2018年09月

10月7日(日)開催のりょなけっと10にてスペースいただきました。
当日は過去に単発で配布した短編集の製本版と16枚のイラストサンプル、16枚のイラストのフルサイズダウンロードコードをセットにしたものを配布予定です。
よろしくお願いいたします。

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LWFsample1モザイク

LWFsample2モザイク

LWFsample3モザイク


※サンプルのためモザイク処理しています。
当日配布するイラストサンプルはモザイク処理なしです。

 冷子が床に手をついたまま激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」と、蓮斗が冷子を振り返って言った。声色にはやや馬鹿にしたような響きがうかがえる。
「……うるさいっ。邪魔するんじゃないわよ」
「負けそうだったところを助けたのに随分だなぁ……。冷子さんがあそこまで追い詰められるなんて意外ですよ。多分僕が来なかったら一分も経たずに──」
 薄笑いを浮かべたまま話し続ける蓮斗の眼前に、冷子の軟体化した腕が目にも留まらぬ速さで伸びて、鞭のような音を立てた。濡らしたタオルを弾いたような湿った破裂音に蓮斗の体が一瞬固まる。蓮斗は、ひひ、と笑いながら両手を上げて後ろに下がった。
 シオンは今まで写真でしか見たことがなかった蓮斗という人物を把握しようとつとめた。ボリュームのある服を着ているせいもあるだろうが、写真で見た印象に比べややがっしりとした体型に見える。おそらく数回にわたり整形手術を受けているのだろう。肥満体系の頃の面影はほとんど無い。そして過剰に目が潤んでいて呂律もわずかに怪しい。薬物依存症によく見られる様子だ。
「悪かったわね、横槍が入って」と、冷子がシオンに言った。「これは負け惜しみではなく事実として言うけれど、貴女はあのまま勝ってはいなかった。私が手を打っている途中にこいつに邪魔をされただけ……この後それを証明してあげるわ。さっきの落とし前はこれで許して頂戴」
 冷子は右手で左の二の腕を掴むと、唸り声をあげながら右手に力を込めた。めりめりという音がして、指が二の腕の筋肉に食い込む。
「なっ……何を……や、やめてください!」
 シオンが頭を振って駆け出そうとするが、その前に冷子が一層低い声で唸る。ブチブチという何本もの繊維がちぎれる音と共に、腕が肩関節から脱臼する重い音がはっきりと響き、シオンは耳を塞いでしゃがみ込んだ。冷子の左腕が肩から抜け、おびただしい血液がロビーの床にぶちまけられる。蓮斗が背後でひゅうと口笛を吹いた。
「な、なんて……なんてことを……」
 あまりの光景にシオンは目に涙を浮かべ、口に両手を当てながら震えている。
「……そんなに大袈裟なもんじゃないわよ。腕一本再生するくらい訳ないわ」と、冷子が肩で息をしながら言った。左肩の傷口はナメクジの様な粘液質の表皮に覆われ、既に止血されている。冷子は主を失った左腕をシオンの目の前に放り投げる。シオンは「ひっ」と悲鳴をあげながら肩を震わせた。
「へぇ……調べた通りだなぁ」と、蓮斗が言った。「人が傷つくところが極端に嫌いなんだっけ? シオンちゃんの闘っている映像を何本か見たけどさ、基本的に大振りで一撃必殺狙いな感じだよね? 性格的に理詰めや搦め手を使ってじわじわと追い詰める頭脳戦の方が得意なはずなのに、実際の戦闘スタイルは脳筋かよっていうほど大雑把だからなんか変だなぁと思ったんだよ。なるほど、苦しめる前に勝負決めちゃおうって魂胆ね。僕とは正反対だなぁ。そうなったのもやっぱりアレかな? 君のことは色々調べさせてもらったけどさ、昔──」
