「私は人妖にはなりません……。たとえそれが、どんなに優れた存在であったとしても」と、シオンが静かに首を振った。「他の人を犠牲にしなければ成り立たない存在には、私はなりたくはありません。廃人のようになってしまった人妖事件の被害者の姿を何人も見てきました。そして、私の生家が人妖研究に関わっていて、人妖事件の一端を担っているのなら、私の手でそれを終わらせます。人助けになるのならと始めたアンチレジストの活動ですが、思えば最初から神様が導いてくださったのかもしれません。贖罪なのか、試練なのか……」
シオンが右のツインテールを手櫛で梳いた。冷子がギリっと歯を噛み締める。
「詭弁を……。いつまでも自分だけは正義の味方でいられるなんて思わないことね」
冷子の左腕が別の生き物のように伸びた。先端がソフトボールほどの大きさに膨らんだ触手が、壁を背にしたシオンを目掛けて矢のように走る。シオンは直前で回避し、元いた場所の壁が大きく陥没した。冷子のもう一本の腕も触手化して、シオンを追うように伸びる。シオンは壁に向かって走った。追いかける触手がシオンの腰に触れる直前、シオンは壁を蹴って後方に宙返り、自分を追い越した触手に真上から膝を落とした。床とシオンの膝に挟まれた触手は灰褐色から一瞬冷子の肌の色に戻る。冷子が舌打ちする音が聞こえた。その間にシオンは冷子との一気に距離を詰めた。体勢を低くしたまま走り、振り下ろされる鞭のような触手を躱しながら十分に近づくと、そのまま駒のように回転して冷子に足払いをかける。冷子の身体がぐらりと傾くと同時にシオンは上体を起こすと、冷子の頭と腰を抱えるようにして右膝を冷子の腹に突き込んだ。
「ゔぶぇッ?!」
冷子は濁った悲鳴をあげながら前屈みの体勢になる。シオンは冷子の頭と腰から手を離さず、反動を利用して冷子の身体を持ち上げた。冷子の身体がフッと宙に浮く。シオンはそのまま裏投げの要領で冷子を後方に投げ、背中を地面に叩きつけた。
「ぐえぁッ?! ぐ……ぎ……ぎいぃぃぃぃぃッ!」
冷子は歯を食いしばったまま、両腕の触手でシオンの身体を抱きすくめた。シオンが冷子に覆いかぶさったまま抱き抱えられるような格好になり、お互いの鼻が触れそうな距離で身体が密着する。
「まともに戦えば強いじゃないの……顔を狙わないところにまだ甘さがあるけれど」と、冷子が苦痛に顔を歪めたまま言った。そのまま触手を解こうと踠(もが)ているシオンに自分の顔をぐいと近づけ、強引にシオンの唇を吸う。
「んぅッ?!」
突然の感触にシオンは目を見開いた。冷子は触手でシオンの後頭部を押さえつけて舌を強引に吸うと、混ざり合った唾液を舌で強引にシオンの口内に押し込んだ。
「ぐぷっ……?! んむぅッ!」
合わさったシオンと冷子の唇から、混ざり合った唾液が溢れる。不意に、シオンの背中をぞくりと寒気が駆け上がった。違和感。なんだろう? 自分の口が、麺棒を突っ込まれているように大きく開けられている。冷子の舌だ。自分の口内に侵入している冷子の舌が肥大化している。突然、ずりゅ……と冷子の舌が伸び、シオンの喉奥まで冷子の舌が突き込まれた。
「ぐぇッ?!」
まるで剣飲みの曲芸だった。
シオンはすぐさま強引に頭を押さえつけている触手を振り解き、身体を冷子の足下まで抜くと後転して立ち上がった。激しくむせるシオンを眺めながら、冷子は人形のようにゆっくりと上体を起こす。冷子の口から触手化した舌が、五十センチほどダラリと伸びていた。あのまま突き込まれていたら窒息していたかもしれない。
「ひふははひれへらっはろ?(キスは初めてだったの?)」と、バケモノのような形相になった冷子が首を傾げながら言った。舌がぢゅるりと音を立てて、ゴムが収縮するように冷子の口内に収まる。「残念だわ。もう少し味わっていたかったのに……」
「そんな所まで触手化できるなんて……」と言いながら、シオンが汗で貼りついた前髪を直した。「でも……無敵という訳ではないみたいですね」
「……どういう意味?」
冷子は触手をしならせながら、シオン目掛けて横に払った。シオンは屈んで回避し、次の攻撃に備える。もう一本の触手が自分目掛けて伸びてきた。これを待っていた。シオンは横にずれて回避しながら、小脇ににかかえるようにして触手を掴む。シオンは抱えた触手目掛けて、「ふッ!」と気合を入れながら渾身の力で膝を蹴り上げた。ぐにゃりと変形した触手の色が、一瞬だけ灰褐色から肌色に戻る。シオンはその肌色の部分を目掛けて、すかさず第二撃を加えた。
