ありがたいことに、普段仲良くしていただいている宮内ミヤビさんが二次創作をして下さっています。
現在物語が佳境であり、自分としても続きが本当に楽しみです。
是非こちらからご覧下さい。


また、自分としてもキャラ動かしの練習を兼ねて前日譚的なものを書いてみましたので、お時間があればご覧ください。
※腹パンやリョナはありません







 レイズ・バーは東京駅に直結している会員制の店で、その好立地に反して客の入りはまばらだった。人気が無いのかと思いきやどうやら完全予約制で、他の客との距離にゆとりを持たせるために一日の客数を制限しているらしい。
 サンローランの黒いタイトスーツを着た鷹宮美樹はソルティードッグのグラスを傾けながら店内を見回した。
 豪奢なテーブル席がメインで、一面ガラス張りの眼下には東京駅が見える。
 一人客は自分しかいないようだ。
 ほとんどが二人連れか四人連れで、年齢層は高め。男性も女性もかなり身なりが良い。騒いでいる客は皆無で、客たちは静かに話をしたり声を出さずに笑ったりしている。
 どうにも居心地が悪い、と美樹は思った。
 任務とはいえ、年齢を偽ってバーで酒を飲むなど今までしたことがない(もっとも酒を飲めとは言われていないのだが)。店の雰囲気を見るに、紹介さえあれば誰でも入れる名ばかりの会員制ではなく、料金でもふるいをかけているのだろう。いきがった勤め人や学生は一人もいなかった。
 空になったソルティドッグのグラスをコースターの上に置きながら、美樹は任務を頭の中で思い返した。
 ある男が人妖ではないかとの疑いをかけられている。
 人妖とは人間を栄養源とする怪物だ。恒久的に栄養源を得るため、目立った行動を嫌う性質がある。しかしその男は他の人妖とは違い、日本のウイスキーメーカーの代表を務めている。当然おいそれと会える人物ではなく、疑う材料はあるものの決定的な証拠に欠けるため、最終手段として囮として近づき人妖の特徴である「獲物を見つけた時に縦に裂ける瞳孔」を直接目視することになった。人妖でなければそれでめでたし。だが仮に人妖であった場合、当然至近距離で対峙することになるため今回の任務では美樹に白羽の矢が立った。
「失礼致します。例のものをお持ちしました」店の中央で丁寧にアドリブを弾いていたピアニストが交代すると同時に、疲れた表情のバーテンダーはうやうやしく一本のウィスキーボトルをカウンターの上に置いた。ラベルにはタロットカードの「皇帝」の絵柄が描かれている。バーテンダーは愛おしそうにそのボトルを撫でると、慣れた手つきで栓を抜き、足つきのショットグラスに慎重に注いでコースターの上に置いた。そして投げ込んだ石が作った池の波紋が落ち着くのを待つようにじっとウイスキーを見つめてから、隣のコースターに置かれたグラスに水を注いだ。「こちらがレイズモルトのタロットシリーズ、『皇帝』になります。当店にいらっしゃるお客様の中でも、ご指示がなければお出しすることはありません。特に貴女の様な若い方でこれを口にできるのはかなり幸運なことかと思います。正規のルートではない、いわゆるプレミア価格では数十万円に達することもあります。それでも、飲みたいという方が多いのです」
 バーテンはそう言うと、カウンター越しに座っている美樹を見た。綺麗に梳かれた艶のある長い黒髪が凛とした顔つきと見事に調和している。ソルティードックを二杯ほど飲んだ後のせいか、その顔はわずかに赤みを帯びていた。美樹はアメジストの様な瞳で少量注がれた琥珀色の液体をじっと見つめる。
「なるほど……」美樹はグラスをそっと持ち上げて、口の窄まった縁に鼻を近づけた。「素晴らしい香りだ。すまないが、一人でゆっくりと楽しみたい。申し訳ないが……」
「もちろんです。私もできることなら味わってみたいものです。では、ごゆっくり……」
 バーテンが静かに美樹の前から離れると、音楽が少し大きくなった様に感じられた。美樹は少し迷ったが、ウィスキーを少量口に含んだ。飲まない方がいいと言われてはいたが、そこまで絶賛されるほどのものであれば味わってみたい。舐めるような量だったが、プレミア価格で何十万というそのワインはアルコールの刺激が舌を刺す荒々しいもので、香りや甘みは影に隠れてしまっている。美樹はかすかに眉間に皺を寄せ、チェイサーを流し込んだ。
 なんだこれは。
 バーテンを追い払うために香りが良いと世辞を言ったものの、香りも味も好みでは無い。美樹はどちらかといえば下戸な方で、ウイスキー自体にそもそも明るくないが(そもそも未成年なのだが)、これなら数千円で売っているスコッチの方が好みだと思った。こんなものを有難がって数十万の金を払って手に入れる物好きがいるとは信じ難い。
 美樹は自分にしか聞こえない大きさで溜息を吐くと、軽くグラスを押しやった。バッグからショートホープを取り出す。一瞬スーツにタバコの匂いをつけるのもどうかと思ったが、そうせずにはいられなかったのだ。スーツは今日の任務のために組織から支給されたものだし(任務が終われば美樹のものになる)、バーのカウンターに座って目の前の酒に手をつけずにぼうっとしているわけにはいかない。何よりさっきのバーテンに飲まないのかと言われるのも面倒臭かった。
