卯木 紗絵(うつぎ さえ)について

 卯木紗絵の最も新しい写真は、失踪から半年前に撮られた大学の研究室の集合写真である。暗いブラウンに染めたショートヘアに切れ長の目。体つきは定期的にジムに通っているためスレンダーに引き締まっており、整った顔立ちと相まって中性的な印象だ。あまり写真が好きではないらしく、不満そうな表情でカメラのレンズから目を背けている。
 以下は、発見された卯木絵理の日記、テープレコーダーに録音された音声、およびフィールドワークの報告書から要点を時系列順に抜粋したものである。
 後半に行くにつれ、不明確、不可解な表現、音声が散見されるが、原文ママ記載する。また、音声については携帯式のテープレコーダーを使用している。一部相手の許可を得ないで録音したもの、沢井絵理が意図せずボタンを押して録音された音声も含まれている。




・昭和五十九年十二月十八日
 明日のプレゼンテーションで私の将来が決まると思うと、準備はいくらしてもし足りない。まだまだ新しい学問である民俗学。民俗学はオカルト趣味の延長であり、学問ではないと揶揄されたことは何度もある。家族からは一般企業に勤めて、早々に結婚して子供でも作って……とプレッシャーをかけられている。
 冗談じゃない!
 民俗学は自分達のルーツを知るための重要な学問だ。
 私は、私達がどこから来て、どこへ行くのかを知りたい。そしてその答えにつながるヒントは、日本中の歴史や伝承にある。私は生涯をかけて、この永遠のテーマを追求していきたい……。
 そのためには、何としても鷺沢教授の助手にならなければならない。鷺沢教授は最も将来を期待されている民俗学者だ。スポンサーも多く、教授自身も裕福だ。多くの民俗学者達のように、研究の時間を割いて資金集めのためにスポンサー集めに奔走し、頭を下げてまわる必要はないのだ。
 現在、鷺沢教授のゼミには十八人が所属している。
 明日のプレゼンテーションは卒業試験も兼ねているが、それ以上に上位五人に入れば、鷺沢教授の大学院のゼミに入ることができる(大学院に進めばの話だが、当然ゼミ生は全員それを望んでいる)。
 そして鷺沢教授の元で、必ず成果を出し、ゆくゆくは独立する。
 私は自分のしたいことをして生きたい。絶対に。

・昭和五十九年十二月十九日
 最悪な一日だった。
 私はもうダメかもしれない。

・昭和五十九年十二月二十日
 何もする気が起きない。
 撞舞(つくまい)。
 関東地方に伝わる雨乞いや無病息災を祈る神事が現代にも残っている。今では祭りの一部になっているが、以前は飢饉の折、神に捧げられた人柱の名残だったという説がある。その説を裏付ける……まぁ、仕方がない。却下されてしまったという結果は変わらないのだから。

・昭和五十九年十二月二十二日
 昨日は日記をサボってしまった。
 午後五時半。鷺沢教授から電話があった。食事の誘いだった。
 研究室に行くと、呼ばれたのは私だけだとわかり少し狼狽えた。他愛もない話をしてから二人でタクシーに乗り、普段なら入るのを躊躇うほどの高級なレストランに着いた。

「問題なくテープが回っているな。これを持って行きなさい。会話の録音は基本的に相手の許可を取ってからするように。旅費や調査費はこの封筒に入っている。十分な額だとは思うが、足りなくなった場合は連絡をしなさい」
「……本当に、私でよろしいんですか?」
「何がだね?」
「……私は、試験で上位に入れませんでした。これ以上研究室にいられないものだとばかり」
「正直言って、迷っている。確かに研究室には定員があり、君の『撞舞』に関する研究は上位の生徒に比べてやや稚拙ではあった。しかし、フィールドワークは良く出来ていた。将来的に伸びしろがあるとも感じてる」
「……実技試験という訳ですか?」
「そういうことだ」
「でも……一体どのような儀式なのでしょうか? その……『りよなのかね』という奇祭は……?」
「それを確かめるのが君の役目だ。『離れた世の為に撞く鐘』と書いて、『離世為の鐘』。その儀式が今でも行われていたことは間違いないが、実態は全くわからない。奇祭が行われている十二月三十一日、その村は完全に閉鎖される。部外者は村に入れず、村人は村から出ることが出来ない。どのような儀式で、どのような意味があるのかは誰もわからないのだ。もちろん、撮影や取材は全て断られている。しかし、今回は村の内通者と接触が取れた。それなりの金も払った。君はその人の孫という名目で、儀式中の村に入ることになる」
「……責任重大ですね」

