八月中旬、午後七時半。窓の外はまだ明るく、遠くに山の輪郭が見える程度には明るい。
僕を乗せた九州新幹線はゆっくりと熊本を出発し、終点の新大阪を目指して走りだした。車両が徐々に加速し、微かな重力が僕の身体を後方に引っ張ると、僕は胸痛を感じて胸を押さえた。
やれやれ、またいつもの発作か。
慣れている僕は、いつもと同じように鳩尾の辺りを押さえると、亀が甲羅の中に頭を引っ込める様に下を向いた。
仕事とはいえ、頻繁に自分の苦手な行為を繰り返すことは本当に辛い。僕の場合、新幹線や飛行機等の高速で移動する乗り物がそうだ。なぜかはわからないが、それに乗っている間に、自分の中の「何か」が少しずつ、しかし確実に抜け落ちてゆくのを感じるからだ。たとえば時速三百キロの速さで後方に、たとえば上空一万メートルの彼方へと、抜け落ちた「何か」は確実に遠ざかってしまう。そして、二度と僕の元へと帰ってくることは無いのだ。
その「何か」が、いわゆる若さや情熱や信念と言われている様なセンチメンタルで曖昧なもののひとつなのかは分からない。しかし今でも、僕の中で「何か」は刻一刻と抜け落ち、減り続けている。
僕は気分を紛らわそうと鞄の中を弄(まさぐ)った。ゼニアのスーツ生地で装丁したスクラップ帳が指先に当たる。俯いたままスクラップ帳を取り出して広げると、今日見つけたばかりの生地のサンプルをひとつひとつ指でなぞった。ざっくりとした荒い光沢のある生地で指が止まる。熊本の小さな工房が、岡山で織られたコットンサージの生地を泥染めしたものだ。生地は緑がかったダークブラウンで、所々泥染め特有の微かなムラがある。
女性的な綾織りの上品さと、男性的な力強い染めを兼ね備えた素晴らしい生地だった。
やはり、綾織りが良い。必要であれば平織りの生地を探すこともあるが、僕の探す生地のほとんどは綾織りだ。綾織りは平織りに比べ強度は弱いが、その立体的な陰影や滑らかな手触りは平織りとはまた違った魅力がある。上品、女性的、儚さ、そして何より、名前の「綾」の文字そのものが美しい。
来年の十月には美しい服に生まれ変わり、パリのランウェイを闊歩するのかもしれないと思うと、少しだけ気分が回復した。
「あの……大丈夫ですか……?」
声をかけられて顔を上げると、瑞樹(ミズキ)が驚いた顔をこちらに向けていた。
「あれ? 悠(ユウ)さん? またいつもの発作?」
「ああ……まぁ、そんなところ。瑞樹は何でここに?」
「友達の結婚式があったので、鹿児島の実家に帰ってました。まぁ、日帰りですけどね」
瑞樹が歯を見せずに笑う。僕が隣のシートから鞄を下ろすと、瑞樹はそこに座った。今日のグリーン車は僕達以外の乗客はいない。
なんとなく瑞樹の全身を見る。白髪に近いほどブリーチされたプラチナアッシュのショートボブに、控えめな化粧。身長は低く、体つきもスレンダーだ。ボーイッシュで整った外見と色白の肌が、派手な色の髪に実に合っている。
そして瑞樹はいつものように、僕達が所属するブランドの本ラインを見事に着こなしていた。今日はフリルの付いた黒いシャツに白のネクタイを締め、縮絨させた黒いポリエステル生地のライダースジャケットをワンピースドレスの様に仕立てた服を着ていた。服だけを見れば、正直近寄り難い雰囲気だろう。しかし、黒ずくめの服から唯一浮き上がったネクタイの白を、瑞樹の色素の薄い肌と髪色が見事に拾い、全体として非現実的な魅力を醸し出している。
「今日はどこまで行ってたの?」
「熊本。駅を降りてからは遠かったけど、とても良い生地を見つけたんだ。来年十月の春夏で使われるかもしれない」
「来年かぁ……ということは実際に着られるのは再来年だなぁ」
他愛無い会話をしていると、瑞樹は車内販売員に席の変更の手続きを済ませ、ついでにビールを二本頼んだ。一本を僕に差し出しながら、片手で器用に自分のビールのタブを起こしている。僕がタブを起こすのを見計らって雑な乾杯をした。
こういう軽快さも、瑞樹が男女共に人気のある理由のひとつなのだろう。そして瑞樹は自分がどのような美しさを持っているのかを完璧に知っている女性だった。そして、それを嫌味無く生かす術にも長けていた。性格もさっぱりしていて、よく笑い、冗談も言う。 年下だが、本当に人間として尊敬出来る人だった。
その瑞樹と付き合いはじめて、来月で半年になる。
僕と瑞樹は博多駅で乗り換え、繁華街で下車すると、お互い特に会話もなくホテルへと入った。僕の性器は電車を降りた頃には既に準備が整った状態であったし、瑞樹も身体の距離を近付けて、それとなく合図を送っていた。
部屋に入り、長いキスをしながら服を脱がせ合う。瑞樹の熱っぽい息と、溶けたバターの様な舌が心地良い。そして普段は決して見せない瑞樹の蕩けた顔が、僕を更に興奮させた。
「はぁ……ねぇ、お風呂……」
瑞樹の声を無視して控えめな胸を触ると、小さな肩が少しだけ震えた。僕はこのままでも構わなかったが、瑞樹に自然に引っ張られる形で浴室へと入った。瑞樹の髪を濡らさないように気をつけながら全身を洗ってやると、瑞樹は控えめに声を漏らした。身体を洗っているうちに、瑞樹も既に準備が出来ていることが分かった。
