ミリタリーブーツの分厚いゴム底がリノリウムの床を踏みしめる音が、静かに廊下に反響している。
 無駄な装飾を一切省いた無機質な廊下には少女の足音のみが響き、等間隔に配置された蛍光灯が、簡潔な文書が書かれた何の変哲も無いコピー用紙を切ないほど白く光らせていた。
「上級戦闘員って私の他に何人いるのか知らなかったけど、意外と少ないんだなぁ……」
 

◆◇◆

アンチレジスト上級戦闘員召集会議の件

以下の者、アンチレジスト上級戦闘員会議への出席を命ずる。

・神崎 綾
・シオン イワーノブナ 如月
・鷹宮 美樹
・……
・……
・……
日時 二○一一年八月二四日 二十一時より
場所 アンチレジスト地下訓練場 第九会議室

◆◇◆

 用紙に書かれたな文書を読みながら、街を歩けば誰もが振り返るであろう美少女が呟く。明るめの茶髪にショート丈のセーラー服。ミニスカートから伸びた健康的な足。手のひらには革製の指だしグローブをはめた少女。
 神崎綾。
 人妖討伐機関アンチレジストの上級戦闘員。戦闘員の中でも特に戦闘能力が高いと評価される数少ないエリートの一人である。
 これまでも綾の所属する組織、アンチレジストは数回にわたって人妖討伐に戦闘員を派遣したが、そのほとんどは行方不明となり、何とか帰還できた戦闘員もその多くが精神を蝕まれ、ほとんど廃人寸前になり失踪してしまうケースも多かった。
 その死刑宣告とも取れる派遣命令が先月綾に下った。
 戦闘の後、辛くも帰還に成功した綾と友香は、幸い肉体にも精神にも重篤なダメージはなく、退院した綾は次の任務に向けてすぐにトレーニングを再開していた。
 戦闘能力とは単純な強さだけでなく、周囲の状況を一瞬で理解する空間把握能力。先を読む洞察力や推測力。咄嗟の状況変化においてパニックにならず、瞬時に対応出来る適応能力やメンタルの強さなども求められる。
 この切り替えの早さと揺るぎない責任感が、彼女を上級戦闘員足らしめている所以なのかもしれない。
「秘密主義の組織が急に会議を開くなんてただ事じゃないわ。もしかして、先月の件について何か進展が……。だったらすぐにでも!」
 招集の紙をくしゃっと丸めると、そのまま胸の前で拳と掌をバシッと合わせる。意気込みは十分だった。
 すぐにでも涼と戦い、決着を着けたい。
 綾は会議中にファーザーに次の戦闘も自分に任せてもらうように進言するつもりだった。
 綾が第九会議室のドアに手をかけようとした時、廊下の向こう側から綾と同じ様に歩いて来る人影が見えた。
「あ……うわぁ……」
 徐々にシルエットがはっきりして来ると、女性の綾ですら息をのむほどの美少女がこちらに向かって歩いて来た。
 すらりと伸びた手足。一本一本が絡まることの無い絹糸のような金髪のロングヘアをツインテールで纏め、透き通った緑色の瞳からは知性が感じられた。
 綾の隣の区の名門校の制服を来ていたので、歳はおそらく自分とそう変わらないだろう。しかし、うつむき加減で自分の足下を見て歩く彼女の表情はやや暗く、何か作り物のような雰囲気を醸し出していた。
 しかしその女性は呆然と立っている綾に気付くと、すこしだけけ歩を速めて綾に近づいて、にこりと笑って話しかけて来た。
「こんにちは。あの、もしかして会議に参加される方ですか?」
「えっ? あっ? は、はい! そうですけど……」
「ああ! 私もなんですよー! はぅー、よかったー。組織の会議なんて初めてなので、一人で入るの心細かったんですよー」
 その雰囲気からは想像がつかない喋り方と、コロコロと表情を変え、親しみやすい笑顔を向けてくる女性に綾はすぐに好感を持った。
「あの、私、神崎綾って言います。一応上級戦闘員ってことになってまして……」
「ええっ? あなたが綾さん!? はわー。噂は聞いてます。訓練の成績は殆ど一位ですよね? しかも一ヶ月前に人妖と戦闘して生還したとか。あの、お怪我はもう?」
 最初の印象と比べ、彼女の身長が十センチくらい縮んだ気がした。綾が「なんだか可愛い人だな」と思って見とれていると、彼女ははっとして付け加えた。
「す、すみません。私自己紹介してなかったですね。私は如月シオンと言います。父がロシア人で、母が日本人なんです」
 シオンの名前は綾も耳にしたことがあった。シミュレーション訓練では綾に迫る成績を叩き出し、戦略訓練では綾より上位になることもしばしばあった。
 あまりの第一印象とのギャップに綾もつられて笑い、綾自身も人懐っこい性格をしているため、二人はすぐに打ち解けることができた。