 今回の調査は明らかに非公式なものだろう。
 鷺沢教授からは、録音は「基本的に」許可を取ってから行えと言われた。つまり、例外があるということだ。プロ用の超小型カメラを貸してくれたことからも、今回の調査は盗撮、盗聴をしてでも調査を成功させろという指示と受け取っていい。よくある話だ。取材NGの儀式や遺跡などは全国にごまんとある。そして一人に許可が出された場合、他の研究者がこぞって「うちにも許可を出せ」と詰め寄る。あとはスピード勝負だ。少しでも有利になるために、事前に調査を進めておくことは珍しく無い。
 そして……今日は正直言って、教授に抱かれるのではと思った。
 ある種の特別待遇を受けるためには、それなりの代償がいるのは理解している。私自身経験は無かったが、「離世為の鐘」話を聞いた時、覚悟は決めていた。
 しかし、教授にそれとなく話を振った時、教授にその気がないことがわかった。教授は、自分は不能者だと言った。


・昭和五十九年十二月三十日
 東京から仙台駅まで行き、仙台駅から更に電車を乗り継いで二時間半。お尻の痛みが限界になる頃、ようやく目的地の駅に着いた。
 何も無い所だった。目的地の村には、ここからバスでまた長時間揺られることになる。
 鷺沢教授の指示通り駅前の喫茶店に入ると、店の奥に厚手のウールのジャケットを羽織った身なりの良い七十代と思われる男性が座っていた。他の客は五十代と思しき作業着を着た男性。作業着の男性は、私が入っても視線を新聞に落としたままだった。ウールジャケットの男性が、「卯木さんですか?」と聞いてきた。この男性が、鷺沢教授から教えられた「案内役」の鳥巣(とす)氏だった。目的地のバスを待つ間、目的地の村のことを大まかに聞くことができた。

(中略)

「録音ボタンを押しました。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。鳥の巣と書いて、鳥巣と申します。鷺沢さんから話は聞いています。卯木紗絵さんでしたね」
「はい」
「こんな遠くまで、よく来られましたね。お疲れでしょう?」
「ええ、まぁ……。鳥巣さんは、今日私が行く『けうど村』のご出身だと聞いているのですが……」
「そうです。何もない村ですよ。働き口も無ければ、これといった産業も無い。昔は各家が炭を焼いたり、牛を飼ったり、畑を耕したりしてなんとか家族の食う分くらいは賄っておりましたが、私の子供の頃……もう六十年も前ですが、その頃からは若い衆のほとんどが街に出稼ぎに行くようになりました。私も十六歳の頃に親戚のツテを頼って、仙台の工場で働くようになりました。二年前に妻を亡くして……子供も授からなかったので、死ぬなら生まれた村でと戻ったのです。何もなくても、故郷は故郷ですからね」
「わかるような気がします。いかがでしたか? 村に戻られて」
「相変わらず何もなかった……。いや、更に何も無くなってしまっていた。まるで人が過去の記憶を徐々に忘れて行くように……。村の中心にある寺や、古くからの家は残っていましたが、細々としながらも主要産業だった炭を作る炭焼き小屋は一つも残っていませんでした。牛も各家に一頭か二頭いるだけで、以前のように街に売る分まで飼っている家は一軒もありませんでした。今でも、村が残っているのが不思議なくらいです。もしかしたら、あの祭りのご利益かもしれません……」
「離世為の鐘」
「ええ、そうです。離世為の鐘の儀式……あなたが調べたがっている祭りです。鷺沢さんからお話は聞かれていますか?」
「教授も詳細は知りません。それを調べる為に、私が来ました」
「結構……では……おっと、バスが来たみたいですね。詳しくは村に行ってから、住職から話があると思います。宿も住職にお願いして、離れの一室を借りております。あいにく私の家には客間が無いものですから……。あくまでも私の孫ということになっておりますので、ひとつよろしくお願いします」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

