2020年08月

unui x RNR


この作品はウニコーンさんに有償依頼をいただき、二次創作として製作したものです。
ウニコーンさんのオリジナルキャラの瀬奈さんを主人公に、世界観や設定、ストーリーをお任せいただいたので、かなりの部分を好き勝手に書くことができました。
今後作品としてウニコーンさんが挿絵を付けて完全版として発売する予定ですが、今回私が書いた文章と制作中のイラストの掲載許可をいただきましたので、予告編としてぜひお楽しみください。


1話目はこちらです


 瀬奈は入り組んだ廊下を走った。
 アスカのことは考えずに任務に集中しろと自分に言い聞かせた。そうでもしないと、涙が溢れそうだった。
 しばらく奥に進むと、左側の壁が全てガラス張りになった。ガラスの向こうには新型のベルトコンベアが数台並んでいる。入り口には「梱包室」と書かれたプレートが貼ってあった。瀬奈は呼吸を整えてから慎重に扉を開けて、素早く中に入ってドアを閉めた。
 木くずとカビが混ざったような匂いが漂っている。
 部屋の奥にはステンレスの大きなタンクがあり、そこから機械を通して、透明なビニール袋にパッキングされた、緑色の粉薬のようなものがベルトコンベアの上を流れていた。袋の中身は栽培室で見たキノコを乾燥粉末にしたもの……WISHだろう。瀬奈は身を隠しながら袋のひとつを手に取った。未開封を示すためのセキュリティシールと、MOTPのロゴがホログラムで印刷された偽装防止シールが貼られている。一般的なドラッグは、生産時はキロ単位の大容量でパッキングされ、流通を経由するうちに徐々に小分けされるのが常だが、WISHは最初から一回分を小分けにして生産されているようだ。また、一般のドラッグは製造環境や質も粗悪で、不安定な流通経路を辿って人の手に渡るたびに混ぜ物が加えられたり、中には全く別の薬と偽って販売されたりするケースが後を絶たない。これほどまでに清潔な環境で生産され、品質管理や偽造防止が施されているドラッグを瀬奈は見た事が無かった。
 瀬奈が注意を払いながら室内を点検していると、奥のドアが開いて人が入ってくる気配があった。瀬奈は身を隠し、部屋の奥に注意を払う。
「こんなにもらっていいんですか?!」
「重要な情報だったからな。礼も兼ねて三倍の量を入れるようにとグールーに言われている。いつも助かっているよ」
「いやぁ、お互い様ですよ。最近のWISHの値段は天井知らずですし、富裕層や権力者に買い占められてモノ自体が手に入らない時も多いですからね。こんな風に直接分けてもらいでもしないと、手に入れることは本当に難しい。グールーにもよろしく言っておいてください」
 グールー? なんのことだろう。宗教上の指導者をそう呼ぶこともあるが……。
 瀬奈は機械の陰からそっと顔を出して様子をうかがった。男が二人いる。作業着を着た中年の男と、瀬奈と同じエナメルのコンバットスーツを着た男。瀬奈の所属するACPUの男性隊員だ。隊員は太めの体系で、瀬奈は見覚えがあった。男性隊員が話を続ける。
「しかし、WISHは一回使ったら最後……これはもうやめられないですね。初めて使った時、幻覚に何が出てきたと思います?」
「さぁ? 初恋の女か?」
「ウチの女性隊員ですよ。ははは。その中に好きな娘がいるんですよね。ほら、ウチの隊員って結構美人が多いし、このピッタリしたスーツ着てるでしょ? 訓練中はいつも目のやり場に困るんですよ。身体のライン強調させたこの格好で飛んだり跳ねたり……堪らないですよ。こっちは勃起したらすぐバレるっていうのに」
「ははは、そりゃあ大変だな」
