の落ちた楡の木が無言で立っていた。
 ぴたりとシオンの足が止まる。門をくぐってからずっと感じていた違和感の正体を探るように建物を見上げた。小さめの教会のような外観と大きさ。シオンは白い手袋に包まれた人差し指と親指で細い顎を挟むように持ちながら考えた。
 特別養護孤児院「CELLA」。
 小さめの教会のような建物……そう、小さいのだ。
「やはり」シオンがポツリとつぶやいた。「小さ過ぎますね……」
 シオンは「CELLA」に収容されていた孤児のリストを思い出し、そこから同時期に住んでいたであろう人数をざっと計算した。建物の大きさからして、部屋数は決して多くはないはずだ。それに養護している子供の性質から考えて、対応に当たる職員はそれなりの数が必要になる。
 入りきるとは思えなかった。
 この小さな施設に。
 きぃ……と背後でブランコが鳴いた。
 シオンが振り返る。
 さくさくと雪を踏みながら、ブランコのそばまで移動した。
 簡素なブランコだ。
 地面に直接支柱を打ち込み、巨大な鉄棒の様な形をしている。
 支柱から渡された横木からは五本の鎖が垂れ下がり、風に揺れていた。
 ……五本?
 シオンは頭を振り、震える息を吐くと、楡の木のそばへと移動した。
 根元には木製の大きな箱が三つ、楡の木に寄りかかる様に置かれていた。その一つを開けてみる。底板は無く、直接地面が見える。中身は空だったが、木屑の様な匂いに混じってかすかに腐敗臭がした。
 堆肥を作るコンポストだろうか。
 三つある箱の中の一つには、小さな鍵が付いていた。シオンはペンライトを出して鍵を見る。見た目は簡素だが、どうやらカード式らしい。蓋の隙間を覗くと、内側にも同様の鍵が設置してあるのが見えた。
 シオンは周囲を確認し、両手を軽く開いて肩の位置に上げ、右足を一歩分後ろに引いて構えた。両足を捻るように動かし、つま先に鉄板の入ったストラップシューズで地面を踏みしめる。右肩を勢い良く後方に引き、捻ったゴムが元に戻るように反動をつけて体全体を回す。防御を考えないため、右足を蹴り上げるのと同時に右手を後方へ一気に引いた。
「ふッ!」とシオンがすぼめた唇から力強く息を吐き出す。
 木の砕ける重い音が凍てついた空気を震わせた。シオンの蹴りは正確に鍵の付いた蓋を跳ね上げ、留め金は紙のように宙を舞った。
 シオンは構えを解いて箱の中を覗き込む。
 取っ手の付いた鉄製の板が見えた。
 箱の中に入り、取っ手を掴む。板は簡単に持ち上がった。

 階段。

「ああ……やはり」シオンが言った。階段から建物までの距離は約五十メートル。地下空間がどの程度まで広がっているかわからないが、おそらく児童を全員収容できるだけの空間が設けられているはずだ。もしくはそれ以外の施設もあるかもしれない。
 階段の下に蛍光灯の明かりが見えた。
 おそらく隠し扉を開けると自動的に点灯する仕組みなのだろう。
 シオンは前髪を掻き上げると、慎重に階段を下り始めた。こつこつと自分の足音が冷たい壁に反響する。この先に何が待ち受けているのかわからないが、すべて受け入れようと思った。どのような形であれ、それが真実なのだから。