短いですがこちらの続きです。
今年中には完成させたいですね。



 シオンはコンポストの中に隠された階段を降り、アルミ製のドアを開けた。かすかなカビと湿気の匂い。キン、キン、と死にそうな音を立てる蛍光灯に照らされて、白い壁や薄い緑色の樹脂で出来た床が浮かび上がった。
 まるで遺棄された病院の様だ。
 美樹や久留美は無事だろうか……とシオンは廊下を進みながら思った。随分と時間が経ってしまった気がする。孤児院の地下にあるこの奇妙な施設の調査も進めたいが、まずは二人と合流しなければならない。それに、人妖と行動を共にしている蓮斗の目的や経緯を、できれば本人から直接聞かねばならない。どの様な理由から人妖に協力しているのか。他にも協力者はいるのか。また、かつて対峙した冷子も蓮と共にこの施設にいるはずだ。やらねばならないことは多い。
 シオンは蓮斗のことを思った。
 蓮斗がこの施設に収容されることになったきっかけの凄惨な事件。十歳の子供があの様な恐ろしい犯行を行えるものだろうか。
 凄惨な現場写真や調書を調べている間、シオンは何度も嘔吐き、頭痛を覚えてソファに倒れ込んだ。物心がついた……ちょうど父と死別した頃から、死を連想させる事象に対して生理的な嫌悪感を感じるようになった。だから、蓮斗の犯行を記録した資料は、シオンにとっては目を覆いたくなるほど耐え難いものだった。
 資料によると、蓮斗は太った体型を理由に六歳の頃から虐められ始めた。蓮斗は何度か教師に相談をしたが、教師は首謀者の家が生活保護を受けていることを理由に首謀者に同情し、肩を持ったという。両親と蓮斗の仲も良好とは言えず、蓮斗が八歳になる頃には虐めはクラス全体を巻き込んだ大きなものへとエスカレートしていった。味方のいない蓮斗はあるとき鬱憤を晴らすように学校で飼育していたウサギを生きたまま焼却炉に放り込み、教師から厳しく叱責される。また、知らせを聞いた蓮斗の両親はその日、雪が降る夜に蓮斗を家から放り出した。
 蓮人は自分を虐めていたクラスメイト達が大した咎を受けず、ウサギを殺した自分だけが糾弾されたことに納得がいかなかった。また、ウサギを殺したことを弱いもの虐めだと教師や両親から罵られたが、それでは今自分が受けている仕打ちは何なのだろうか。
 蓮斗が身体の奥から黒いものが湧き上がるのを感じながらショッピングセンターで途方に暮れていたところ、目の前を虐めの首謀者が家族と共に通った。家族と楽しそうに笑う首謀者を見た瞬間、蓮斗は「口から内臓が飛び出すほどの憎悪」を感じたと調書に書いてあった。
 蓮斗は公衆トイレで凍えながら一夜を明かすと、自宅に忍び込んで包丁と金属バッドを持ち出して学校へと向かった。授業には出席せず、放課後に首謀者が一人になったところを見計らって背後からバットで殴り昏倒させると、グラウンドの隅にある体育倉庫の中に主謀者を監禁、拘束した。学校から完全に人がいなくなったことを確認すると、蓮斗は首謀者を裸にし、腹部を内臓が破裂するほどバットでめった打ちにし、首から性器の辺りまでを包丁で裂いて殺害した。警察の調査で首謀者の露出した内臓に付着している蓮斗の精液が検出された。
 蓮斗は首謀者の身体をゴミ捨て場に棄てると、血まみれのまま、学校の近くに住む虐めに加わっていた母子家庭の生徒の家に侵入。バットで殴り昏倒させると、母子の手足をロープで縛り、母親の目の前で生徒の腹部を滅多刺しにして殺害。母親の狂ったような悲鳴を聞いて近所の住人が警察に通報した。警官が駆けつけた時には生徒は四方に内臓を飛び散らせた無残な姿になり、蓮斗は一心不乱に母親の裂いた腹部の中を掻き回していた。後の調査で、蓮斗は下着の中で何度も射精した跡が発見された。
「ゔっ……げほっ……」
 シオンは眩暈を覚えて、口元を押さえて床に片膝を着いた。フラッシュの様に明滅する凄惨なイメージを頭を振って払拭する。なぜ幼い子供がここまで歪み、凶行に及んだのか。原因は酷い虐めによると調書には記載されていたが、蓮斗の感じた憎悪はそれほどのものだったのだろうか。
 シオンはふらふらと立ち上がり、髪の毛を手櫛で梳いてから目を閉じて大きく息を吐いた。しっかりしなければ。まずは目の前の状況に集中するべきだ。
 ここ数日はほとんど寝ていない。
 アンチレジストともほとんど連絡を取らず、この孤児院……CELLAのことも報告していない。通常任務であれば当然受けられる組織からのバックアップは無く、危機が迫っても自分のみの力で解決しなければならない。解決できなければそれまで……それは先にこの施設に侵入しているはずの美樹も同じだ。
 シオンは慎重に薄暗い廊下を進んだ。
 おそらく孤児院の敷地全体にこの地下施設が広がっているのだろう。廊下は細かく枝分かれしており、廊下から中を覗けるように大きな窓が嵌まっている部屋が続いている。ほとんどの部屋の中には数台のパイプベッドが置かれていた。しばらく歩くと、コンピューターが置かれたナースステーションの様な部屋があった。中に入る。強盗にでも入られたかのようにファイルや紙の資料が散乱していた。シオンは足元に落ちているファイルを手に取って中を見る。顔写真付きの履歴書の様な紙が多くファイリングされていた。
 シオンは手早くファイルをめくる。
 いた。
 蓮斗だ。
 おそらくこの施設に来てしばらくしてから撮影されたのだろう。十歳前後の頃の、脂肪で膨れた頬と顎をした蓮斗が、どんよりと地を這う様な視線で写真の中からシオンを睨みつけている。書類には神経質そうな細かい文字がびっしりと書き込まれていた。
「な……え……?」シオンは思わずファイルをぐいと顔に近づけた。「人妖……適性……?」
 書類には蓮斗の細かい身体情報や経歴、蓮斗の起こした事件の調書の他に「人妖適性」なる見慣れない所見が書かれていた。