 ターゲットが現れる様子は無い。
 本当に居心地が悪い。
 任務でなければすぐにでも帰りたかったし、自分一人では到底上手くこなせるとは思えない。頼みの綱の助っ人の到着も遅れている。美樹は短くなったタバコを灰皿に押し付けると、続けざまに二本目を取り出した。


「すみません、遅くなりました」
 美樹が四本目のショートホープを灰にした頃、軽く息を弾ませながらようやくシオンがバーの中に入ってきた。肩を出したディオールの黒いワンピースドレスに、真っ白い肌と腰まである長い金髪が映えていた。バーの入口に立ってる店員がずっとシオンを目で追っている。シオンも普段とは違うやや濃いめのメイクをしているため、二十代前半には見えた。
「遅かったじゃないか」と、美樹が灰皿にタバコを押し付けながら言った。
「無茶を言わないでください。許可を取るのが大変だったんですから」美樹の隣に座りながら、シオンが軽く頬を膨らませた。「そもそも今回の任務は美樹さんが受けたものではないですか。複数の上級戦闘員が同一箇所の任務を遂行するのは基本的に禁じられているのはご存知ですよね?」
「ああ、確かターゲットが思わぬ強敵だった場合や、なんらかの事故があった場合に犠牲を最小限にするためだろう。任務以外でも、移動や宿泊は全て個別に行うことが原則だったな」
「そこまでわかっているのなら、今回の許可を取り付けるのがどんなに大変だったかわかりますよね?」
 シオンがぐいと顔を近づけ、美樹の鼻の頭を人差し指で軽く押しながら言った。どうやら本当に大変だったらしい。美樹がわかるさ、と言いながら鼻を押しているシオンの人差し指を握ってテーブルの上に下ろした。
「悪かった。だが、来てくれて助かった。今回の任務はどう考えても私は適任じゃない。どうせ見た目や雰囲気だけで選ばれたんだろう」
「任務の振り分けはAIも関与していますから、適性が無いということは無いはずですが……」
「だがどう考えてもお前の方が適任だ。支配系の人妖の調査にはオペレーターではなく戦闘員が行うことは珍しくない。私も何回か駆り出されたことがある。だが、今日の様に接触が伴う調査は苦手だ。お前みたいに愛想を振りまいたり、誰とでも話を合わせられる豊富な話題を持ち合わせていたりしたのなら、バーテンひとりあしらうのに気を揉む必要もなかった。そしてそもそも私は酒に強くはない。お前は国柄的におそらくザルだろう。たぶん」
「それは人種的偏見というものです」
 再びシオンが唇と尖らせながら美樹の鼻を押した。
「すまない、酒が入っているんだ。少し口が軽くなっている。私が下戸なのは知っているだう?」
「えっ? 飲んだんですか? もう、任務中だというのに……あら?」
 シオンがカウンターの奥に目をやった。バーテンダーがおしぼりを持ったまま会話が途切れるタイミングを待っている。シオンがにこりと笑って会釈をすると、バーテンダーはようやくゼンマイを巻かれた人形のように動き出した。
「……失礼致します。先ほどおっしゃっていた御連れ様ですね。メニューはこちらになりますので、お決まりになりましたら……」
「ありがとうございます。すみません騒いでしまって……まぁ、これは」シオンがおしぼりを受け取りながら、カウンターの上のボトルに目をやった。ふっ、と一瞬シオンの目が細くなる。それは美樹がなんとか気付くくらいの僅かな変化であり、それがシオンの仕事の顔であることを美樹は知っていた。「レイズモルトのタロットシリーズ! 実物を見たのは初めてです!」
「ご存知ですか。おっしゃる通り、レイズモルトのタロットシリーズの一本。世界で二百本ほどしかありません。天才醸造家、薊冷士(あざみ れいじ)氏の産み出した傑作モルトです。卓越した類稀なる技術により、一度飲んだだけではその魅力に気がつくことは難しいですが、まるで麻薬のように虜になる人も多く、数少ないボトルは世界中で奪い合いになっております」
 まるで自分の手柄のようにバーテンダーが言った。シオンの見た目と仕草を見て、心なしか得意げになっているようだ。シオンも自分の口の前で手の平を合わせながら、ウイスキーの製法について話をしている。本当にこいつを呼んで良かったと美樹は思った。おそらくバーテンダーの目にシオンは、日本語が上手くて酒に詳しく、美人で愛想の良い外国人に映っているのだろう。
 シオンが未成年で普段は全く酒を飲まず、レイズモルトの存在を知ったのも美樹が調査同行を頼んだ数日前で、ウイスキーの知識もおそらくそのタイミングで調べたものだと知ったらどんな顔をするだろうか。
「では、レイズモルトの製法はほとんど秘密なのですか?」と、シオンが驚いたような表情で言った。