 村には街灯がほとんど無く、道路も舗装されていなかった。薄暗がりの中に浮かぶ家は土壁で、屋根は茅葺き。まるでタイムスリップしてしまった様な錯覚を覚える。村は現在では三十数世帯しか住んでおらず、また、そのほとんどが六十歳以上の高齢者だという。もはや過疎という言葉が生易しいほどの、消滅寸前の集落だった。
 バスを降りると、運転手は「また来年」と言った。明日の大晦日から元旦にかけて、離世為の鐘のために村が閉鎖される。当然、バスの運行もストップになる。
 鳥巣さんに案内された寺は、その粗末な村に不釣り合いなほど大きく、そして、奇妙だった。
 門をくぐると、本堂を隠すように大きな梵鐘が目に入った。奇妙な配置だ。参拝する人々はこの梵鐘を迂回しなければ本堂にたどり着けない。また、撞木は本堂に背中を向けて撞く様な配置になっていた。つまり鐘を撞くためには、本堂に尻を向けなければならない。私は何回もポケットから小型カメラを取り出して、鳥巣さんに気付かれないように写真を撮った。
 本堂は村人全員が入れるのではないかと思うほど広かった。そして仏像の代わりに、高さ二メートル、横三メートル程の長方形のガラス板の様なものが安置されていた。
 ここは、寺院なんかではない。
 便宜上「寺」と呼んでいるだけで、全く独自の宗教が信仰されているのだと私は確信した。
 鳥巣さんが本堂で住職の名前を呼ぶと、神経質そうな初老の住職が顔を出した。事情を手短に話すと、鳥巣さんは祭りの準備があるからと言って自転車で帰宅してしまった。
 私は離れに案内され、荷物を置くと例のガラス板が安置されている本堂に来るように指示された。私はあらかじめ準備しておいた予備のカセットレコーダーの録音スイッチを押してから、本堂へと向かった。