「気の合う男の隊員同士で飲むと、そんな話ばかりですよ。あいつの胸がデカいとか、尻のラインが綺麗だとか。あと、勃起がバレない下着とかね……。初めてWISHを吸った時のことは、強烈すぎて今でも覚えていますよ。幻覚で出てきた娘は瀬奈ちゃんって言うんですけどね。たぶんもう捕まって、上の方々にレイプされてると思うんでが……。これがめっちゃくちゃエロい身体してて、一眼見た時からずっと大好きだったんですよ。WISHを吸った瞬間に暗転して、幻覚がすぐに現れました。どこかの廃墟みたいな場所で、瀬奈ちゃんと背中合わせの状態で潜伏していたんですよ。周りはドンパチやってる中で瀬奈ちゃんの体温や息遣い、柔らかい肌の感触がリアルに伝わってきて、一瞬本当に任務中かと焦ったんですが、すぐに『ああ、これはこれはWISHの効果だな』って、明晰夢を見たような感じになって、迷いなく瀬奈ちゃんを押し倒しました。効果は三時間くらい続きましたかね。自分、任務中に瀬奈ちゃんとエッチするネタで毎回オナニーしてたんで……本当にWISHのおかげで夢が叶いましたよ。口から胸からアソコまで何回も……。幻覚から覚めた後、オナニーじゃ絶対出ない量の精液の掃除が毎回大変なことが、唯一の困りごとですけどね」
「はははは。有効活用できているみたいでなによりだ。こっちもここまでの大規模な突入となると、事前に準備していない限り流石にヤバいからな。ま、これからもウィンウィンでいこう」
 男達は握手をし、男性隊員が大事そうにアルミのアタッシュケースを抱えたまま作業服の男に背を向けた。
 顔にはまだ笑みが貼り付いている。
 やはり、瀬奈が知っている顔だ。
 先輩隊員のヤタベ。 
 何回か一緒に出撃したことがあるが、格闘能力は低く、太った体型のために隠密行動にも向かない。後方支援も事務処理も要領が悪く、素行についてもあまりいい噂を聞かない人物だ。
 この人が、裏切り者……?
 この人のせいで、仲間が殺され、アスカ先輩が危険な目に……?
 なんでこの人はこの状況で、笑いながら下衆な話なんかできるのだろう?
 ヤタベは醜く口角を釣り上げたまま、こちらに歩いてくる。おそらくこれから帰宅して、WISHを使う時のことを考えているのだろう。
 瀬奈は無意識に立ち上がり、ヤタベの前に立ち塞がった。「え?」とヤタベが驚いた表情で言った。瀬奈は飛び出し、ヤタベの頬に拳を打ち込んだ。ヤタベが悲鳴をあげて転がる。アタッシュケースが床に落ちて派手な音を立てた。作業服の男が振り返り、驚いた顔をする。瀬奈は滑るように床を移動し、作業服の男の鳩尾を貫き、失神させた。
「ひ、ひぃ……!」と、ヤタベが尻餅をついたまま言った。
「あなた……」と、瀬奈がヤタベを見下ろしながら言った。自分でも驚くほどの冷たい声だった。「自分が何をしたのか……わかっているんですか?」
 瀬奈の表情が、わなわなと震える。ヤタベは強張った表情のまま視線を逸らし、転がっているアタッシュケースと、失神した作業員の男をチラリと見た。
「……わ、わかっているに決まってるだろ」と、ヤタベが声を震わせながら、吐き捨てるように言った。
「人が死んでいるんですよ! それも仲間が! もちろん危険な任務だし、皆それなりの覚悟を持って挑んでいるとは思いますが、あなたがした行為は最悪の裏切りどころか……意図的な殺人なんですよ!?」
「そ、そんなこと言うな! 僕だって仕方がなかったんだよ……」
「仕方がないって──」
「わかるだろ!?」と、ヤタベが瀬奈の言葉を遮った。「僕がこの組織で、皆にどんなふうに思われているのか、瀬奈ちゃんだって知っているだろ!? ずっとそうさ……どの集団にいても、ちやほやされたことなんて一回も無かったよ。それどころか、使えない奴だとレッテルを貼られて、いつも邪魔者扱いだ。ACPUに入ったのだって、どこにも就職できなかったから、親にコネで無理やり入れられただけさ。後方支援だけやっていればいいって聞いていたのに、まさか前線に出させられるなんて思ってもいなかったけどね……。家族からもお払い箱にされて、クスリにでも頼らないと生きていけるわけないだろ! ましてやこのWISHは、もはや僕みたいな一般庶民では手が出せないほどの高嶺の花になっているんだ。手に入れるためなら、愛着の無い組織なんていくらでも売るさ!」
「そんな理由で……なんでこんな事態になる前に、組織を辞めなかったんですか……?」
 瀬奈が絞り出すように言った。ヤタベは目を伏せながら、失神している作業服の男を見る。
