Яoom ИumbeR_55

Яoom ИumbeR_55は「男性→女性への腹パンチ」を主に扱う小説同人サークルです。

2016年10月

りょなけっとスタッフでありプライベートでもお世話になっているあおさんが、シオンさんの二次創作を書いて下さいました!
パンやワインといったアイテムや感情描写を効果的に使われ、重苦しい雰囲気や宗教的なテーマを見事に描ききっておられますので、ぜひご覧ください。

↓こちらからどうぞ
Atonement

こんばんは。
今回はリクエスト消化になりますので、本編との時系列などは考えずにお楽しみいただければと思います。

リクエスト:シオンと子助(一撃さんのオリジナルキャラクター)のバトル


「厳しいね……これは」ハーフ丈のカーゴパンツに野球帽を目深に被った男の子が、数枚の写真とコピー用紙をテーブルの上に投げながら言った。その声は年相応にやや高く、薄暗いバーのボックス席にはとても不釣り合いに響いた。「軽く調べたけどさ、住んでいるマンションや通ってる学校のセキュリティがものすごく厳重。移動はほぼ送迎かタクシーで公共の交通機関はほとんど使っていないし、家にいる時以外は常に周りに人がいるし、おまけに何日かおきに数時間くらい忽然と消える。かなり難しいと思うよ?」
「そこをなんとか頼みますよ……子助(ねすけ)さん」対面に座る肥満体の男が手を擦り合わせながら言った。緊張しているのか、寒いくらいの室温にも関わらず大量の汗をかいている。黒縁メガネのレンズが曇り、ブランド物らしいブルーのシャツの襟の色が変わっていた。「こっちとしても、もう後には引けないんですよ……時間も限られているし……。なぁ、そうだろ?」
 黒縁メガネが、隣に座るスキンヘッドの男の顔を助けを請うように覗き込んだ。
「我々は期待されているんだ……」スキンヘッドが腕組みをしながら言った。「我々のクライアントは、氷河期の真っ只中に不幸にも足を骨折してしまったライオンの様に飢えた連中さ。みんな目を血走らせて、我々が獲物が持って来るのを待っているんだ。今更獲物を捕まえることが出来ませんでした、そのまま飢えて死んで下さいとは言えないんだよ」
「だったら自分達でやればいいじゃないか?」
 子助が両手を広げながら言うと、黒縁メガネが身を乗り出した。
「自分達で出来ないからこうして頼んでいるんですよ!」汗の飛沫が飛び、子助は本能的に体を引く。「この筋じゃあ有名な『何でも屋』でしょう!? 噂だと、特殊な訓練を積んでいるらしいじゃないですか? 自分に出来ないことを、出来る人に頼むことは何ら悪いことじゃない! むしろそれがビジネスの基本であり根本だ。もちろんそれなりの対価は支払う。あなた以外に頼める人がいないんだ。どうかお願いしますよ……」
「我々のような稼業にとって、技術や経験よりも大切なものは信頼だ。あなたもよく知っているように、依頼を受けてからの失敗は絶対に許されない。一度でも失敗したら、たちまち路頭に迷ってしまう。恥を忍んで外注に出したとしても、失敗するよりはマシだ」