僕はその瞬間、心が急激に冷えてゆくのを感じた。
またか、と思った。そして僕は踏みとどまろうと必死だった。またか。冗談じゃない。僕は必死に頭を暴走させようと様々なことを考えたが、心の冷却は止まらず、気がついた時には南極に独りで取り残された観測隊員の様な絶望的な気持ちになっていた。
瑞樹はそれを感じ取ったのだろう。シャワーの湯が頭にかかるのも構わずに跪いて、僕の性器を口に含んだ。唇を出来る限りすぼめて頭を上下に振る。興奮させる為に僕の腰に手を回して、上目遣いで悩ましい視線を送った。普段の凛とした瑞樹を知る者であれば、たまらない光景だろう。
しかし僕は全く反応を返せなかった。
瑞樹は少し諦めた様な表情で僕の性器から口を離すと、背伸びをして僕の耳元に唇を近付けた。
「今日もダメっぽい……?」
「………………うん」
瑞樹は、気にしないでと言いながら僕の首に腕を回してくれたが、僕は絞首台を前にした死刑囚の様な心境だった。やめてくれ、優しくしないでくれと、自分の不出来を責めた。しばらくシャワーを浴びたまま瑞樹に抱かれていると、瑞樹はふっと溜息を吐いて、僕の首にキスをしながら小さな声で言った。
「あれ……しようか」
瑞樹は浴室の壁に背中を着けると、少しだけ怯えた顔をして僕を見た。濡れた髪が数本顔に貼り付いて、妙に艶かしかった。瑞樹に近づく。唇が少し震えていた。目が泳ぎ、僕と目が合うと慌てて逸らす。
「しようよ……好きにしていいから……」
「いいの……?」
僕は自分の声が強い興奮で震えていることを感じた。気がつくと、僕の下半身も同様に興奮していた。瑞樹はそれを見ると微かに笑った。
「うわ、すご……効果覿面…………優しくしてよね」
「うん……」
僕はいい加減に返事をすると、拳を固く握り、瑞樹のスレンダーに引き締まった腹部に埋めた。
「うぶっ?!」
泣き笑いの様な表情を浮かべた瑞樹の顔が一瞬で苦痛に歪み、身体がくの字に折れる。僕は瑞樹の顎を掴んで身体を起こさせると、同じ場所を殴った。
「ふぐうっ! あ……あッ…………ゔうっ!」
何回も拳を突き込んだ後、しばらく抜かないでおく。固い腹筋を通して、柔らかい内臓が蠢くのを感じた。瑞樹が息を吐きだすタイミングを計って、拳を更に押し込む。瑞樹の身体が電気を通された様に跳ねた。一瞬意識が飛んだのだろう。僕に倒れ込む様に、瑞樹の背中が、ふっと壁から離れかけた。僕は瑞樹を壁にめり込ませる様に、瑞樹の鳩尾を抉った。
「ぐぁッ?!」
閉じかけていた瑞樹の目が限界まで開かれる。鳩尾を責められる苦痛は、腹部を責められる苦痛とは質が違う。直接心臓に衝撃を与えられる、命の危機を伴う苦痛。瑞樹が嘔吐くと同時に、粘度の高い唾液が吐き出されて僕の腕にかかった。瑞樹は腰から下が無くなった様に崩れ落ちるが、僕は瑞樹の脇の下に腕を回して無理矢理立たせた。壁にもたれかかる様にして辛うじて立ってはいるが、膝が笑っていて今にも倒れそうだった。
「ぐぷっ……も……無理……ごめ……」
涙の溜まった焦点の合わない目で必死に僕に訴えかける。唇は既に紫色になり、飲み込めない唾液が白い肌の上で光っていた。
「……終わりにするよ」
僕は鳩尾に拳を突き込むと、心臓を潰す様に拳を押し込んだ。そこは固い筋肉に包まれた身体の中で、ぽっかりと空いたクレーターの様に感じた。瑞樹は限界まで口を開いて濁った悲鳴を上げると、僕に倒れ込む様に崩れ落ちた。力が入らないのだろう。床に尻を着けたまま、僕の太腿にもたれかかる様に座り込んでいる。
「口開けて……」
僕は破裂しそうな性器を瑞樹の顔に向けた。瑞樹も朦朧とした意識の中で舌を出す。僕はその上に放った。
続きはAwA様主催の腹責め合同誌「ぽんぽんいたいの×2」にて!
※サンプルは本文の全8ページ中、3ページまでを公開させていただきました。
さて、第1回に続き腹責め合同誌「ぽんぽんいたいの」に参加させていただきました。
今回はいつもと趣向を変えて「リアル系」「一人称」に挑戦してみましたが、これが難しいこと難しいこと……。
主人公の心理描写しか出来ないため、他の登場人物の気持ちが上手く表現出来たか不安ですが、なんとなく感じてもらえることがあればありがたいです。
では、他の参加者様の作品も楽しみにしております。
最後になりましたが、主催のAwA様、お誘いいただきましてありがとうございました!
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主催 AwA(電脳ちょこれーと)
配布日時 8月12日(月)
配布場所 コミックマーケット84夏
スペース 東ア60a(電脳ちょこれーと)
タイトル 腹責め合同誌「ぽんぽんいたいの×2」
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