「……あいつと僕の会話を聞いていたんだろう? 君がいたからだよ……瀬奈ちゃん。前線部隊に配属になると聞いて、その日のうちに辞表を書いたさ。つらい訓練も、危険な任務もまっぴらだ。でも、辞表を出そうと前線部隊のオフィスに行ったら、君がいた。一目惚れっていうのかな……今まで好きになった娘は何人もいたけれど、君ほど惹かれたのは初めてだったよ。だから、頑張ってみようと思った。この通りダメだったけどね……。最初は近くで君を見ていられるだけで幸せだった。でも、だんだん辛くなってきた。君はいつか僕以外の誰かを好きになって、身も心もそいつのモノになってしまうと考えると、気が狂いそうだったよ。正直に言うと、帰り道に後をつけたことも何回もある……。君は誰かと付き合っている様子は無かったけれど、ならいっそ今のうちに押し倒して無理やりとも考えたが、君は僕よりも強いから、返り討ちに遭うのは目に見えている……。そんな生活の中で、こいつの噂を聞いた」
 ヤタベは太腿のポケットからビニール袋を取り出した。くしゃくしゃになっているが、未開封のWISHだ。
「まるでプロメテウスの火だと思ったよ……。WISHは僕みたいに毎日劣等感に押しつぶされながら、惨めに地べたを這い回るしかない人間を救ってくれる、神様からのギフトだ。WISHを使っているうちは、辛く惨めな現実を全て忘れさせてくれる……。幻覚の中で何回も何回も、君や他の女性隊員を犯したり、嫌な上司や隊員をぶっ殺したりしたよ。WISHは僕の暗い心を、明るく照らしてくれた火だ。WISHのおかげで、僕は心の平穏を得ることができたんだよ」
「そんなのただの幻覚じゃないですか。まやかしに何の救いがあるんですか!?」
「これが救いじゃなかったら何だ! まやかしにでも縋(すが)らないと、僕みたいな人間は人生という名の地獄から永久に救われないんだ! 現実で救われないのなら、WISHでも麻薬でも何でも使ってやるさ! 瀬奈ちゃんはいいよな……強くて可愛くてスタイルもいいんだから、こんなもの使わなくても全然平気だろう。僕みたいな出来損ないの気持ちなんて、一生わからないだろうさ。そして出来損ないの人間が一度WISHを知ってしまったら、もうWISH無しの生活なんて考えられないよ。人間がもはや、プロメテウスから貰った火を使わずに生活出来ないようにね……。僕はWISHを手に入れるためなら、なんだってやるさ。なんだってね」と、言いながら、ヤタベは瀬奈の顔を見た。その顔はうっすら笑っているように見えた。「せっかく君と初めてまともに話ができたのに、こんな内容だなんて散々だよ……。でも、これだけは信じてくれ。確かに僕は組織を裏切ったが、罪悪感もなにもなく、平気で見知った顔を裏切れるほど、僕の心はまだ壊れていない……。今でも手が震えて、叫び出したいのを必死に抑えているんだ。だから、ここを出た瞬間に使うつもりだったさ!」
 ヤタベは震える手でWISHの封を切り、瀬奈が止めるのも間に合わずに一気に口に入れた。ヤタベはむせながらもWISHを嚥下する。その後、激しい吐き気を堪えるように悶えた。瀬奈は四つん這いになってげぇげぇと苦しむヤタベに駆け寄るが、ヤタベはその手を振り切る。
「あぁあぁぁ!! あ…………あはは」
 虚を見ているような、どろりとした目になったヤタベと目が合った。WISHの効果の発現はこんなにも早いのかと瀬奈は思った。吐かせようかと考えたが、既に手遅れだろう。
「瀬ぇ奈ちゃん……ん~むっ! んむむむむむむむんむんむ!」と、言いながらヤタベは自分の手の平を舐めまわしはじめた。幻覚の中で瀬奈と抱き合って、キスをしているのだろう。その後、血走った目を見開き、呆けたように口から涎を垂らしながら、腰をゆさゆさと前後に振り始めた。あまりのおぞましさに瀬奈が目を逸らす。ヤタベはすぐに「うんッ!」と鋭い声をあげると、ゆっくりと立ち上がった。コンバットスーツの股間のあたりが盛り上がり、小便を漏らした様なシミができている。ヤタベは効果発現から三分も経っていないのに射精したのだ。
 なんの前触れもなく、ヤタベは両手を広げて瀬奈に向かって突進した。瀬奈は不意を突かれて咄嗟に判断ができず、ヤタベに抱きつかれてしまう。脂っぽい汗と、生臭い臭いが瀬奈の鼻を突いた。ヤタベは呻き声のような声をあげながら腰を瀬奈に押し付けようとするが、瀬奈は身を捩ってヤタベの腕を解いた。ヤタベとの距離が更に広がったところで、ヤタベの顎を裏拳で薙ぐ。テコの原理でヤタベの脳が揺れているはずだが、倒れる気配はない。ヤタベはデタラメに手を振り回しながら瀬奈に抱きつこうとする。ヤタベは瀬奈の手首を掴んで強引に身体を引きつけると、瀬奈の下腹部に拳を突き込んだ。