「鳥巣さんのお孫さんでしたかな? 名前は何と?」
「鳥巣……紗絵と申します。本日はお泊めいただき、ありがとうございます」
「構いません。このように広い寺ですし、離れは元々客間として造られたものです。昔はあなたの様な村人の家族や親戚が訪ねて来られた際に、離れを使っていただくことは珍しくありませんでした。最近はすっかり減ってしまいましたがね」
「ご自分の家には泊まらずに?」
「ここは貧しい村です。広い家を建てる余裕のある家は一軒もありません。この寺は、村の守り神を祀る為の施設であると同時に、昔の村人達が集会場や共用の宿泊場も兼ねて、金銭を出し合って建立されたと聞いております」
「守り神? その……仏像ではなく?」
「見ての通りです。この透明な板……これが御本尊です。まぁ、とても透明とは言い難いですがね。まるで何年も海の底に沈んでいた難破船の窓ガラスの様に燻んでいますが、大切なものです」
「あ、その……突然で申しわけありませんが、お話を録音させていただいてもよろしいでしょうか?」
「録音ですか?」
「ええ。実は東京の大学で民俗学を学んでおりまして、このような神社仏閣に興味があるんです。このように貴重なお話を聞ける機会がいつあるかわからないので、常にテープレコーダーを持ち歩くようにしています」
「民俗学と言いますと?」
「各地方に残っている伝統や伝承、祭りや儀式等から、現在の生活文化のルーツを考察しようという比較的新しい学問です。祖父からこの村の話を聞いて、ぜひ儀式を観てみたいと思い、伺いました」
「……離世為の鐘を?」
「そうです」
「…………申し訳ありませんが、録音は遠慮していただきたい。儀式のことをあなたに個人的にお話しすることは構いませんが、たとえば録音をされて、それが何らかの方法で不特定多数に広まることは、私はあまり好ましいとは思っていません」
「……わかりました。では、これはスイッチを押さずに置いておきます」
「ありがとうございます。儀式は神聖なものなのです。村人の中にはこのまま村が無くなるなら離世為の鐘で町興しならぬ村興しを……という意見もありますが、私は反対です。不特定多数の者に晒し者にしていいことはあまりありません。儀式は村人と『離世様』の為に粛々と行われれば良いと考えています」
「離世様……ですか」
「御本尊……その板のことです。離世為の鐘は、文字通り離れた世に住まう神様や御仏……我々はまとめて離世様と呼んでいますが……その為に撞く鐘のことです。もっと正確に言えば、離世様に我々の存在を忘れさせないために撞く鐘です」
「忘れさせないため……」
「そうです。今では平仮名表記になっておりますが、元々この村は穢れた人の村と書いて穢人村(けうどむら)と呼ばれていました。穢人村は昔、様々な理由で世間から疎まれ、島流しのような形で各地方から流れてきた人々が集まって作った集落です。今でこそ、わずかな畑や家畜がありますが、昔の穢人村は極貧を極め、毎年のように餓死者が出ていました。当然の話です。穢人村の村人達は何も持っていなかった。祈るべき神や仏も……。あるのは荒れ放題の土地と厳しい気候だけです。しかし村人達には帰る場所がない。穢人村の村人達は雑草を食みながら必死に農地を開拓し、壮絶な苦労をしながら何とか生き残ってきました。その中で自然発生的に生まれたのが、離世様です。神も仏も自分たちを忘れ、見放した。ならばせめて離世様にだけは、自分達の存在を忘れずに覚えておいてほしい。自分達を見捨てないでほしい。だから毎年、年末に鐘を撞いて、離世様に自分達の存在を示すのです。自分達はここにいるぞと……」
「それで……あんな場所に鐘が置かれているのですね」
「そうです。離世様はあの板を通してこちらの世界を見ると言われています。こちらに背中を向けて鐘を撞く奇妙な配置ですが、ちょうど離世様が正面から見られる様に、あの様な配置になっています。正直言って、私には離世様が居るのかどうかなんてわかりません。ですが、離世様の存在が今でも村人達の精神的主柱であることは変わりない。私はそれを……見世物にしたくないのです」

 住職の言う通り、この寺は確かに村人から大切に扱われている。境内の掃除や建物の手入れは隅々まで行き届いている。各村人が当番制で、毎日掃除に来るそうだ。また、住職自身も世襲制ではなく、毎年村の中から選ばれるらしい。次代の住職も決まってはいるが、まだ街へ出稼ぎに行っており当分帰れないだろうと話していた。
 私は、この話を鷺沢教授にどのように伝えようか迷っている。
 現在では貴重な土着信仰が、今でも村人の中心として脈々と受け継がれている。学会でこの話題が知られれば、間違いなく民俗学者はおろか考古学の関係者まで調査に乗り出すだろう。それを歓迎する村人はいると思うが、住職の話す様に信仰を持つ者だけで、静かに信仰を深められればと考える村人も多いはずだ。
 私にその均衡を破るこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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「今…………………………森の中に隠れてる……。    ふふふふ………………。  ふー…………ふー……………。     ひ」