 蓮斗が言い終わる前に、玄関の方で轟音が響いた。玄関扉の蝶番が壊れ、扉の一枚板がゆっくりとロビーの床に向かって倒れる。開けっ放しになった扉から風に舞った雪が吹き込む。雪の光を背負って巫女服の袖を揺らしながら、美樹がブーツの底をごつごつと鳴らしながらロビーに入ってきた。三人の視線が美樹に集まる。
「扉を壊してすまないな……驚かすつもりは無かったんだが──」と言いながら、美樹が蓮斗を睨みつけた。「お前の声が聞こえたので、少しイラついてしまった」
「美樹さん……」と床に座り込んだままシオンが言った。美樹がシオンの側まで来て手を差し伸べる。シオンがその手を引いてた立ち上がった。シオンは足元を確かめるように靴底を何度か踏みしめ、ツインテールを手櫛で梳く。「大丈夫です、大丈夫……」と床を見ながらシオンが言った。美樹が勇気付けるようにシオンの肩を叩く。冷子が蓮斗を睨みつけた。
「ちょっと……なんでこいつが生きてるのよ? 始末したからこっちに来たんじゃないの?」
「いやぁ、その手違いというか……実は寸でのところで逃げられまして、あの双子もいつの間にか消えていて誰も捕まえることができず──」
 蓮斗が言い終わる前に、冷子が変形させない状態の右腕を蓮斗の顔面に向けて払った。蓮斗の首が折れたのではないかと思うほど顔が真後ろに倒れるが、蓮斗は悲鳴をあげることもなくバランスを崩した程度で持ち直す。ゆっくりを顔を戻すと、両方の鼻からは大量の血が垂れていた。
「あら?」と冷子が言った。蓮斗の顔を覗き込む。
 蓮斗の瞳孔は冷子のそれと同じ様に縦に裂けていた。
 瞳孔の内部が微かに赤みがかって見える。それを見ると冷子はジャケットの内ポケットから鏡を取り出し、蓮斗に手渡す。蓮斗は自分の目を覗き込むと、首を振りながら「やった……やったぞ」と静かに言った。
「最終段階ってとこかしら……違和感は無い?」
「違和感どころかすこぶる順調です。痛みや疲労は日が経つにつれてほとんど感じなくなってきていますし、射精の回数や量も増えました。昨日まで久留美ちゃんと遊んでいる時はお腹を殴りながら一晩で八回も射精しましたし、睡眠欲もほとんど無くなりました」
 蓮斗が興奮で所々声を上ずらせながら冷子に捲したてる。
「ここまでくれば成功でしょうね。拒絶反応も無いみたいだし。あと数時間もすれば粘膜同士の接触で栄養素を吸収出来るし、老廃物もほとんど生成されなくなる。分泌する唾液や精液などの体液は異性を魅了する効果がある、いわゆるチャームに変化する。食事も排泄も必要無いし、疲労物質やわずかに生成される老廃物は体液と同時に体外へ排出されるから睡眠も必要無い。ようこそ、こちら側へ」
「ありがとうございます……ようやく人妖になれるんですね……。食事の必要がなくなるのは少し残念ですが」
「おい、なんの話だ……。人妖になれるだと? どういうことだ?」
 美樹が幽霊を見るような顔で蓮斗と冷子を見ながら言った。シオンは地下で見た資料を思い出し、背中がゾッと粟立った。
「そのまんまの意味さ。俺は人間という存在が心底嫌いなんだ。あれこれ気にしながら、人の顔色をうかがってせこせこと生きている卑屈なクズども──」と言いながら、蓮斗が息を荒げながらカーゴパンツのポケットからシガーケースのようなものを取り出した。中を開く。注射器が一本入っている以外は何も入っていない。蓮斗はその一本を取り出して、震える手で鎖骨のあたりに針を打ち込んだ。雑に中の薬液を注入すると、ケースごと注射器を床に叩きつけて壊した。「冷子さんが開発したこの薬を定期的に打つだけで、人間はより高位の存在の人妖になれるのさ……。将来的には飛沫でも効果があるようになるし、適性がない奴でも強制的に人妖化できるように冷子さんが調整してくれている」