「そうねぇ……」
 子助が写真とコピー用紙を手に取って眺めた。口の端を歪めて笑う。男達からは書類の陰に隠れて、子助の表情は見えない。男達の必死な様相を見るに、まだ依頼料を上乗せできそうだ。
「攫(さら)い屋」だと、目の前の男達は自己紹介した。
 恨みを買いすぎたり、莫大な借金をこさえて失踪したりした人間を見つけ出し、攫い、す巻にしてクライアントに届ける。依頼の動機や攫った人間がその後どうなるかは興味がないと男達は言った。そんなくだらない仕事をわざわざ専門に扱うなど、とんだ小物もいたものだと子助は思う。それに、一度の失敗ごときで失う信頼など、初めから無いに等しい。後処理が無く、依頼主に受け渡すだけの誘拐はむしろ手間がかからず楽な部類だ。それを専門に扱うと吹聴することは、自分たちは無能ですと宣伝して回っているようなものだ。
 子助は視線をコピー用紙と写真に戻した。
 コピー用紙にはターゲットの簡単なプロフィールが書かれていた。ロシア連邦サンクトペテルブルク出身。十八歳。近しい家族はロシアで暮らす母親と妹が一人。父親とは幼少の頃に死別。実家は有数の資産家。単身来日した後、現在は都内の名門校、アナスタシア聖書学院に首席、特待生として在籍中。
 写真には長いブロンドの髪に緑の目をした女が写っていた。どこかの病院の入り口で、タクシーから降りているところを遠目から望遠レンズを使って盗撮したものらしい。連続写真のため、コマ送りのように女の挙動が切り取られている。女は作り物のような見た目に反して愛想が良いらしく、運転手に対して笑顔で精算を済ませ、車から降りるとわざわざ振り向いて手まで振っている。ぽかんとした運転手の顔が間抜けで面白い。そして病院の入り口に向かって数歩歩いた後、女は突然足を止めて真っ直ぐにカメラを覗き込んだ。自分が撮影されていることに気がついたのかもしれない。カメラマンもファインダー越しに目が合ったのだろう。驚いて退散したのか、その後の写真は無い。
 簡単な仕事だと、子助は思った。
 いくらセキュリティが厳重とはいえ、人間が作ったものである限り壊すことは可能だ。裸にしてしまえば、残るのは箱入りのお嬢様一人。必ず一人になる時間があるはずだから、そこを突けばあとは目を瞑っていてもできるだろう。
「ま、やってみるよ」
 子助が紙ナプキンに数字を書いて男達に渡した。男達はそれを見ると顔を見合わせる。スキンヘッドが肩を落とした。
「……わかった。この金額でいい」
「まいどあり」
「……とんだ赤字だ」黒縁メガネが歯を食いしばりながら、小切手にナプキンに書かれた数字を書き移す。「……本当に大丈夫なんでしょうな?」
「まぁね。幸いこの『なり』だから怪しまれることは少ないんだ。『変な小学生がいる』って少し噂になるかもしれないけど」