「ふっ……ふっ……ふっ……。嘘でしょ?何であんなにいるの?今までどこに隠れていたの?はっ…はっ…はっはっ…………。怖い……怖い……」
「いたぞ!」
「ひっ!?」


 少しおちついた。かきとめる。もしものことがあるかもしれないから。昭わ5九ねん十二月三目。はなれでかいてた。日記。とびらあいて人人ってきた。たいまつ。ながいぼう。(解読不能)。若い入いっぱいいた。どこかにかくれてたんだ。わたしをみこだと言った。りよなのみこ。かこまれた。にげた。いような(解読不能。雰囲気?)だった。みんな目が光ってた。ギラギラしてた。おそらく、つかまったら、ぎしきに何らかの形で使われるはずだ。りよなのかねのぎしきがどんなものかわからない。たぶんじょ夜のかねと同じだと思っていたけど、ちがうみたい。私はどうなるんだろう。もしつかまったら。(解読不能)。ーーーーーー。(解読不能)。(解読不能)。おちついて。ゆっくりかくの。あたりはまっ暗だし、夜明けもあと何じかんあるかわからない。朝にさえなれば、森にかくれながら逃げられるかな。バスで何時間もかかったけど、二日、三日も歩けば町に出られるかも。けいさつに行かないと。その前に、きょじゅに電語しないと。何かかかないと。おちつかないと。
(以下、同様の内容が繰り返されたため省略)


「……すこし明るくなってきた。まだ村の方が騒がしい……。今のうちに逃げないと……。少しずつ……足音を立てないように……。テープはスイッチを入れっぱなしにして…………(以下、森を進む音がしばらく続く)。大丈夫みたい。だいぶ村から離れた。ひっ!? …………車? ワゴン車? 鳥栖さんが乗っていたみたい……。え? 止まって……? え? え? なんで? なんで一斉にこっちに来るの!?」
「いたぞ! 巫女だ!」
「ひッ!? やっ!? ひッ!?」
「大人しくしろ!」
「やめて! お願い! ゔッ!?」
「気絶させろ。村まで運ぶぞ」
「うぶッ……やめ……ゔぅッ!? お……うぐッ! ごぶッ! ゔッ! んぶッ!? んぐ……ごぶぅッ! あ……ぁ……」
「…………手こずらせやがって」
「まさか逃げられちまうとはな……。しかしまぁ、今年のは特に別嬪さんですね? 鷺沢さん」
「まぁ、私も迷ったがね……。全く将来性の無い学生なら躊躇なく送るんだが、この子は優秀で手放すのが惜しかった。ただ、離世様への捧げ物だ。中途半端な供物は送れんよ……念のためにテープレコーダーに発信機を仕掛けたのは正解だったな」
「流石は、次期住職ですね」
「いつ戻って来られるかわからんがね……。一応薬品を嗅がせておけ。夜まで眠らせておくんだ。また逃げられたら、それこそ取り返しがつかないぞ」



