2月25日(日)のりょなけっとに参加させていただきます。 新刊はまだ制作途中ですが、下記のような雰囲気で綾が上級戦闘員になりたての頃の話を書きたいなと思いますので、興味がありましたらよろしくお願いいたします。
ガソリンと排気ガスの混ざった匂いがした。
その匂いは歩道を歩いている神崎綾のすぐ脇に連っている、渋滞した車から吐き出されている。
車は酷い渋滞で歩行者が悠々と追い越せるほどの速度でしか進んでおらず、乗っている人達は皆険しい顔をしていた。
綾はそれらを横目に見ながら、厚手のダッフルコートのポケットに手を入れて歩道を歩いている。さっきから何回も肩がぶつかり、小柄な綾はその度に身体がよろけた。
二月の夜の冷たい空気に綾の吐く息が白く溶けていく。
イヤホンからはオペレーターの定期的な指示が飛んでくる。現場は近いらしい。
「その横断歩道を渡ったら右手に見える路地に入ってください。綾さんから見て二時の方向の、薬局とアイスクリーム屋の間の路地です」
「なんだか……ものすごく暗いんだけど……」眉をハの字に下げながら綾が言った。その路地は綾が言う通り人工的な光に包まれたメイン通りとは対照的に闇が深く、奥には青や赤の毒々しい光がうっすらと浮かんでいた。「これ、任務以前に私補導されないかな? あきらかに未成年が入っちゃいけないところだよね……?」
「まぁ……綾さんみたいな人は、普通はあまり入らないですね」と、イヤホンからオペレーターの少し困った声が響く。
「いや、わかってるよ。ここまで来て引き返すつもりなんて全く無いし。上級戦闘員になって初めての任務だから絶対成功させたいし。ただ、今日ばかりは他の服にした方が良かったかなぁって……」
と言いながら、綾は路地と自分の服装を交互に見た。ダッフルコートの裾からは茶色いプリーツスカートが覗いている。明らかに学校の制服のそれで、綾は誰が見ても部活か塾を終えた下校中の生徒に見えた。実際、綾はダッフルコートの下に白と茶色を基調としたセーラー服を着ている。それも半袖の夏用だ。これは制服ではなく自分の所属する組織の戦闘服なのだ、と言っても誰も信じないだろうし、そもそも戦闘服とは何かと聞かれたら返答に困る。仮に本当のこと……自分は人間を糧にする怪物、人妖(ジンヨウ)と戦う組織の戦闘員であり、これから人妖退治を遂行しに行くのだ。この格好は動きやすさとモチベーションを上げるために自分の好みで選んだものであり、決して自分の学校の制服ではない。そもそも自分の母校はブレザーなのだと言ったところで状況は悪化するばかりだ。そして目の前の暗い路地の奥にはラブホテルや性風俗店のネオンが怪しく光っている。セーラー服を着た女子生徒が夜中に通る道ではない。
「援助交際している不良女子高生みたいな雰囲気出していけばいいのかなぁ。誰か適当な男の人捕まえて……」
「綾さん、そんなことできるんですか?」
「……たぶん無理。逆ナンなんてしたこと無い」
「そもそも彼氏居たことも無いですもんね。モテそうなのに」
「それは余計なこと。まぁ、思い切って行くしかないか。いざとなったら走って逃げ……あっ」
突然、綾にスーツを着たサラリーマン風の男がぶつかってきた。不意のことで、綾は小さな悲鳴を上げてよろけた。
「おーっと、ごめんよ!」
男はわざとらしくふらつきながら、よろける綾を追いかけて覆いかぶさるように抱きついた。近距離で吐かれた男の息は、酒と生臭い食物が混ざり合った堪え難い臭いがした。
「ちょッ?! 何すんのよ!」
身体を駆け上がってきた不快感から、綾は反射的に男を突き飛ばした。男は酷く酔っ払っているらしく、バランスが取れずに壊れた玩具の様に足をばたつかせながら後方に下がり、尻餅をつく直前に仲間らしき男二人に支えられた。
もともと強気な顔つきの綾が歯を食いしばって噛みつきそうな表情をするとそれなりに凄みがある。突き飛ばされた男と仲間にさっと緊張が走った。