 カチリと時計の音が鳴り、彼女はハッとして顔を上げた。
 部屋の照明は点いておらず、マッキントッシュのディスプレイだけが部屋に青白い光を放っていた。机の上にはコピー用紙に印刷されたドイツ語の論文と独英辞書、カップに残った冷え切った紅茶と、皿に盛られたイチジクのジャムあった。青白い光に照らされると、彼女の長い金髪はほとんど真っ白に見える。
 窓の外は真っ暗だ。反対側の建物の窓越しに、非常ベルの赤いランプがぽつりぽつりと灯っていた。
 はぁ……と溜息を吐いて、シオンは椅子の背もたれに体重を預けた。
 目頭を揉みながら、薄く横目を開けて壁にかかった時計を見る。二十一時。作業に集中しすぎて、いつの間にか眠ってしまったのだろう。最後に時間を認識していた時は、時刻は夕方だったはずだ。
「やだ……電気も点けずに……」
 シオンは身体を伸ばすと、立ち上がって部屋の照明を点けた。
 同時に、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。返事をする。桃色の髪をショートカットにした女子生徒が緊張した面持ちで入ってきた。
「あ、あのっ! 私……水橋久留美って言います……今日はその……ご報告したいことがありまして……。あ、遅くにすみません!」
「いえいえ、大丈夫ですよ。すぐにお茶を淹れますので、少し座って待っていただけますか?」
 もしかしたら冷たく退室を促されるのではないかと考えていた久留美に対し、シオンはにっこりと笑いながら入り口から遠いソファを勧めた。予想外のふんわりした対応に給湯室に入っていくシオンの背中を見送りながら、久留美は「……あれ?」とつぶやいた。
 久留美が言われた通りモケット生地のソファに座ると、部屋の奥からマスカットの様な爽やかな香りが漂ってくる。今まで嗅いだことが無いような紅茶の香りだ。シオンが銀のトレーを持って部屋に戻ると、青い花の描かれた品の良いカップと紅茶の入ったポット、イチジクのジャムをテーブルの上に並べた。
「すみません……お仕事中に……」
「とんでもないです。この書類は趣味みたいなものですし、実は居眠りをしていたんですよ。ふふ……起こしていただいて、逆に助かりました」
「趣味ってその、コピー用紙の山がですか?」
「ええ、論文や小説の翻訳を引き受けているんです。半分趣味とはいえお給料もいただいているので、ちゃんと学校に許可ももらっているんですよ。本当は帰宅してから作業しなければいけないのですが、家だとつい他のことに気が向いてしまうので……内緒にして下さいね」
 シオンが唇に人差し指を当てて片目を閉じる。
 久留美は「はぁ……」と言いながらぼうっとシオンを眺めた。見とれた、という方が近いかもしれない。シオンの学院内での評判は、決して良いものばかりではない。外国の良家のお嬢様で、語学や勉学が堪能。仕事もそつなくこなし、全く隙が無いというのが一般的な評判だが、中には完璧過ぎて気持ち悪い。人形の様で現実感が無く、何を考えているのかわからないという印象を抱く者もいる。こうして近くで見ると、確かに怖いくらい整っている。だが、意外なほど柔らかい態度は演技らしいところは無く、むしろもっと会話をしたいという親しみさえ覚える。悪く言う生徒は、おそらく彼女と一度も会話をしたことが無いのだろう。
「仕上がりはいかがですか? タイムが順調に縮まっているとうかがっているのですが」
「……え? 私ですか?」
「はい。遅くまでお疲れさまです」
 シオンが自分の膝を覗き込むように丁寧に頭を下げた。つられて久留美も軽く頭を下げる。
「あの……私が水泳部だって言いましたっけ?」
「いいえ。美樹さんがいつも楽しそうに話をしているものですから。記憶違いでなければいいのですが……」
 シオンは少し申し訳なさそうな顔をしながらカップに口を付けた。久留美は間違っていない旨を伝えると、溜め息をつきながら教えられた通りジャムを口に含み、紅茶を飲んだ。生徒全員の顔を記憶しているのだろうか。
「それで……今日はどうなさったのですか?」シオンがカップを持ったまま視線を合わせると、久留美は本能的に目を伏せた。「何かお困りごとでも?」
「いえ、それが……変な小学生がいるって噂になっていまして……」
「声をかけたら忽然と消えるという噂の……ですか?」
「そ、そうです! やっぱり、噂になっているんですね」
「私の所へ『変な小学生』の件で相談に来たのは、久留美さんで四人目です。先生方と警備会社へ報告をして対応を協議していただいておりますが、警察への通報はまだだそうです。久留美さんで何か気がついたことはありますか?」
「いえ、特には……。身長は私よりも少し低いくらいなんですけど、顔は帽子に隠れてよくわからなくて……」
「ふぅん……」シオンが顎に指を添えて宙を見上げた。「美樹さんには相談されたのでしょうか? 何かおっしゃっていましたか?」
「今日の練習中に相談したのですが、気をつけてと……。あと、如月会長にも後日相談すると言っていました」
「なるほど……お茶のおかわりをお持ちしますね」
 シオンはしばらく目を閉じて考えるとゆっくりとソファから立ち上がり、久留美の脇を抜けて給湯室に入っていった。三分ほど経過すると、久留美の鼻腔にふわりと柔らかく甘い香りが流れ込んだ。