「そうです。糖化や発酵、蒸留までは社員が行いますが、熟成から瓶詰め直前の段階において薊氏は醸造所から自分以外の社員全員を締め出して一人で醸造所に篭ることがあるとか。一般的な製法であれば熟成の段階で何らかの手を加えることは本来無いのですが、このステップが薊氏の作るレイズモルトがレイズモルトたる所以であると言われております。いやはや、醸造所の中で一体何が行われ、どのような魔法が使われているのか……」
「魔法だなんて、なんてロマンチックなのでしょう……」
 シオンの目が輝いている。バーテンダーの得意顔を見て、美樹はタバコが吸いたくなった。
「そろそろ召し上がってはいかがですか? せっかくの機会です。魔法を味わってみては……」
「……ええ、いただきます」シオンが宝物を抱くようにグラスに口をつけた。少量を口に含み、上品な仕草でハンカチで口元を押さえながら舌の上で転がしている。「はぁ……なんて個性的で素晴らしいのかしら。男性的で逞しく芯がある力強さがありながら、魔女の悪戯の様なスパイスも感じられる……こんなウイスキーが存在したなんて」
「一口ではその癖の強さから全てを理解するのが難しいですが、そのグラスを飲み終えることにはきっと虜になっていると思います」
「魔法にかかってしまうわけですね……薊冷士さん、一体どんな方なのかしら。出来ることならお会いして見たいものですね。きっと素敵な方なんでしょう……」
 シオンが手を組みながらうっとりと言うと、バーテンダーが思わせぶりに咳払いをした。
「……もしかしたら、お会いできるかもしれません」
「まぁ、本当ですか?」
「ええ、表には出していないのですが、このバーの名前の通りと言いますか……オーナーが薊冷士氏その人なのです。本日も奥のプライベートルームにいらっしゃいます。内密にしていただけるとお約束していただけるのなら、お時間があるか聞いてみますので……」
「もちろんです! ぜひよろしくお願いいたします」
 バーテンダーが店の奥に引っ込むと、シオンはグラスの水を飲んだ。
「どうだった? そのお高いウイスキーは?」と、美樹が聞いた。
「お酒のことはよくわかりませんが、好みではないですね……。ただ、味のバランスが崩れているような気がします。絶賛されるほどのものでは……」
「だろうな」
「美樹さんも?」
「ああ、良くはない思う。他の一般的なウイスキーの方が好みだ。バーテンも言っていただろう? 癖はあるが、なぜか虜になる……と。乱暴に言い換えると、美味くはないがなぜか飲みたくてたまらなくなる……と言うことだ」
「……とんだ魔法使いもいたものですね。予想が当たっていないことを祈っていたのですが」シオンが先ほど口元を押さえていたハンカチを取り出す。中心が薄い青色に染まっていた。「おぞましいことを考えるものですね」
「それは?」
「開発途中のチャームの検査薬です。正確さはまだ確かではありませんが、一応黒ですね……」
「……似たような話があったな。ラーメンに麻薬を入れて通い詰めさせるという」
「やめて下さい。チャーム入りのウイスキーに比べたら、麻薬入りのラーメンの方がマシかもしれません」
「違いないな。ん……白黒がはっきりしたら、早く帰りたかったんだが」
 背後を向いた美樹の視線の先をシオンが追う。上等なスーツに身を包んだ男が足音も無くこちらに歩いてきた。両手で大事そうに一本のボトルを持っている。
「失礼。私のウイスキーを気に入っていただけたようで、ありがとうございます」男が恭しく頭を下げた。「薊冷士と申します。あなた方のような若く、そして美しい方々に気に入っていただけるとは光栄です。この『逆位置ラベル』はいわゆるプライベートストックで、私が個人的に親しい関係の方にしかお譲りしていません。本日の素晴らしい出会いを記念して、一本差し上げましょう」
 薊は目つきが鋭く常に笑みを浮かべ、自他共に自分の能力を認めているという雰囲気の男だった。上品な香水の香りと共に差し出したボトルには、逆位置になったタロットカードの法王の絵柄が描かれている。
「まぁ、そんな貴重なものいただけません……」シオンが立ち上がり、軽くスカートの裾をつまんで頭を下げた。
「気にしないで下さい。特にと思った方には必ず差し上げるようにしているのです。よろしければ奥に自室がありますので、この出会いに乾杯しませんか?」
「すみません。パートナーと部屋を取っていますので、これで失礼します。あいにく二人とも下戸なものですから」
 美樹がシオンの肩を抱きながら言った。シオンが少し目を大きく開いて美樹を見る。
「これは失礼。では、このボトルはお持ちください。このボトルを飲んでまた私を思い出していただけたら、いつでもお越し下さい」
「ええ、近いうちにお会いできると思います」
 美樹の言葉に薊は笑みを浮かべると、カウンターの上にボトルを置いて踵を返した。カウンター横の扉を開けて、バーの奥のプライベートルームに戻る。豪奢な調度品の他に、クイーンサイズのベッドやバーカウンターまで備えられている。室内には上品な香りが漂い、間接照明が効果的に使われた趣味のいい部屋だ。薊は葉巻に火をつけると、携帯電話を取り出した。
「ああ、私だ。次のターゲットだが……」