「まぁまぁまぁ! 本当にごめんなさい。この人ちょっと酔っ払っちゃって」と、汚い眼鏡と汚いフリースを身につけた学生風の男が駆けてきた。体格はラグビー選手のように大きかったが、表情は怯え切っており、両方の手の平を綾に向けながら必死に謝罪や言い訳の言葉を早口でまくしたてている。ぶつかってきたサラリーマン風の男は濁った目で綾をじっと見続けている。サラリーマン風の男の中年太りと言う言葉では片付けられないほど病的に突き出た腹が、スラックスからだらしなくはみ出たワイシャツを押し広げている。よく見るとそのスーツは季節に合っていない春夏用の薄い生地のもので、ところどころ擦り切れていた。その男を、頭の側部と後方以外の髪の毛が無くなった中年の男が支えている。目をぎょろりと見開き、血色が悪い焦げ茶色の唇が醜く窄まっていた。思わぬ反撃に遭い驚愕しているのかもしれないし、最初からこんな顔なのかもしれない。
「本当にすみません! この通り謝りますから、酔った出来事として勘弁して頂ければ……。さ、もうすぐ待ち合わせ時間ですから行きましょう。『紅の探求者』さん、『一匹蛙』さんを起こしてあげて下さい」
紅の探求者と呼ばれたハゲ頭が、一匹蛙と呼ばれたサラリーマン風の男を抱える様に立ち上がり、綾が向かう予定の路地に向かって歩き出した。一匹蛙は濁った目で綾を睨む様に見続けている。学生風の男はその背中をさする様にしながら、綾を振り返って何度か頭を下げた。
「何あれ……」綾は眉を寄せたまま、誰に言うでもなく呟いた。ぶつかった衝撃か、イヤホンからは小さなノイズが流れている。やがて霧が晴れる様にノイズが消え、「大丈夫ですか?」とオペレーターが心配そうに言った。
「あ、うん、ちょっとトラブル。少し絡まれただけだから。ただ、変な男達が先に路地に入って行っちゃった。この後私が行くと後をつけてるいみたいでやだなぁ……」
「変な男達?」
「三人組で、若い男が一人と、オジサンが二人。ハンドルネームみたいな名前で呼んでいたから何かのオフ会の帰りかも……」
お世辞にも華やかとは言えないし、そもそも繋がりが全く見えない連中だった。相当酒も飲んでいる様子であったし、路地の奥に消えて行ったことからこの後の行動が容易に想像できる。酒を飲みながらどの様な会話をしていたのか、あまり内容を想像したくない。
綾は一呼吸置くと、気持ちを入れ替えて路地に向かった。
わかっていたとはいえ、客引きや通行人が不思議そうな顔で綾を見る。綾はなるべく通りの端を、家に帰るための近道なのだという風を装って歩いた。思いの外帰宅が遅くなったので、普段は通らないこの道を仕方なく歩いているのだという様に。幸い、声をかけられることは無く、警察の姿も見えなかった。
ふと、自動販売機の前にたむろしている先ほどの三人の姿が見えた。三人は飲み物も買わず、輪になって談笑している。てっきりどこかの店に入ったとばかり思っていた綾は心の中で舌打ちをして、携帯電話を弄るふりをして電柱の陰に隠れた。適当に電話帳を開き、早くどこかへ行けと念じながら男達を見る。三人は笑みを貼り付けたまま、身振り手振りで大げさに話している。何をそんなに嬉しそうに話しているのか。
綾はオペレーターに断ってから通信を切ると、男達の近くの塀に向かって集音マイクを投げた。それはビー玉程度の大きさで、スポンジの様な素材に包まれているので何かにぶつかっても音がしない。そして衝撃が加わると粘着質のゲルが出て壁や地面に貼り付く。集音マイクは無事に男達の近くの塀に貼り付き、周波数を合わせた綾のイヤホンから声が聞こえてきた。
「いやぁ……それにしても今だに信じられないですよ。一匹蛙さんや紅の探求者さんと出会うまでは、ずっと独りで苦しんでいましたから」
「そ、それはこちらも同じですよ『りっぴー』さん。ここ、この出会いはまさに奇跡です。同じ苦しみを抱えるもの同士、そ、相互補助の精神は欠かせない。た、ただ、残念ながら我々の様な存在の母数は少ない……。大っぴらに正体を明かすことは、ままま、まず出来ないですからね」