・昭和五十九年十二月三十一日
 私の生徒、卯木紗絵は少しトラブルもあったが、無事に離世の巫女としての責務を果たしてくれた。鐘に縛り付けられ、冷水を浴びせられた彼女は覚醒と同時に悲鳴をあげた。私はテープレコーダーの録音ボタンを押して、その様子を眺めていた。住職が
「これより、離世為の鐘を執り行う。撞き手、前へ」
 と宣言すると、若者が鐘撞堂に上がり、手綱を握った。いつもながら、この瞬間は興奮するものだ。彼女の、普段の強気な表情が、今では恐怖に震えている。自分がこれから何をされるのか理解しているのだろう。そして、それをされるとどうなるのか。それはどの程度続けられるのか。果たして自分は生き残ることが出来るのか……。その全てが表情に表れている。
「やっ……やだっ……やだ……」
 恐怖に引きつった表情の彼女の腹目掛け、撞木が酷くめり込まれた。
「ふぶッ?! ごぉえぇぇぇ!」
 ぼぉんという、重く、くぐもった独特な鐘の音だ。そして、巫女の絶叫が響き渡る。ああ、そうだ。これこそ離世為の鐘の音だ。何度聞いても、魂を揺さぶられる音だ。
「んぶぅッ!? ぐあぁ! や……だぁ……おぼぉッ!?」
 ぼぉん、ぼぉんと撞かれるたびに、巫女の顔は苦痛に歪み、涙と涎にまみれてゆく。さぞ理不尽に思っていることだろう。撞き手が交代し、新たな撞き手が撞木を後ろに引き絞る。
「おぼぉッ?! うぶっ……おおぉぉぉ……」
 巫女の喉が微かに膨れ、胃の内容物がびちゃびちゃと粘ついた音を立てて鐘撞堂の床に落ちた。巫女はこの気温の中脂汗をかいているらしく、額に束になった髪の毛が張り付いている。寝ているうちに着替えさせられた巫女装束は前がはだけ、色白の腹には青黒い内出血の跡がいくつも付いていた。
「ゔぅッ!? ぶぐッ!? や……やめ……お腹…………壊れちゃう…………えぶッ!? おゔッ!?」
 時間にして一時間ほど。巫女の声が徐々に弱くなる。壊れた人形の様に頭を無意味に左右に揺らしながら、うわ言のようなものをつぶやいている。そろそろ限界だろう。住職が指示を出し、数人がかりで撞木を後方に引いている。巫女は朦朧とする意識でもその光景が目に入ったらしく、微かに首を振っている。住職の合図で、限界まで引き絞られた撞木が、巫女の腹にずぶりと突き刺さった。
「や……やめ…………ごぼおぉッ!?」
 鐘の音に混じり、ミシミシという音が聞こえた。巫女の背骨が砕ける音だ。巫女はしばらく天を見上げるように顔を向け、ぷつりと何かが切れたように全身を弛緩させた。住職が巫女に対して経を唱える。首に手をやって脈を確認すると、若い衆を促して巫女を鐘から降ろした。
 住職が儀式の終わりを宣言し、拍手に包まれた。
 私はようやく握りしめたテープレコーダーが汗で濡れていることに気がつき、ハンカチで拭いた、同時に、今年も自分が儀式を観て昂ぶっていることにも気がついた。下着の中が濡れている。下着を二枚重ねで履いてきたことは正解だったようだ。
 興奮が治まるのを待って、私は住職に労いの言葉をかけた。住職は首を振った。
「何度やっても慣れないものですな……見ていた時分にはよかったのですが、いざ自分が主導で執り行うとなると……」
「何を言っておりますか。今回も無事に、離世様に鐘の音を届けられた。同時に、我々の存在も示すことが出来たでしょう」
「しかし鷺沢さん。私が言うのも何ですが、他に方法は無いものですかな。何も命まで……」
「生贄とはまさにそういうものです。『人柱』をご存じでしょう? 僅かな代償を払うことにより、大きな利を得る方法です。昔から行われてきた、いわば文化です」
「ではせめて一思いに……」
「残酷な儀式を好む神々は世界中に見受けられます。何もおかしなことではない。かつて残酷な処刑や拷問が人々の娯楽の一部であった様に、神々も例外ではないのです。むしろ今回は、撞き方が甘かったくらいですよ。こう言っては何ですが、とどめを刺すのがいささか早すぎた」
「あなたは……自分自身この儀式を楽しんでいる……そうでなければそのような発言はしないはずだ」
「否定はしません」
「それで、撞き方が甘かったと……?」
「私にとっては」
「では、離世様も満足されてはいないということでしょうか?」
「それは私にもわかりません。しかし先も申し上げた通り、鐘の音は確かに届けられた」
「……鐘の音に満足されたかは、直接聞いてみないとわからないということですか」
「まぁ、そうなりますな。聞くことが出来ればの話ですが……



























いかがでしたか? 離世様?」