 会議は綾とシオンを含む上級戦闘員五人とそれぞれ専属のオペレーターが円卓に座り、ファーザーは音声のみでの参加となった。全員、正面のスクリーンとスピーカーから聞こえてくるファーザーの声に耳を傾ける。
『今日集まってもらったのは他でもない。今後の人妖討伐作戦についてだ。正直に言って、作戦において戦闘員が帰還できる確率は低い。だが、ここにいる神崎綾が一ヶ月前の任務からの帰還に成功した。今日はその体験を全員に話してほしい」
「あ、は、はい!」
 いきなり話を振られ、若干戸惑ったものの、綾は思い出せるだけのことを全員に話した。
 今まで普通に接していた母校の校長先生が人妖であったこと。人妖が分泌する体液、通称チャームには人間を魅了させる力があること。友香や綾自身もかなり危なかったこと。
『綾、ご苦労だった。人妖の生態についてはかなり貴重な情報だ。次は悪いニュースだが、先日廃工場での任務に向かった由里と由羅の二人は、三日経った今でも連絡がつかない……。おそらく、奴らの手に落ちたものと思われる。だが、彼女らの作戦の前にオペレーターが工場内の数カ所にカメラを付けることに成功している。ボイラー室のカメラに映っていた映像なんだが……まずは見てもらおう……』
 その映像に会議室にいた全員が息をのんだ。
 醜い肥満体の男性型人妖に対して最初こそ優勢だった由里と由羅だが、次第に技のキレやスピードが無くなり、徐々に劣勢に追い込まれて行った。後半はほぼ一方的に二人が交互にいたぶられるのみとなり、人妖の拳がボイラーに縛り付けられた二人の腹部にめり込むたび、オペレーターから小さな悲鳴が上がった。最終的に由里と由羅の二人が人妖の性器に奉仕を開始したところで映像が終わった。
『綾の証言から、人妖は人を魅了するチャームと呼ばれる体液……人間で言えば唾液や精液のようなものだが、それで人間の精神を操ることが分かった。しかし、この映像では人妖の動きや特徴、二人の急激な戦力低下から、おそらく汗にも何らかの効果があると考えられる。気化した汗や体臭に、人間の筋力を低下させる効果があってもおかしくない』
「ひどい……こんなことって……」
 シオンが沈痛な表情を浮かべながら、祈るように机の上で手を組む。綾も複雑な心境だった。自分も友香がいなければ、あの二人のように人妖の手に堕ちていたことは自分が一番良く知っているからだ。
『二人には気の毒だが、我々は先に進まなねばならない』
 重い空気が充満する会議室に、ファーザー声が響いた。
『次の場所でも人妖の生態反応があった。アナスタシア聖書学院。反応からして、支配型の人妖だろう』
 ファーザーの声にシオンはビクリと反応すると、ゆっくりと顔を上げた。
「アナスタシア……やっぱり……やっぱりそうだったの……」
 会議室是認の視線がシオンに集中した。