「失礼、吐いてスッキリしました。再会が嬉しくてつい飲みすぎまして……。へへ、紅の探求者さんが言った通り、同じ問題を共有するこの同志達の結束は何よりも強いものです。エリートどもは難なく欲望を満たし、餌を採れるというのに、我々はその『おこぼれ』にあずかることも出来やしない。持って生まれた者と、何も持たずに生まれた者の差のなんと悲しく残酷なことか……」
「まぁまぁ、暗い話をしても始まりません。とにかく今は相互補助できる幸運に感謝しましょう。これから仲良く『餌』を分け合うんですから……」
何の話をしているのだろうと綾は思った。
話し振りから何か後ろ暗い内容であることは理解できたが、どうにも回りくどい言い方で気持ちが悪い。ただ、「餌」という単語に嫌な予感が湧き上がった。人妖は人類の異性との粘膜接触によって養分を得る。そして人妖の中には人類を「餌」と呼称する個体が少なくない。
「おっと、噂をすれば餌が来ましたよ……」と、りっぴーと呼ばれた学生風の男が小声で言った。
他の二人の男と綾がその視線の先を追う。
暗い路地から女の子……おそらく十代前半と思しき少女が男達に向かって歩いてきた。
少女は肩に着くくらいの長さの綺麗な黒髪で、黒づくめのロリータファッションを見に纏っている。顔つきは整っているが、怯える様な表情で俯いたまま歩いていた。唇をキュッと結び、どこか悲壮感を漂わせている。
「やあやあ『ありす』ちゃん! また会ったね」
りっぴーが走ってくる我が子を受け止める時の父親の様に腕を広げたが、「ありす」と呼ばれた少女はそれを無視して、俯いたまま男達の輪の中に入り「あまり見られると……」と消えるような声で言った。綾の表情に不安の色が浮かぶ。
「あああ、相変わらずせっかちだなぁ。ま、わわ、私達もこんな所で、きき、君みたいな女の子連れ回していたら、い、いつ職質されるかわからないから別にいいんだけどどど……」
「最終的にはどうせ”する”んだから早めに行きますか。本当はありすちゃんとの再会を祝して二次会でも行きたいところですが、コンビニで酒を買って部屋で飲んだ方が何かと楽そうだ」
男達が「ありす」を囲む様にして路地の奥へ移動し始めた。綾はイヤホンの周波数を切り替えると、気がつかれない様に男達を尾行しながらオペレーターに簡潔に状況を伝えた。
ガソリンと排気ガスの混ざった匂いがした。
その匂いは歩道を歩いている神崎綾のすぐ脇に連っている、渋滞した車から吐き出されている。
車は酷い渋滞で歩行者が悠々と追い越せるほどの速度でしか進んでおらず、乗っている人達は皆険しい顔をしていた。
綾はそれらを横目に見ながら、厚手のダッフルコートのポケットに手を入れて歩道を歩いている。さっきから何回も肩がぶつかり、小柄な綾はその度に身体がよろけた。
二月の夜の冷たい空気に綾の吐く息が白く溶けていく。
イヤホンからはオペレーターの定期的な指示が飛んでくる。現場は近いらしい。
「その横断歩道を渡ったら右手に見える路地に入ってください。綾さんから見て二時の方向の、薬局とアイスクリーム屋の間の路地です」
「なんだか……ものすごく暗いんだけど……」眉をハの字に下げながら綾が言った。その路地は綾が言う通り人工的な光に包まれたメイン通りとは対照的に闇が深く、奥には青や赤の毒々しい光がうっすらと浮かんでいた。「これ、任務以前に私補導されないかな? あきらかに未成年が入っちゃいけないところだよね……?」
「まぁ……綾さんみたいな人は、普通はあまり入らないですね」と、イヤホンからオペレーターの少し困った声が響く。
「いや、わかってるよ。ここまで来て引き返すつもりなんて全く無いし。上級戦闘員になって初めての任務だから絶対成功させたいし。ただ、今日ばかりは他の服にした方が良かったかなぁって……」