 紅茶の香りではなかった。

「久留美さん……なぜ嘘を吐くんです?」
 不意に耳元でシオンの柔らかい声がした。
 ソファの背もたれ越しに、久留美の右肩に手を置く。
 シオンは久留美の左の首筋を舐めるように顔を近付けると、すうっと長く息を吸い込んでから耳元で囁いた。
「塩素の香りがしませんね……今日はプールに入っていないのでしょう?」
 ぞくり。
 久留美の背中に冷たい汗が流れた。
「なぜ練習してきたなどと、嘘を吐かれたのですか?」
 久留美が油の切れたゼンマイの様にゆっくりと振り返る。人形の様に整った顔がすぐ近くにあった。
 優しく笑うように細くなった瞼には、長い金色の睫毛が揺れている。
「なんですか……その格好……?」
 久留美が聞いた。
「仕立てていただきました……。動きやすくて可愛いので、とても気に入っているんですよ」
 シオンはいつの間にか、制服から黒地に白いフリルが控えめにあしらわれたゴシック調の衣装に着替えていた。肩や胸元や腹部が大胆に露出している。短いスカートにはフリルのついたエプロンが付いており、ストレートだった長い金髪もツインテールにまとめている。シオンの表情は穏やかだが、緑色の瞳は一ミリたりとも久留美の目から逸れない。
「失礼ですが、あなたは水橋久留美さんではありませんね? どのような仕掛けかはわかりませんが……お名前を伺ってもよろしいですか?」
 久留美の身体が、どろりと溶ける様にソファに沈んだ。
 ソファの上には深紅のブレザーと深緑スカートの抜け殻が、まるで子供がろくろで作った歪な花瓶の様に崩れていた。
 とん、という軽い着地音。
「なるほど……変な小学生、ですか」
 シオンが首をかしげる。十代前半に見える男の子が執務机の上に片膝をついていた。活発そうな子供だ。Tシャツにショートパンツという格好に野球帽を目深にかぶり、いたずらっぽく片目を閉じている。
「すごいね。いつから気付いていたの?」
「ほぼ最初から……でしょうか。生徒の皆さんが私に抱いている第一印象は知っていますが、それでも必要以上に目を合わせてくれませんでしたし……その割には緊張している様な喋り方が妙に演技じみていましたし。決め手は塩素の香りと、美樹さんがこの時間に久留美さんを独りで帰すはずがありませんので……」
「なるほどね……。久留美って子は俺と背格好が似ているから目をつけていたんだけど、なかなか一人にならなくてね。今日ももう少しで襲えそうだったんだけど、美樹って子がバイクに乗せて一緒に帰っちゃったよ」
「こうして見事に変装できているのですから、なにも久留美さんを襲うことはなかったのでは?」
「オリジナルが別行動していると、とても面倒臭いんだ。罪をかぶせることが出来なくなっちゃうからね。計画通りなら久留美って子を襲って、あんたを誘拐したら、久留美って子は死体が出ないように処理するつもりだった。あんたの失踪事件は犯人も失踪したまま迷宮入りさ」
「……最低ですね」
「よく言われるよ」
 風を切る音がして、少年の身体が消える。
「ばぁ!」
 目の前。
 鼻と鼻が触れ合いそうな距離に、舌を出した少年の顔が飛び出してきた。
 長い八重歯。
 鳩尾に向かう少年の膝。
 ゴツリ。
「へぇ……やるじゃん?」
 シオンはとっさに両腕を構えて膝蹴りを防ぐ。
 少年は頭をがくんと下げると、口から霧状のものを吐き出した。
 紅茶だ。いつの間に口に含んだのだろう。
「なっ?! んぐッ!」予想外の攻撃にシオンが一瞬怯む。少年は隙を逃さず拳を突き上げた。ずぷん……とシオンの鳩尾に埋まる。その拳は小さいが石の様に硬い。少年はどうすれば相手が苦しむのか熟知しているのか、鳩尾に深くめり込んだままの拳を九十度捻った。「えっ……?! うぐッ?! ぐあぁぁッ!?」
 自分自身を抱くようにシオンの身体が折れる。そしてそのままぐるりと少年に背中を向けるように反転した。
 シオンは歯を食いしばった必死の形相で、少年に対して後ろ蹴りを放つ。
「は? おごぉッ?!」
「くはッ……! はぁ……はぁ……」
 少年は背中を壁に強打し、シオンは止めていた息を吐き出した。腹部に手を当てたまま、ソファの背もたれに手をついて身体を支える。
「痛ってぇ……なんだよその動き? ただのお嬢様じゃないのかよ?」