「うっぶ?!」
 胃液がこみ上げ、瀬奈はうめき声をあげた。腹を抱えるようにして身体をくの字に折る。瀬奈は体勢を立て直してヤタベに攻撃を加えるが、効果的なダメージを与えられずにいた。ヤタベの動きは予測不能のデタラメなもので、再び抱きつかれる。普通であれば瀬奈が苦戦する相手ではないが、WISHによって脳のリミットが外れているのか、力はかなり強かった。ヤタベは瀬奈に抱きついたまま、ごちゅ、ごちゅ、と瀬奈の腹や下腹部を殴った。
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「ゔッ?! ぶぐッ! ゔぇッ!」
 肥満体のためパンチには重さがあり、無理な体勢に崩されているため腹筋を固めることもままならない。ヤタベは瀬奈の腹に突き込んだ拳をさらに深く押し込み、そのままピストンの様に圧迫した。
「ゔあッ?! がっ……ぐぷっ……! ごぇッ?!」
 ヤタベは男性器を抽送する様に瀬奈の腹をぐぽぐぽと責めた。瀬奈の腹は杵で突かれている様に陥没し、はらわたが掻き回されたことでデタラメな信号が脳に送られる。瀬奈は目と口を大きく開けて苦しみ、出した舌から唾液が伝って床に落ちた。
「んぎ……いッ!」
 瀬奈は意識が途切れる前に歯を食いしばり、ヤタベの顔面に頭突きを見舞った。ヤタベは痛みを感じているのかわからないが、一瞬ひるんで腕の力が抜ける。瀬奈はヤタベの顎をアッパーで突き上げ、背後に回り込んでチョークスリーパーをかけた。歯を食いしばり、呼吸を止めて腕に力を込める。ヤタベはしばらくバタバタと暴れたが、やがて動かなくなった。
 瀬奈は肩で息をしながら、仰向けに倒れたヤタベを見た。呼吸はしているようだ。失神しているとはいえ、まだWISHの幻覚の中にいるのだろう。その顔にはいまだに不気味な笑みが張り付いていた。
 突如、けたたましい警報が鳴り響いた。
 瀬奈はビクリと反応し、呼吸が落ち着く間も無くベルトコンベアに身を隠す。
 部屋の奥のアルミ扉が開き、小柄な男が入ってきた。男は倒れている作業員を見て「うわっ」と驚いた声をあげた。瀬奈が覗き見る。小柄な男は倒れている男と同じ作業着を着ており、首からカードホルダーを下げていた。
 小柄な男が、倒れている作業員の名前を叫びながら揺り動かす。作業員の部下だろうか。声のトーンが高く、未成年かもしれない。小柄な男は倒れているヤタベにも気がつき、助けを呼ぶために扉に向かって背を向けた。瀬奈が飛び出す。背後から左腕を男の首に回し、カードホルダーを握った手を掴んだ。
「ぐあッ!」
「この音は?」と、瀬奈が低い声で聞く。
「警報です……WISHの製造数と、箱詰めされた数が合わなくなった時に鳴る……。ライン工がWISHを盗むのを防ぐために付いているんです……」
 苦しそうな声で男が答える。近くで見ると、男は瀬奈の想像よりもずっと年齢が低かった。まだ十代前半から半ばくらいだろう。真面目そうな雰囲気の顔が苦痛と恐怖に染まっている。瀬奈は力を込めている腕を少し緩めた。
「あなたもWISHを? WISH欲しさにこんなことをしているの?」
 男の子は目を閉じて苦しそうに歯を食いしばりながら、二、三回頷いた。
「先生から貰ったんです……イジメの相談をしたら、夢の中でイジメた奴に復讐ができるって……。でも、ある時先生から、もっとWISHが欲しいならここで働けと言われて……僕みたいなライン工はたくさんいます……」
「なんてことを……」と、瀬奈は頭を振りながら言った。こんな子供まで使って量産されている薬物など、潰さなければいけない。「幹部やボスはどこにいるの? そのカードを使えば行ける?」
 男の子は首を振った。
「扉のロックはレベルがあって……僕のカードは最低レベルで、この工場エリアしか入れないんです。でも、課長の持っているカードなら、偉い人達のエリアにも行けます……グールーもそこにいます」