と言いながら、綾は路地と自分の服装を交互に見た。ダッフルコートの裾からは茶色いプリーツスカートが覗いている。明らかに学校の制服のそれで、綾は誰が見ても部活か塾を終えた下校中の生徒に見えた。実際、綾はダッフルコートの下に白と茶色を基調としたセーラー服を着ている。それも半袖の夏用だ。これは制服ではなく自分の所属する組織の戦闘服なのだ、と言っても誰も信じないだろうし、そもそも戦闘服とは何かと聞かれたら返答に困る。仮に本当のこと……自分は人間を糧にする怪物、人妖(ジンヨウ)と戦う組織の戦闘員であり、これから人妖退治を遂行しに行くのだ。この格好は動きやすさとモチベーションを上げるために自分の好みで選んだものであり、決して自分の学校の制服ではない。そもそも自分の母校はブレザーなのだと言ったところで状況は悪化するばかりだ。そして目の前の暗い路地の奥にはラブホテルや性風俗店のネオンが怪しく光っている。セーラー服を着た女子生徒が夜中に通る道ではない。
「援助交際している不良女子高生みたいな雰囲気出していけばいいのかなぁ。誰か適当な男の人捕まえて……」
「綾さん、そんなことできるんですか?」
「……たぶん無理。逆ナンなんてしたこと無い」
「そもそも彼氏居たことも無いですもんね。モテそうなのに」
「それは余計なこと。まぁ、思い切って行くしかないか。いざとなったら走って逃げ……あっ」
突然、綾にスーツを着たサラリーマン風の男がぶつかってきた。不意のことで、綾は小さな悲鳴を上げてよろけた。
「おーっと、ごめんよ!」
男はわざとらしくふらつきながら、よろける綾を追いかけて覆いかぶさるように抱きついた。近距離で吐かれた男の息は、酒と生臭い食物が混ざり合った堪え難い臭いがした。
「ちょッ?! 何すんのよ!」
身体を駆け上がってきた不快感から、綾は反射的に男を突き飛ばした。男は酷く酔っ払っているらしく、バランスが取れずに壊れた玩具の様に足をばたつかせながら後方に下がり、尻餅をつく直前に仲間らしき男二人に支えられた。
もともと強気な顔つきの綾が歯を食いしばって噛みつきそうな表情をするとそれなりに凄みがある。突き飛ばされた男と仲間にさっと緊張が走った。
「まぁまぁまぁ! 本当にごめんなさい。この人ちょっと酔っ払っちゃって」と、汚い眼鏡と汚いフリースを身につけた学生風の男が駆けてきた。体格はラグビー選手のように大きかったが、表情は怯え切っており、両方の手の平を綾に向けながら必死に謝罪や言い訳の言葉を早口でまくしたてている。ぶつかってきたサラリーマン風の男は濁った目で綾をじっと見続けている。サラリーマン風の男の中年太りと言う言葉では片付けられないほど病的に突き出た腹が、スラックスからだらしなくはみ出たワイシャツを押し広げている。よく見るとそのスーツは季節に合っていない春夏用の薄い生地のもので、ところどころ擦り切れていた。その男を、頭の側部と後方以外の髪の毛が無くなった中年の男が支えている。目をぎょろりと見開き、血色が悪い焦げ茶色の唇が醜く窄まっていた。思わぬ反撃に遭い驚愕しているのかもしれないし、最初からこんな顔なのかもしれない。
「本当にすみません! この通り謝りますから、酔った出来事として勘弁して頂ければ……。さ、もうすぐ待ち合わせ時間ですから行きましょう。『紅の探求者』さん、『一匹蛙』さんを起こしてあげて下さい」
紅の探求者と呼ばれたハゲ頭が、一匹蛙と呼ばれたサラリーマン風の男を抱える様に立ち上がり、綾が向かう予定の路地に向かって歩き出した。一匹蛙は濁った目で綾を睨む様に見続けている。学生風の男はその背中をさする様にしながら、綾を振り返って何度か頭を下げた。
「何あれ……」綾は眉を寄せたまま、誰に言うでもなく呟いた。ぶつかった衝撃か、イヤホンからは小さなノイズが流れている。やがて霧が晴れる様にノイズが消え、「大丈夫ですか?」とオペレーターが心配そうに言った。
「あ、うん、ちょっとトラブル。少し絡まれただけだから。ただ、変な男達が先に路地に入って行っちゃった。この後私が行くと後をつけてるいみたいでやだなぁ……」
「変な男達?」
「三人組で、若い男が一人と、オジサンが二人。ハンドルネームみたいな名前で呼んでいたから何かのオフ会の帰りかも……」
お世辞にも華やかとは言えないし、そもそも繋がりが全く見えない連中だった。相当酒も飲んでいる様子であったし、路地の奥に消えて行ったことからこの後の行動が容易に想像できる。酒を飲みながらどの様な会話をしていたのか、あまり内容を想像したくない。