「うくっ……貴方こそ……何者なんですか……? その身のこなしは?」
「……似たようなもんだろ? 俺もあんたも、仕事が少し特殊なだけさ」子助は足元に落ちた帽子を拾い上げて、目深に被り直した。「名乗り忘れたけど、俺は子助っていうんだ。子供を助けるって書いて子助。いい名前だろ?」
「ええ……とても。漢字を説明する際の言い方は再考の余地があると思いますが」
「あんたが勝ったら、一緒に考えてくれよ」
 子助が地を這うようにしてシオンと一気に距離を詰める。低い。そして速い。顎が床に着きそうな姿勢で、なぜあのような速さが出るのか。子助がシオンの足の間から上目遣いで見上げる。
「おっ……白だ」
「……くッ」
 バックステップで距離を取るが、子助はすぐさま距離を詰める。子助が飛び、独楽のように回転。そのままシオンの右頬を狙った後ろ回し蹴りを放つ。シオンが足を開いて上体を落とし、蹴りを躱す。子助の身体は空中で止まったままだ。
「やべ……」
 子助の口がかすかに動く。
 伏せた体勢のシオンがバネのように起き上がり、空中の子助の背中に右手を回り込ませる。子助の身体を引き寄せると同時に起き上がる勢いを利用して、子助の鳩尾を左膝で正確に射抜いた──つもりだった。
「……え?」
 シオンの瞳が大きく見開かれる。
 自分の右手が感じたのは、自分の左膝の感触。それと、子助が着ていたTシャツだけ。久留美の変装を解いた時と同じ、変わり身……。
「変わり身を実戦で使うなんて……」シオンが視線を下に落とすと、上半身裸の子助がゴムの様に腰を捻りながら、ギリギリと拳を引き絞っていた。「何年振りだろうなッ!」
 捩れたゴムが戻る様に、残像を残しながら子助の身体が回る。同時に、拳が、前に。
 ずぐん……!
「ゔぐッ?! んぐあぁぁッ!?」
 鳩尾に小さな拳を深く突き込まれ、シオンの身体が感電した様に跳ねる。
 拳骨の先で、子助はシオンの心臓の鼓動を感じた。
 子助が力任せに奥深くめり込んだままの拳を捻ると、シオンは白目を剥いたまま声にならない悲鳴をあげながら大きく仰け反った。
「…………ッッ?!」
「……しぶてぇなッ!」
 どんッ……という、まるで交通事故の様な音が室内に響いた。
 子助は歯を食いしばりながら、渾身の一撃をシオンの臍の位置にぶち込む。横隔膜を揺さぶるため一瞬で拳を抜くと、腹部の中央は子助の拳の形そそのまま残したクレーターが出来た。
「おゔぅッ!? くッ……! ぐ……ぅ……」
 膝から崩れ落ちるように、シオンの身体が前のめりに倒れた。失神する瞬間まで、シオンの目は子助を見続けていた。もしかしたら失神したことにすら気付いていないのかもしれない。
「……ぷはッ! はぁ……はぁ……何者だよこいつ? この俺が一撃で仕留められないなんて」
 子助は膝に手を着きながら息を整えるが、ふらついて厚手の絨毯に尻餅をついた。落ちていた自分のTシャツで汗を拭う。喉がひゅうひゅうと鳴り、咳き込む。気道の粘膜が貼り着きそうだ。何か水分は……。探すと、テーブルの上に飲み残しの紅茶を見つけた。ポットの蓋を開け、口の端から零しながらもそのまま飲む。冷え切っていたが、鼻を抜ける香りが清々しく、涙が出そうなほど美味い。
「はぁ……はぁ……あいつらには、もったいないな」子助がうつぶせに倒れているシオンを見ながら言った。携帯電話を取り出し、電話をかける。「もしもし? ああ、例の依頼の件、失敗しちゃった。小切手は返すよ…………え? 知らないよ。あとはそっちでどうにかしてよ。とにかくもう諦めて欲しいな…………あのさぁ、もう少し考えて喋ったほうがいいよ。ターゲットを君達二人に変えてもいいんだから……うん。そうそう。じゃあ、もう会うこともないと思うけど」
 シオンはまだ動かないが、一定のリズムで背中が上下している。手加減はほとんどできなかったが、無事のようだ。子助は倒れているシオンを見ながら、窓の桟に腰をかける。背後の景色は真っ暗だ。
「そういや白鬼衆にくノ一は居なかったな。いつかスカウトしてみるか。メイドでくノ一ってのもなかなか……」
 ぐらり……と子助の身体が後方に倒れた。
 建物の五階の窓から、子助の身体は闇に溶けるように消えた。

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