 ──施術に対する身体的適性は中からやや低と思われる。しかし、虐めに起因する自信の喪失、躁鬱的な心理障害及び他者を無価値なものと認識する性質は人妖化した後の栄養源補給においては有利に働くものと思われる。また、自己嫌悪に起因する自傷的行為、および自身の身体への無価値観、自愛の喪失は、被験者への追加実験や何らかの改造を施す際に抵抗なく受け入れられると思われる。

 なんだ、これは?
 人妖化?
 施術?
 どういう意味だろう?
 人妖は人為的に造り出されたものだとでもいうのか?
 ならば、人妖とは未知の生物などではなく、何者かが何らかの理由と意図の元に生み出したものなのだろうか。では、それを命懸けで追い、調査し、戦っている自分達やアンチレジストという組織は何のために存在しているのか。アンチレジストはこのことを知っているのか? 自分達は一体何と戦っているのだろうか……。
 不意に、虫の羽音のような音とともにブラウン管のモニターが点いた。粗いノイズ混じりの画面に、見慣れた顔が映る。
「何をぐずぐずしているの? 早こっちに来なさいな」
 うねるような画面の中に、スーツを着た女性の胸から上が映っている。女性は退屈そうに椅子に座っているらしく、アームレストに片肘をついたまま呆れたような視線を送っていた。
「冷子……さん……」
「私の庭を荒らさないでくれるかしら? この施設は古いけれど、まだまだ利用価値があるの。学園の研究棟以上にね」
「……この施設は何なんですか?」
「結論を急ぐんじゃないわよ、貴女らしくもない……あまり私を失望させないでくれる? 貴女みたいな奴が涼の仇だと思うと情けなくなってくるわ。それよりも、積もる話は直接会って話してあげるから早くロビーまで来なさい。そこの廊下をまっすぐ進んでドアを開ければ出られるから。決着が着いてから好きに調べればいいわ。貴女が生きていられたらだけど……」
 ブツンと言う音と共にモニターが切れた。モニターは青い顔をしたシオンの顔を嘲る様に反射していた。