綾は一呼吸置くと、気持ちを入れ替えて路地に向かった。
わかっていたとはいえ、客引きや通行人が不思議そうな顔で綾を見る。綾はなるべく通りの端を、家に帰るための近道なのだという風を装って歩いた。思いの外帰宅が遅くなったので、普段は通らないこの道を仕方なく歩いているのだという様に。幸い、声をかけられることは無く、警察の姿も見えなかった。
ふと、自動販売機の前にたむろしている先ほどの三人の姿が見えた。三人は飲み物も買わず、輪になって談笑している。てっきりどこかの店に入ったとばかり思っていた綾は心の中で舌打ちをして、携帯電話を弄るふりをして電柱の陰に隠れた。適当に電話帳を開き、早くどこかへ行けと念じながら男達を見る。三人は笑みを貼り付けたまま、身振り手振りで大げさに話している。何をそんなに嬉しそうに話しているのか。
綾はオペレーターに断ってから通信を切ると、男達の近くの塀に向かって集音マイクを投げた。それはビー玉程度の大きさで、スポンジの様な素材に包まれているので何かにぶつかっても音がしない。そして衝撃が加わると粘着質のゲルが出て壁や地面に貼り付く。集音マイクは無事に男達の近くの塀に貼り付き、周波数を合わせた綾のイヤホンから声が聞こえてきた。
「いやぁ……それにしても今だに信じられないですよ。一匹蛙さんや紅の探求者さんと出会うまでは、ずっと独りで苦しんでいましたから」
「そ、それはこちらも同じですよ『りっぴー』さん。ここ、この出会いはまさに奇跡です。同じ苦しみを抱えるもの同士、そ、相互補助の精神は欠かせない。た、ただ、残念ながら我々の様な存在の母数は少ない……。大っぴらに正体を明かすことは、ままま、まず出来ないですからね」
「失礼、吐いてスッキリしました。再会が嬉しくてつい飲みすぎまして……。へへ、紅の探求者さんが言った通り、同じ問題を共有するこの同志達の結束は何よりも強いものです。エリートどもは難なく欲望を満たし、餌を採れるというのに、我々はその『おこぼれ』にあずかることも出来やしない。持って生まれた者と、何も持たずに生まれた者の差のなんと悲しく残酷なことか……」
「まぁまぁ、暗い話をしても始まりません。とにかく今は相互補助できる幸運に感謝しましょう。これから仲良く『餌』を分け合うんですから……」
何の話をしているのだろうと綾は思った。
話し振りから何か後ろ暗い内容であることは理解できたが、どうにも回りくどい言い方で気持ちが悪い。ただ、「餌」という単語に嫌な予感が湧き上がった。人妖は人類の異性との粘膜接触によって養分を得る。そして人妖の中には人類を「餌」と呼称する個体が少なくない。
「おっと、噂をすれば餌が来ましたよ……」と、りっぴーと呼ばれた学生風の男が小声で言った。
他の二人の男と綾がその視線の先を追う。
暗い路地から女の子……おそらく十代前半と思しき少女が男達に向かって歩いてきた。
少女は肩に着くくらいの長さの綺麗な黒髪で、黒づくめのロリータファッションを見に纏っている。顔つきは整っているが、怯える様な表情で俯いたまま歩いていた。唇をキュッと結び、どこか悲壮感を漂わせている。
「やあやあ『ありす』ちゃん! また会ったね」
りっぴーが走ってくる我が子を受け止める時の父親の様に腕を広げたが、「ありす」と呼ばれた少女はそれを無視して、俯いたまま男達の輪の中に入り「あまり見られると……」と消えるような声で言った。綾の表情に不安の色が浮かぶ。
「あああ、相変わらずせっかちだなぁ。ま、わわ、私達もこんな所で、きき、君みたいな女の子連れ回していたら、い、いつ職質されるかわからないから別にいいんだけどどど……」
「最終的にはどうせ”する”んだから早めに行きますか。本当はありすちゃんとの再会を祝して二次会でも行きたいところですが、コンビニで酒を買って部屋で飲んだ方が何かと楽そうだ」
男達が「ありす」を囲む様にして路地の奥へ移動し始めた。綾はイヤホンの周波数を切り替えると、気がつかれない様に男達を尾行しながらオペレーターに簡潔に状況を伝えた。