 アナスタシア聖書学院。
 入学するためには家柄や性格判断、基礎学力や身体能力まで多岐にわたる試験や検査をパスし、五回以上の面接を通過した選ばれた人材だけが入学できる屈指のミッション系エリート進学校である。アナスタシア卒というだけで箔が付き、一流企業や大学も入学時からある程度優秀な生徒に目星をつけいるという。
 特に選挙で選ばれた生徒会役員や各部の部長、優秀選手は卒業と同時に各方面から声がかかり、即戦力として団体に所属したり、企業が卒業後に入社することを条件に、入学金や授業料を全額補助して一流大学へ進学させるケースもある。
 また、ミッション系とは言っても規律はそこまで厳格ではなく、全寮制と日に数回の礼拝、最低限の服装規則以外は男女交際も「結婚を前提としていれば可」とかなり自由な校風になっている。もっとも、入学までの厳しい審査項目を見れば「問題のある学生は一人もいない」という学校側の自信の現れとも取れる。
「ちょ、ちょっと待ってください! アナスタシア聖書学院って言ったらシオンさんの……」
「はい……私の母校です……。綾ちゃんにはさっき少し話ししたよね。実は三ヶ月ほど前から生徒が五人ほど失踪しているんです。もっとも全寮制なので稀に共同生活に馴染めずに逃げ出す人もいるのですが、それでも数年に一人いるかいないか……三ヶ月で五人というのは異常な数なんです」
「でも、そんなに失踪者がいたら学園でも騒ぎになるんじゃ?」
「今は生徒会の力で情報の漏洩は抑えています。生徒達には一時的な帰省や急病と伝えてあって……。私ももしかしたらと思っていたので、役員の皆には私の指示で情報操作をお願いしています」
「役員に指示って……シオンさんってまさか?」
「ええ、アナスタシア聖書学院の生徒会長です。今回の件は、私に行かせてください。学校内の地理も把握していますし、何よりも学校の皆を守りたいんです!」
 シオンの強い意志に圧され、会議室は水を打った様に静かになった。
 当初は次の任務に志願しようとしていた綾も、自分の母校を人妖に好き勝手に荒らされる気持ちは痛いほど分かるため、手を挙げようとはしなかった。
『わかった。今回の件はシオンに一任しよう。いざという時は自身の身の安全を最優先するように。戦闘服の用意はできている。では作戦は………」