「がぁッ!」と、冷子が悲鳴をあげた。
「さっき気がつきました……。強い衝撃を受けると、その部分だけ触手化が一瞬解除されるみたいですね。ダメージを与えるには、間隔を開けずに同じ箇所を攻撃するしかないみたいですが……」
シオンが蹴り上げた部分は軟体動物のような感触ではなく、肌色になった部分には確かに骨の感触があり、シオンの膝にはそれが折れる感触が伝わった。触手は逃げ帰るように冷子の右腕の形に戻る。折れた部分が真っ赤に腫れていていた。冷子は左手で右肩を掴んでいる。
「その腕を捥いで、また新しい腕を生やしますか?」と、シオンは冷子に向かって走りながら言った。「ですが、生えるタイムラグの間に、終わらせます」
シオンは高く跳躍し、前方に宙返りした。何が来る? 得意の踵落としか? 冷子が身構える。腕を抜くのが先か? 攻撃を受けるのが先か? 受けるのが先だ。避ける時間は無い。冷子は無事な左手を頭上に上げた。振り下ろされる踵を受けて、バランスを崩したところで反撃する。おそらく左腕も折れるだろうが、頭に食らったら確実に失神する。シオンの背中。エプロンを止めている腰のリボン。黒く短いスカートから伸びる太ももの裏側。エナメルの靴が振り下ろされる直前に、シオンと一瞬目が合った。
衝撃。
「がぁッ!?」と、冷子が叫んだ。
右肩?
頭を狙うシオンの右足はフェイントで、シオンの左足が冷子の右肩に振り下ろされた。当然防ぐことはできず、無防備な右肩の骨が砕ける音が聞こえた。冷子の頭上で、シオンが長く息を吸った。何だ? 次は何をする気だ? いつの間にか、シオンの右足が冷子の左肩に乗っている。逆向きの肩車のような体勢だ。シオンが冷子の頭を両手で押さえる。シルクの手袋の感触。シオンはそのままの体勢で、冷子の頭を太腿で強く挟んだ。まずい! 冷子がもがく。シオンはふっと息を鋭く吐くと、冷子の頭を挟んだまま海老反りのように後方に回転した。
冷子の視界が回転し、頭が引っこ抜かれるように前方の地面に吸い込まれ、激しい衝撃が冷子の脳天を叩いた。
「……終わりです」
シオンが肩で息をしながら言った。正座をしているような体勢のシオンの太腿の間には、目を見開いた冷子の顔があった。
シオンが右のツインテールを手櫛で梳いた。冷子がギリっと歯を噛み締める。
「詭弁を……。いつまでも自分だけは正義の味方でいられるなんて思わないことね」
冷子の左腕が別の生き物のように伸びた。先端がソフトボールほどの大きさに膨らんだ触手が、壁を背にしたシオンを目掛けて矢のように走る。シオンは直前で回避し、元いた場所の壁が大きく陥没した。冷子のもう一本の腕も触手化して、シオンを追うように伸びる。シオンは壁に向かって走った。追いかける触手がシオンの腰に触れる直前、シオンは壁を蹴って後方に宙返り、自分を追い越した触手に真上から膝を落とした。床とシオンの膝に挟まれた触手は灰褐色から一瞬冷子の肌の色に戻る。冷子が舌打ちする音が聞こえた。その間にシオンは冷子との一気に距離を詰めた。体勢を低くしたまま走り、振り下ろされる鞭のような触手を躱しながら十分に近づくと、そのまま駒のように回転して冷子に足払いをかける。冷子の身体がぐらりと傾くと同時にシオンは上体を起こすと、冷子の頭と腰を抱えるようにして右膝を冷子の腹に突き込んだ。
「ゔぶぇッ?!」
冷子は濁った悲鳴をあげながら前屈みの体勢になる。シオンは冷子の頭と腰から手を離さず、反動を利用して冷子の身体を持ち上げた。冷子の身体がフッと宙に浮く。シオンはそのまま裏投げの要領で冷子を後方に投げ、背中を地面に叩きつけた。
「ぐえぁッ?! ぐ……ぎ……ぎいぃぃぃぃぃッ!」
冷子は歯を食いしばったまま、両腕の触手でシオンの身体を抱きすくめた。シオンが冷子に覆いかぶさったまま抱き抱えられるような格好になり、お互いの鼻が触れそうな距離で身体が密着する。
「まともに戦えば強いじゃないの……顔を狙わないところにまだ甘さがあるけれど」と、冷子が苦痛に顔を歪めたまま言った。そのまま触手を解こうと踠(もが)ているシオンに自分の顔をぐいと近づけ、強引にシオンの唇を吸う。