「グールー?」と瀬奈が言うと、男の子はかすかに頷いた。
「グールーです。WISHを初めて創った人で、ここで一番偉い人です。グールーは僕達みたいなダメな人間を救うために、WISHと共にこの世に降臨した神様だと、大人達は話しています……」
 瀬奈は男の子を解放した。男の子は四つん這いになって激しく咳をしている。瀬奈は倒れている男のカードホルダーから赤いカードを抜き取った。顔写真付きのしっかりとしたカードで、名前の上には「製造部 在庫管理課 課長」と印字されている。まるで会社の社員証だ。
 瀬奈はしゃがみ込んで、四つん這いになっている男の子と目の高さを合わせた。
「ねぇ、ここを出たら、麻薬更生プログラムを絶対に受けるって約束できる?」と、瀬奈は男の子に向かって言った。男の子はキョトンとしながらも、しっかりと頷いた。「じゃあ、お姉ちゃんとの約束」と言って、瀬奈は小指を差し出した。男の子も恐る恐るという様子で、その小指に自分の小指を絡める。
「私にも、君と同じくらいの妹がいるの。もし、お姉ちゃんとの約束を忘れそうになったら、これを見て思い出して」
 瀬奈は金色の髪留めを一本外し、男の子に渡した。男の子は扉から出て行く瀬奈を見送ると、それを大事そうにポケットにしまった。

本編で動きが無いのも寂しいので、冒頭部分のラフを期間限定で公開します。
※ラフのため、今後内容が変わる可能性があります。




「──つまり私の作るウイスキーは、常に新しい味や香りを追求し、皆様に驚きと、ある意味ではショックを与えたいと考えております。ただ美味い、香りが良い、飲みやすいといった一般的な価値観に、私は興味はありません。そのために、まだ日本では未発売か、とてもマイナーな蒸留所の原酒を積極的に買い付け、レイズモルトの貯蔵庫で更に熟成させています。一部は自前の樽に移し替えますし、熟成中はウイスキーにとって、ある種の冒涜的な行為を行うこともあります。樽が破壊しないギリギリの高さからあえて落下させたり、様々な木材の破片を漬け込んでみたり、樽の周りで香を炊いてみたり、ヘヴィメタルの音楽を大音量で鳴らしたり……」
 三神冷而(みかみ れいじ)はカメラマンのフラッシュを浴びながら、ふんだんに嘘を交えて自分の作るウイスキーを魅力的に、そしてミステリアスに語った。ウイスキーなど、所詮は誰も中身を知らないブラックボックスだ。多くの人々がウイスキーに求めるものは味や香りではなく、ドラマ性と、それがいかに希少で良い物かどうかという情報だけだ。そして冷而は自分自身の見た目も、ウイスキーの魅力を高める道具のひとつだと考えていた。サイドを短く刈り上げてトップをオールバックにしたスリックバックの髪型、整えられた口髭、ネクタイのディンプルの形、シワひとつ無い明るい色の高級スーツと、男にも女にも好印象を与える見た目を意識した。「こんな格好良い男が、なにやら革新的なことをして作ったらしい酒を飲んでみたい」と、大衆に思わせることができれば成功だ。そして彼を取り囲む多くの記者やテレビカメラが、彼の目論見が成功したことを表していた。あのテレビカメラの先には、数多の一般大衆が自分の一言一言を注意深く聞き、次に発売するウイスキーに想いを馳せているはずだ。今や自身の名を冠した「レイズモルト」は飛ぶ鳥を落とす勢いで知名度が加速しており、アジアを中心にボトルの奪い合いが起こるほどの大人気になっている。ワインの五大シャトーよりも投機的価値があるとメディアがこぞって煽り、新作を発売すれば即完売。すぐに転売され、末端価格は売価の十倍以上になることも珍しくない。
 そして今日の発表は、世間をさらに沸き立たせることになるだろう。ようやくここまで来たか、と冷而はこみ上げてくる快感を押し殺しながら思った。
「では、会見の本題に入らせていただきます」と、司会の男がよく通る声で言った。「このたび、弊社三神が代表を務める『レイズ』は、製薬会社『アスクレピオス』様と提携に向けた協議に入っております」