 アナスタシア聖書学院都市駅を降りると、そこは学校というよりひとつの街と表現した方が正しいような、中世ヨーロッパ調の空間が広がっていた。
 広大な敷地には様々な施設が緻密な都市計画の元に整然と立ち並んでいた。レンガ造りの巨大な本校を中心に、各種研究施設や専門教室棟、各種のショップや美容院、レストランやブティックまでがシンメトリーに配置されている。
 時刻は二十三時。門限の厳しい生徒達はすでに男子寮、女子寮へと帰った後で、石畳や噴水が、昼間の多くの生徒達の喧騒とは対照的な静寂を吐き出していた。
「んふふ~♪ ふんふん~♪」
 暗闇にひらひらと足取り軽く進む影。ツインテールに纏められた長く美しい金髪に月の光が反射し、髪がなびくたびにキラキラと幻想的な光を放っていた。静寂の中にシオンの上機嫌な鼻歌が響く。
「んふふー。メイドさん♪ メイドさん~♪」
 シオンはメイド服を基調としたセパレートタイプのゴスロリ服を身に纏っていた。ファーザーから渡された戦闘服はかなり際どいもので、シオンの豊満な胸を白いフリルの装飾の付いた黒いブラジャーのようなトップスが辛うじて隠し、同じく白いフリルエプロンの付いた黒いミニスカートからすらりと伸びた足を、同じテイストのデザインの黒いニーソックスが締め上げていた。余分な贅肉が一切無いくびれた白い腹部は惜しげも無く露出され、手には二の腕まである長い白手袋がはまり、頭にはご丁寧にヘッドドレスまで装着してある。
 先日行われた会議の後、戦闘服に着替えたシオンを見た他の戦闘員やオペレータは開いた口が塞がらず、思わず綾も
「あの…ファーザー……いくら何でもこれは戦闘向きでは……」
 と、進言したほどだったが、肝心のシオンは鏡の前で目をキラキラさせながら
「うわぁーかわいいー! 本物のメイドさんだぁ……。こっ、これ、本当に次の戦闘で着ていいんですか!?」
 と、早くも一人で色んなポーズを取り出し、周りはそれ以上何も言えなくなった。
 確かに日本人離れしたシオンの容姿とプロポーションにはその際どいメイド服がかなり似合っており、逆にシオンの魅力を引き立てていた。なにより本人が至極ご満悦で、今更違う戦闘服を渡せる雰囲気でもなかったので、綾も仕方なく
「頑張ってね……」
と声をかけるだけであった。
 シオンは学園都市内の店舗のガラスに自分の姿が写るたびに、思わず顔がにやけそうになった。幼い頃から名門家としての教養、作法、立ち居振る舞いの他、人の上に立つ者としての教育を叩き込まれて来た。シオンは家族を心から愛してはいたが、自分の意志が確立してくる頃にはなぜ自分が人の上に立たなければならないのか、みんな平等で仲良く出来ればいいのではないかと常に疑問を感じるようになっていた。
 そのような中、ある時観たフランス映画の中に出てくるメイドの姿に釘付けになった。「この人はだれか他の人のために仕事をしている」
 人を使うことのみを教えてこられたシオンにとって、メイドは憧れと理想の存在になった。当然そのようなことは両親は許すはずも無いが、いつかは自分の夢として「誰かの上に立つのではなく、誰かの役に立ちたい」という気持ちを打ち明けようと考えている。
 生徒会長に立候補したのも、両親が長期海外赴任中に突如届いたアンチレジストへのスカウト状に飛びついたのも、純粋に人の役に立ちたいと思ったからであった。
「オペレーターさん!聞こえますか?」
明るい声でシオンがイヤホン型のインカムに向かって喋る。
「はい、聞こえます。良好です」
「今アナスタシアの中に入れました。昼間は結構人がいるのであまり意識しなかったですけど、こうしてあらためて見ると広いですね~」
「そうですね。こちらでも確認していますが、敷地はかなり広大で人妖の反応を探るのに苦労しています。シオンさんが到着する数時間前までは研究棟の中から反応があったのですが、今は反応が消えています」
「研究棟ですか? あそこは一般生徒が使用する科学室や実験室もありますけど、上層の研究室へは学校の関係者でも一部の人しか入れなくて、生徒はもちろん一般の教師でも入れないんですよ。今のような夜間なら学院が発行した特別なパスが必要なはずですが、なぜ人妖がそんなところに……」
「断言はできませんが、前回の綾さんのケースから考えると、今回の人妖もそれなりの地位の人として、人間社会に適応している可能性が高いのではないでしょうか?」
 人妖の反応が出たらまた連絡すると言い残し、オペレーターは通信を切った。
「実験室にでもいたのでしょうか……? でもこんな時間に? 研究室なんかは私でも入れてもらったこと無いですし……」
 アナスタシア聖書学院の研究棟は下層が生徒が使う特別室、上層は学校側が表向きは社会貢献の名目で最新の設備を有償で企業や大学に貸し出してる。当然企業のトップシークレットの研究も行われている所であり、あわよくば共同研究して利益を得ようと言う思惑もある。当然セキュリティはかなり厳重で、昼間の上層部への入室はもちろん、夜間であれば研究棟内部へは特別に発行されたカードと暗証番号が必要だった。
「ふーむ……デタラメに歩き回っても体力と時間を消耗するだけですね。本校に入ったら全部の教室を見て廻る前に朝になっちゃいますし、ここはオペレーターさんからの連絡を待ちますか」
 左手を胸の下に回し、右手で軽く顎をさすりながら考えを巡らすシオン。その一挙手一投足が絵になり、全く嫌味にならない。
 近くの自動販売機でミネラルウォーターを買い、アナスタシアの敷地の中央にある噴水に腰をかける。
 美味しそうに水を飲むシオンに近づく影に、まだ彼女は気付いていなかった。