「んぅッ?!」
突然の感触にシオンは目を見開いた。冷子は触手でシオンの後頭部を押さえつけて舌を強引に吸うと、混ざり合った唾液を舌で強引にシオンの口内に押し込んだ。
「ぐぷっ……?! んむぅッ!」
合わさったシオンと冷子の唇から、混ざり合った唾液が溢れる。不意に、シオンの背中をぞくりと寒気が駆け上がった。違和感。なんだろう? 自分の口が、麺棒を突っ込まれているように大きく開けられている。冷子の舌だ。自分の口内に侵入している冷子の舌が肥大化している。突然、ずりゅ……と冷子の舌が伸び、シオンの喉奥まで冷子の舌が突き込まれた。
「ぐぇッ?!」
まるで剣飲みの曲芸だった。
シオンはすぐさま強引に頭を押さえつけている触手を振り解き、身体を冷子の足下まで抜くと後転して立ち上がった。激しくむせるシオンを眺めながら、冷子は人形のようにゆっくりと上体を起こす。冷子の口から触手化した舌が、五十センチほどダラリと伸びていた。あのまま突き込まれていたら窒息していたかもしれない。
「ひふははひれへらっはろ?(キスは初めてだったの?)」と、バケモノのような形相になった冷子が首を傾げながら言った。舌がぢゅるりと音を立てて、ゴムが収縮するように冷子の口内に収まる。「残念だわ。もう少し味わっていたかったのに……」
「そんな所まで触手化できるなんて……」と言いながら、シオンが汗で貼りついた前髪を直した。「でも……無敵という訳ではないみたいですね」
「……どういう意味?」
冷子は触手をしならせながら、シオン目掛けて横に払った。シオンは屈んで回避し、次の攻撃に備える。もう一本の触手が自分目掛けて伸びてきた。これを待っていた。シオンは横にずれて回避しながら、小脇ににかかえるようにして触手を掴む。シオンは抱えた触手目掛けて、「ふッ!」と気合を入れながら渾身の力で膝を蹴り上げた。ぐにゃりと変形した触手の色が、一瞬だけ灰褐色から肌色に戻る。シオンはその肌色の部分を目掛けて、すかさず第二撃を加えた。
「がぁッ!」と、冷子が悲鳴をあげた。
「さっき気がつきました……。強い衝撃を受けると、その部分だけ触手化が一瞬解除されるみたいですね。ダメージを与えるには、間隔を開けずに同じ箇所を攻撃するしかないみたいですが……」
シオンが蹴り上げた部分は軟体動物のような感触ではなく、肌色になった部分には確かに骨の感触があり、シオンの膝にはそれが折れる感触が伝わった。触手は逃げ帰るように冷子の右腕の形に戻る。折れた部分が真っ赤に腫れていていた。冷子は左手で右肩を掴んでいる。
「その腕を捥いで、また新しい腕を生やしますか?」と、シオンは冷子に向かって走りながら言った。「ですが、生えるタイムラグの間に、終わらせます」
シオンは高く跳躍し、前方に宙返りした。何が来る? 得意の踵落としか? 冷子が身構える。腕を抜くのが先か? 攻撃を受けるのが先か? 受けるのが先だ。避ける時間は無い。冷子は無事な左手を頭上に上げた。振り下ろされる踵を受けて、バランスを崩したところで反撃する。おそらく左腕も折れるだろうが、頭に食らったら確実に失神する。シオンの背中。エプロンを止めている腰のリボン。黒く短いスカートから伸びる太ももの裏側。エナメルの靴が振り下ろされる直前に、シオンと一瞬目が合った。
衝撃。
「がぁッ!?」と、冷子が叫んだ。
右肩?
頭を狙うシオンの右足はフェイントで、シオンの左足が冷子の右肩に振り下ろされた。当然防ぐことはできず、無防備な右肩の骨が砕ける音が聞こえた。冷子の頭上で、シオンが長く息を吸った。何だ? 次は何をする気だ? いつの間にか、シオンの右足が冷子の左肩に乗っている。逆向きの肩車のような体勢だ。シオンが冷子の頭を両手で押さえる。シルクの手袋の感触。シオンはそのままの体勢で、冷子の頭を太腿で強く挟んだ。まずい! 冷子がもがく。シオンはふっと息を鋭く吐くと、冷子の頭を挟んだまま海老反りのように後方に回転した。
冷子の視界が回転し、頭が引っこ抜かれるように前方の地面に吸い込まれ、激しい衝撃が冷子の脳天を叩いた。
「……終わりです」
シオンが肩で息をしながら言った。正座をしているような体勢のシオンの太腿の間には、目を見開いた冷子の顔があった。