 記者達がどよめいた。アスクレピオスと言えば百年以上の歴史を持つ、ロシアに本社を置く世界的な大手製薬会社だ。規模こそファイザーやノバルティスには及ばないが、バイオ医薬品の部類ではかなりの存在感を放っている。規模に反して株式は公開されておらず、製薬会社としては珍しい家族経営を貫いてきた。しかし、なぜ世界的製薬会社と、人気とはいえ日本のウイスキーメーカーが提携するのかと記者達は思った。人気や知名度はさておき、酒造メーカーは大手を除いていずれも中小企業どころか零細企業の規模である。レイズですら例外ではなく、資本力も雲泥どころの差ではない。その空気を察したのか、司会は軽く咳払いをしてから次の言葉に繋いだ。
「本日は、アスクレピオス様から代表として一名、この場にお越しいただいております。本社のあるロシアから来日いただき、我々と協議をしている、スノウ・ラスプーチナ様です。一言、ご挨拶をいただきます」
 紹介された人物が袖から入ってきたので、記者達はさらに度肝を抜かれた。
 真っ黒いゴシックアンドロリータの服に身を包んだ十代前半と思しき女の子が、胸を張って会場に入ってきて、冷而の横に並んだ。「子供?」と、カメラマンの誰かが言った。女の子は背も小さく、身体の凹凸も乏しい。綺麗な金髪を赤いリボンでツーサイドアップに結んだ髪型も、幼さをより印象付けている。秘書らしき男が入ってきて、スノウの身長に合わせたマイクスタンドをセットした。その間、スノウは自信ありげな笑みを浮かべながら、というより少し小馬鹿にしたような表情で、記者とカメラマンをゆっくりと見回している。
「スノウ・ラスプーチナです。アスクレピオスの本社でCFO(最高財務責任者)の元、財務を担当しています。なにか質問はありますか?」
 スノウはマイクがセットされるや否や、流暢な日本語で言った。わずかに首を横に傾げ、口元だけで笑っている表情はやはり小馬鹿にしているように見える。記者達は呆気に取られていた。日本法人のスーツを着た男性が入ってくるのかと思いきや、フリルの付いた真っ黒い服を着た、生意気そうな外国人の女の子が入ってきたのだ。
「なにも無いですか?」と、スノウは言った。顔からは笑みが消え、やや不機嫌そうな表情になっている。年齢相応に気持ちが顔に出やすいのかもしれない。
「あの……」と、男性記者がおずおずと手を挙げた。スノウがどうぞと言って手を向けた。「その格好は……ゴスロリですか?」
 スノウはますます不機嫌そうな表情になった。これ? と言いながら服の胸元を摘み、質問した記者を睨む。
「そうですけど、これがなにか? 仕事をするのに服装は関係ないと思いますが」
「お若く見えますが、年齢はおいくつですか?」と、すかさず別の記者が言った。あからさまにスノウの眉間にシワが寄ったので、司会者が質問を遮り、業務提携に関する質問をするように促した。後方の記者が手を挙げた。
「失礼ですが、なぜ財務担当の方が来られたのでしょうか? 業務提携は、本来はマーケティングや経営企画の担当では?」
 スノウは質問を聞いて一息ついた。ようやく期待していた質問が来たという様子だった。
「日本企業の財務とは少し役割が違うのかもしれませんが、組織内の資産の動きだけではなく、将来に向けた資産配分や投資案件を社内外で検討し、経営陣へ提言するのも財務の重要な役割です。そもそもレイズ社との提携を提案したのも私ですし、そのために私が責任者として日本に来ました。また、我々アスクレピオスは職務や職責に関係なく、有益な情報は誰でも提案できるシステムを以前から敷いています。私がこの場にいても、なんら不思議なことではありません」
 記者達はスノウの回答に顔を見合わせた。どこか小馬鹿にしたような表情は変わらないものの、堂々とした口調で経営について滑らかに話をするスノウは見た目とのギャップもあり、ある種特別なオーラを放っているように見えた。記者達は興味を引かれ、数人が同時に手を上げた。
「なぜ、ウイスキーメーカーと提携をされるのでしょうか? 製薬とウイスキーは畑違いでは?」