「そこにいるのは誰かしら!?」
 いきなり背後から声をかけられ、シオンが三十センチほど飛び上がった。
「は、はひっ!? あ、あの……私は……あ……篠崎先生?」
「あら? あなた如月さん? あなた、こんな時間に何をしているの?」
 声をかけて来たのは、アナスタシアの保健室勤務の教師、篠崎冷子だった。端正で知的な顔立ちとスレンダーな身体をフォーマルスーツに包み、コツコツとハイヒールを鳴らして近づいてくる。
 保健室と言ってもアナスタシアのそれは小さめの病院と言っても過言ではない設備と広さを持ち、勤務している彼女は医師免許も取得している。その気になれば手術すらもこなせる正真正銘の医師であった。
「門限はとっくに過ぎてるわよ。それに……あなた……ハロウィンはまだ先よ……?」
 冷子はあきれたようにシオンの格好を見る。
 いくら夏とはいえ、門限の過ぎた深夜に学校の敷地内で露出度の高いメイド服に身を包み、噴水に腰をかけていたシオンの状況は説明のしようがない。
「最近女生徒の失踪が続いているのは生徒会長のあなたの耳にも入っているでしょう? 私が言うのもはばかられるけど、おそらく性的な暴行目的の犯行だと思うの。そんな格好は襲ってくれと言っているようなものじゃないかしら?」
 冷子は眼鏡の奥から知的な視線をシオンに向けている。僅かな隙もなく背筋をピンと伸ばした姿勢からは、自信と気品があふれていた。それに加え、まだ三十歳を過ぎたばかりの年齢にも関わらず冷子は大人の魅力にあふれ、男子生徒のファンもかなり多かった。
 しかし、その生真面目で近寄りがたい雰囲気から直接行動に移す男性はわずかだった。また、冷子自身はそういう色恋沙汰には全く興味が無く、仮に行動に移したとしても適当にはぐらかされてしまい、いつしか冷子に男女関係に関する話題は御法度という噂が出たほどだった。
「同じ女性として忠告しておくわ。あなた、自分では知らないかもしれないけど、学校中に凄い数のファンがいるのよ? あなたがそんな格好でうろついていたら理性を保てなくなる男子生徒や教師がいてもおかしくないわ。それとも、見せびらかしたいのかしら?」
「い、いえ。そんなつもりは……」
 なんだろう。今日の篠崎先生はいたくフランクだなとシオンは思った。
「 男子生徒は元より、教師ですらあなたで自分を慰めていることを知っているかしら? 私だってそれなりに自分に自信はあるけれど、如月さんの前では情けなくなってくるわね。如月さんの盗撮写真が結構高値で取引されてるみたいよ。撮影者は色々みたいだけど、この前保健室に来た男子生徒が持っていたあなたのプールの時の写真は、明らかに体育教官室からしか撮れないものだったわ」
 まるで面白い映画の感想を話す様に、冷子は饒舌に語った。
 いつもと違う冷子の様子に、シオンは少なからず動揺していた。おかしい、絶対におかしい。こんなことを言う先生ではないのに。まさか……人妖? でも、オペレーターは間違いなく今回の人妖は男性だって言ってた。
「あなたは……」
 シオン意を決して訪ねる。
「あなたは……誰ですか……?」
 二人の距離はほんの数十センチ。しかし、シオンはいつでも戦闘態勢に入れるように身構えていた。冷子はゆっくりと射るような視線をシオンに向ける。
 数秒の沈黙の後、ぷっと冷子が吹き出してケラケラと笑い出した。
「あははは! ごめんなさい、冗談でも悪趣味が過ぎたわね。如月さんがあんまり可愛い格好しているものだから、少しからかってみただけよ。普段はあまり気が抜けないから、時々こうして生徒をからかってるのよ」
 一通り笑った後、冷子は呆気にとられているシオンに背を向けて教師の車が停めてある駐車場に向かって歩き出した。
「それじゃあ気をつけてね。あなたの趣味に意見するつもりは無いけど、寮長に気付かれる前に帰るのよ」
「あ、ちょ、ちょっと待って下さい! この格好は私の趣味と言うか……いえ、趣味なんですけど……別に露出が趣味とかそういう訳では……」
 必死に取り繕うとするシオンにを尻目に、冷子は手をヒラヒラと振って去ってしまった。後には片手で「待って」の体勢のまま固まったシオンが取り残されていた。
「はぅぅ……な、なんか変な誤解されちゃった……。どうしよう……」
『シオンさん! 聞こえますか!?』
「は、はひっ!? オ、オペレーターさん?」
 突然シオンのイヤホンにオペレーターから通話が入った。
 緊急時しか使用しない、受信側が許可ボタンを押さない強制通話での通信だった。
『今、人妖の反応をキャッチしました! アナスタシアの職員用駐車場の付近です!』
「ほ、本当ですか!? 今そこには篠崎先生が向かっているんですよ!?」
『民間人が付近にいるのですか? 危険です! シオンさ………す………現場………急こ………』
「オ、オペレーターさん? よく聞こえないんですが? オペレーターさん!?」
『シ………綾さ…の時……………妨が………………………………気を……………………………』
 その後、シオンの呼びかけにも関わらず、イヤホンからオペレーターの声が聞こえてくることは無かった。
 シオンは通話している最中から駐車場に向かって歩き出していたが、通信が不可能となるとあきらめてイヤホンを仕舞い、走り出していた。シオンの耳に冷子の悲鳴が届いたのは、駐車場への最後の角を曲がったときだった。