 蓮斗の瞳は紅い光を放ちはじめた。冷子がその背後で興味無さげに頭を掻いている。
「俺はこいつを大量生産して、まずは日本中の人間を全員人妖にする。日本は理想郷になるのさ。だってそうだろう? 飢えが無くなり、ただセックスしていれば生きられる存在に全員が進化するんだ。いまの世の中を見てみろ。容姿や収入、生まれや育ちで一生が決まっちまう世界だ。クソッタレな親の元に産まれちまったら、泥水をすすりながら惨めな劣等感に怨霊みたいに取り憑かれながら、一生をジメジメとした日陰で過ごさなきゃならない。俺はそんな世界をぶち壊してやりたいのさ。人間がもっとも恐怖する飢えが無くなり、価値観が全部ひっくり返る。童貞とか処女とか、金持ちとか貧乏人とかで差別されなくなる世界だ。最高じゃないか」
「そ、そんな……」
「そんなことさせるか!」
 言葉に詰まったシオンの横で美樹が叫んだ。蓮斗を矢で射抜く様に真っ直ぐに睨みつけた。
「日本中の人間を人妖にするだと……? 貴様、人間を何だと思っている?」
「身勝手で自分勝手な最低の屑さ。街を歩いてると、色んな奴がいるよな? 俺はそいつら全員が何を考えてるのか想像するだけで、頭がおかしくなりそうだよ。でもさ、結局は全員何を食うか、誰とヤルかしか考えてないんだよ。それが満たされないから、自分より下の奴を作って、そいつを貶めて自尊心を保とうとするのさ。だったら、その不安を取り除いてしまえば良いだろう? お前らの仲間だったあの双子の生い立ちを聞いたことはあるか? 可哀想に、変態趣味の馬鹿親のせいでサイコになっちまった……。あいつらがいまだにソーセージと生卵を食べられない理由を考えてみろよ。チンポと精液が大嫌いなんだよ」
「屑はお前だろ?」と、美樹が冷たく蓮斗に言い放った。「人妖になれば人間全員が平等になれるだと……? ふざけるな。人間という存在自体をかなぐり捨てて、何が平等だ。そんなもの、化け物になれと言っているようなものだ」
「俺から言わせれば人間の方がよっぽど化け物だ。少しでも他人と違うってだけで平気で傷付ける。俺はお前とは違うってだけで、平気で嫌悪の対象にして攻撃する」
「それは違います。自分らしく精一杯生きていれば──」
「お前らみたいに! お前らみたいに……最初から生まれや容姿や学力に恵まれた奴らが、綺麗ごと言っても説得力ねぇよ!」
 シオンの言葉を蓮斗が遮る。シオンの眉間に向けて指を指しながら声を荒げた。「余裕ぶっこいて上からほざいてんじゃねぇぞ! あ? 自分らしく精一杯生きるだと? なんだお前? 生まれや顔や頭にたまたま恵まれて、周りからちやほやされてるからくだらねぇ奉仕精神とか博愛主義とかでいられるんだろうが? あ? 何がメイドだよ。お前が家柄に恵まれず、金に困っていて、顔や頭が今みたいに良くなくても、今と同じことをしてたのかよ!?」
「ただの僻みにしか聞こえんな」と、美樹が静かに言った。「知った風な口で自分だけが不幸だと喚くな。私もこいつも、道楽や人を見下すためにへらへらしているように見えるか? そんなくだらないことで命を張れるものか。いいか、命を張るってことはな、それなりに理由があるんだ。他人を妬んで、黙って寝ているだけで頭や身体が鍛えられるか? ろくな努力もせずに薬物や他人の力に頼っているお前には何も言う権利は無いぞ」
 水を打ったような沈黙が流れる。
 雪は相変わらず壊れたドアから吹き込み、シャンデリアの灯りは揺らめきながらロビーの黒檀の床を照らした。