「まず、ウイスキーは皆さんもご存知の通り、今後も市場の伸びが期待できる有益な分野です。そこに有益な市場があるのに、指をくわえて見ているだけでは、なにも得られません。また、異業種と思われるかもしれませんが、私はそうは思いません。香りや味わいが人間の感覚器官への刺激である以上、我々製薬会社としての知見を生かせると考えています。我々は創業から百年を超える知見の積み重ねにより、人間の受ける官能をある程度数値化することが可能です。ウイスキーは今までは良くも悪くもブレが大きく、完成するまで品質がわからない、ある種偶然の産物でした。今後はレイズ社の作るウイスキーをアスクレピオスの技術でコントロールし、狙い通りの香味を実現できるようにします。そして、全く新しい香味も、我々であればいとも簡単に作り出せます。おそらく、今まで皆さんが経験したことのないウイスキーを、近い将来お届けできることでしょう」
 そのような話もあります、と冷而が割り込むように言った。スノウが視線の端で冷而を睨む。
「お聞きの通り、アスクレピオスさんは弊社が逆立ちしても敵わない技術をお持ちです。私自身も冒頭説明させていただいた通り、新しい香味のウイスキーをお届けし、人々にショックを与えたいという考えでは、アスクレピオスさんと意見が一致しています。しかし、まだ業務提携について、打ち合わせは始まったばかりです。今後、良い進展を皆様にお伝えできると信じております」
 冷而が会見を切ろうとした時、女性記者が声をあげた。
「すみません。スノウさんのお名前についてですが、失礼ですが創業家とのご関係は?」
「ええ、前々社長は私の父です」と、スノウは興味なさげに言った。「十年前に亡くなりましたけどね」

「困りますな……勝手に話を進められては」
 記者達が引き上げた会見場で、冷而が顔を歪めながらスノウに言った。苛立っているのだろう。顎髭をしきりに捻っている。
「話が早くていいじゃないですか。そもそも、私がさっき話したことが目的で、そちらは提携の話に乗ったのでは?」
「それはそうですが、発表には然るべきタイミングと方法いうものがある。あれではまるで、そちらの指示通りにウチがウイスキーを作ると言っているようなものだ。下請けになるみたいに聞こえたら変な誤解を生んでしまう。確かに会社規模は比ぶべくもないが、お話はあくまでも対等な提携で、吸収ではないはずだ。今日は提携について協議を開始するという内容発表にとどめるべきだった」
「もったいつけて何の利があるんです? ウイスキーなんて、所詮は多少の香気成分の入ったエタノールと水の混合物に過ぎないじゃないですか。そんな物に、なにをそんなに必死になっているんです?」
 なんだと、と冷而が声を荒げた。スノウは涼しい顔をして、不敵に微笑んでいる。
「今のは聞き捨てなりませんな……。この業務提携に価値が無いと言っているんですか?」
「そうは言っていません。大切なのは利益です。この提携はお互いの利益を最大限にすることが第一の目的であり、私にはそれが出来る。美味しいウイスキーとやらを世間に届ける目的は二の次です。それに、私は見ての通り未成年なので、提携後のウイスキーが完成しても飲む機会はとうぶん先です。成果物にありつけない以上、利益重視で動かざるを得ないことを、ひとつ理解いただければ……」
 スノウが秘書を従えて去った後、冷而は演台を蹴飛ばした。派手な音を立ててマイクや水差しが床に散乱する。
「なめやがって……あのクソガキが!」
 冷而が倒れている演台をさらに蹴った。司会の男が狼狽しながら、なす術なく遠くから見守っている。
「おい、豚!」
 冷而が怒鳴ると、袖から無精髭を生やした太った男が現れた。スキンヘッドに無精髭を生やし、着ているスーツは今にもはち切れそうだ。身体つきは、脂肪は多いが筋肉質でもあり、眼光が鋭いため、見ようによっては海外のマフィアのボスのように見えた。
「はい、なんでしょう?」と、豚と呼ばれた男が言った。
「あのクソガキのことを調べろ!」
「クソガキ?」
「スノウ・ラスプーチナだ!」
 冷而はまた演壇を蹴った。
「冗談ですよ。あんなに可愛い子、僕が見落とすわけないじゃないですか」
 冷而は豚を睨むと、豚の顔を指差しながら言った。
「何か弱みを握るんだ。場合によっては、あのクソガキをお前の好きにさせてやる」
 豚は破顔し、すぐに会見室を出て行った。

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