 誰も何も発しない時間は一瞬だったが、凍りついた空気は永久凍土の様に重苦しく無慈悲にその身を横たえていた。
「……もういいわ」
 蓮斗の背後から声が響く。
 冷子がつまらなそうな顔をして全員を一瞥した。
「蓮斗……あなた、もういいわ……」
 冷子が冷たく言い放ちながら指を鳴らす。蓮斗の身体が震えるほど大きくどくんと脈打つと、腹の辺りが恐ろしい勢いで膨張した。ライダースのジッパーが音を立てて壊れ、中に着ていた薄手の赤いカットソーが限界まで伸びる。
「……え?」
 蓮斗は自分の膨張する腹を呆然と見下ろす。腰に巻いていたベルトが音を立てて千切れ、カーゴパンツのボタンフライ弾け飛んだ。身体はどくどくと脈打つ度に膨張する箇所が広がり、膨張は胸から腕、指先へと面積を広げた。
「ああああああああああああああああ!」
 太ったカブトムシの幼虫の様に変形した指を顔の前に掲げながら、蓮斗はこの世の終わりの様な悲鳴を上げた。そのまま頭を抱えてうずくまる。
 シオンが手を口元に当てて無意識に後ずさった。
「な……何ですかこれは……?」
「わからん……あの女が何かしたらしいが……」
 美樹も震える声を隠せずに、ただ呆然と蓮斗の変形を見守った。
「厭だぁぁ……これじゃあ……あの頃に戻っちまう……。もう太りたくない……また皆から……虐められ……」
 膨張は既に全身に広がっていた。既に蓮斗の顔は二倍ほどの大きさに膨らみ、声は倍音を伴って不明瞭になっていた。綺麗に染められた金髪は膨張した頭皮で隙間が空いて、所々地肌が見えている。
「なんで人間ごときを自分と同じ存在にしなきゃならないのよ。自分は特別な存在だとでも勘違いしていたのかしら?」
 冷子の声に蓮斗は顔を上げる。その顔は直視できないほど無惨になっていた。目は恐ろしいほどの量の脂肪で膨張した瞼で塞がり、口や鼻も膨らんだ頬に押しやられ、ただの小さな穴になっていた。
「おおおおお…………!」
 何か言葉を発したらしいが、口腔が脂肪で押しつぶされて呻き声にしかならない。冷子は気にせずに薄笑いを浮かべている。
 すっと、蓮斗の狭まった視界の隅に緋色の布が映った。蓮斗は何とか顔の角度を変えて見上げようとするが、よくわからない。
「こいつを治す方法を教えろ」
 美樹の声だ。
 視界のピントがわずかに合う。
 自分に背を向けて、冷子に立ち塞っている美樹の姿が目に入った。緋色のスカートや襦袢に走る緋色のラインがやけに鮮やかに見えた。
「無理に決まってるでしょう。その姿を見てもわからないの?」
「貴女なら出来るはずです」
 蓮斗の視界に別の影が映る。
 白いガーターベルトの付いたストッキングに、フリルの付いた黒いスカート。二つに纏めた長い金髪。
「人間をここまで作り替えることが出来るのなら、逆に治すことも出来るはずです。お願いします」
 シオンの声にはすがる様な雰囲気があった。冷子がふんと短く息を吐く。
 蓮斗の思考はまだはっきりしていたが、身体は四つん這いのまま動かすことが出来ず、かつて顎であった場所を床に着けたまま身じろぎするだけだった。その蓮斗をまるで庇う様に二人が背を向けて立ちはだかっている。
 美樹の長い綺麗な黒髪が揺れて綺麗だった。
 印象に残っている、綺麗な長い黒髪。
 そして強気で凛とした性格。
 あの時、いじめられていた小学校の頃に助けてくれた女の子も、長い黒髪だった。
 まさか……な。
 そんな都合のいい話がある訳が無い。
 でも、もしそうだとしたら……。
 蓮斗の身体が脈打ち、瞼が更に膨張する。そして蓮斗の視界は完全に塞がり、何も見えなくなった。

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